COLUMN

outoftokyo
outoftokyo

Out of Tokyo

217:束芋展に拍手!
小崎哲哉
Date: January 28, 2010
束芋『油断髪』 | REALTOKYO
束芋『油断髪』 横浜美術館での展示風景
2009年 映像インスタレーション
(C) Ufer! Art Documentary / Courtesy of the artist and Gallery Koyanagi
束芋『団断』 | REALTOKYO
束芋『団断』 横浜美術館での展示風景
2009年 映像インスタレーション
(C) Ufer! Art Documentary / Courtesy of the artist and Gallery Koyanagi
束芋『BLOW』 | REALTOKYO
束芋『BLOW』 横浜美術館での展示風景
2009年 映像インスタレーション
(C) Ufer! Art Documentary / Courtesy of the artist and Gallery Koyanagi

年末に恒例の「私の10大イベント」を発表した。例によって取捨選択に苦労したが、それ以上に残念だったことがある。締切を12月中旬に設定したために、締切以降に「駆け込み」で観てまわったイベントを外さざるを得なかったのだ。5本ほど追補したい。

 

内藤礼:すべて動物は、世界の内にちょうど水の中に水があるように存在している

最小限の要素で無限の刺激を与えてくれた新作インスタレーション展。日常的なレディメイド素材が、世俗とは無縁の彼岸へと観る者を連れていってくれる。近代美術館の室内に「刹那」が、鎌倉の空に「永遠」が見えた。

 

ヤン・フードン:将軍的微笑

中国現代アートの旗手の、日本では初の本格的個展。ロバート・フランク的叙事から成瀬巳喜男的叙情までが含まれる映像は感動的。初期作品『バックヤード ほら、陽が昇るよ!』に作家の構図的特徴がよく現れている。

 

束芋:断面の世代

映像作品はすべて新作にして大作。グロテスクなおぞましさにはますます磨きがかかり、一方で、これまで背後に隠れていたエロティシズムが前面に出てきている。植物的造形の微細な動きに潜む動物的な「生」に戦いた。

 

ハラジュク・パフォーマンス・プラス

玉石混淆だったが、例によって踊りまくる黒田育世と、録音のループ機能を駆使して、哀感までをも表現した柴幸男に興奮。鍛え抜かれた身体と考え抜かれた構成こそが舞台芸術の魅力、という当たり前の事実を確認した。

 

藤本隆行・真鍋大度・石橋素:Time Lapse Plant /偽加速器(prototype/試作)オープニング 安藤洋子×平井優子 ダンス・インプロビゼーション

LEDとコンピューターが生み出す光と音が炸裂する中、ザ・フォーサイス・カンパニーの安藤洋子が踊る即興ダンスが圧巻。テクノロジーと身体の拮抗/共生/止揚を問う試みは、止むことなく進化・発展し続けている。

 

『束芋:断面の世代』展関連イベント | REALTOKYO
『束芋:断面の世代』展関連イベント
康本雅子×Tucker×束芋 ダンスライブ『油断髪』(2009.12.25.横浜美術館)

最も心打たれたのは内藤礼の個展だが、異ジャンル混淆という点で束芋と、藤本・真鍋・石橋+安藤・平井の試みを評価したい。とりわけ束芋展は、関連イベントとしてダンサーの康本雅子、音楽家のTuckerとのダンス公演、京都を拠点とする劇団Wandering Partyによる演劇公演を開催した(演劇は1/16-17に上演)。舞台芸術と視覚造形美術の親和性は言うまでもなく高いが、束芋は後者の演劇にはオマージュ的なアニメーション作品を別に展示しただけで、直接には協働していない。ではなぜ上演したか? 当該作品『total eclipse -トータル・エクリプス-』が豊田商事会長刺殺事件に材を採っていたからだ。

 

1985年に起こった事件について詳述する余裕はないが、簡単に言えば、バブル期直前に2000億円もの金を主に独居老人から詐取した悪徳商法事件の容疑者が、逮捕される直前に自宅マンションに籠城し、取材で張り込むマスコミ注視の中で、自称右翼の男ふたりに惨殺されたというものだ。作・演出のあごうさとしは、ひとつの台詞を複数の役者に同時に発話させたり、同じ役柄を別の役者に代わる代わる演じさせたりという斬新な手法で、異様な事件の今日性、あるいは普遍性を浮き彫りにした。コロスや長唄のような様式的な発声は、メディアによって増幅される同調圧力的な「世論」を表していたのかもしれない。

 

WANDERING PARTY『total eclipse -トータル・エクリプス-』 | REALTOKYO
WANDERING PARTY『total eclipse -トータル・エクリプス-』 撮影:樋渡 崇桐

束芋は豊田商事事件と『total eclipse』について「展覧会のコンセプトを構想する上で重要な契機になっ」たと語り(『ART iT』のインタビュー)、その理由として「集合住宅」「個人とメディア」「世代」をキーワードとして挙げている(1/17『total eclipse』ポストパフォーマンストーク)。団地の一室(の断面)を覗き見するような「団断」など、『断面の世代』に出展された新作を見ると『total eclipse』との共通性は明らかだが(そしてそれは世代的な共通性というよりも時代的な共通性であるように僕には思え、だから展覧会タイトルは『断面の時代』であってもいいようにも思うが)、それとは別にまったくの異ジャンル作品を関連イベントとして選んだことを評価したい。康本+Tuckerのダンス公演の際にはダンスファンが、Wandering Partyの演劇公演には演劇ファンの姿が少なからず見られた。ダンスファンと演劇ファンが必ずしも重なっていないあたりがまだまだ問題だが、それでも現在のこの国の文化状況においては画期的だ。これを機に、アート、演劇、ダンス、音楽などのクロスオーバーがもっともっと進むとよい。

 

ところで、先に選んだ10本と追加した上記5本、さらにRT寄稿家が選んだ各10本を見ると、時代がわずかながら変わりつつあるような気がする。ひとことで言えば「軽から重へ」。あるいは「瞬間から継続へ」。そして「内から外へ」。もちろん、各寄稿家の嗜好に拠る部分は大きいだろうし、選択には期待や希望も含まれるだろうから、このデータだけで「時代の変化」を云々するのは軽率のそしりを免れないだろう。とはいえ、あるひとつの傾向が続くと、その後で逆の傾向への揺り戻しがあるのは歴史の教えるところではある。「軽」「瞬間」「内」は必ずしも悪いことではないし、「重」「継続」「外」にだって好ましからぬ側面はありうる。けれど個人的には、この「変化」の予感に心ときめくものがある。異ジャンル混淆が増えていくことも含め、大いに期待したい。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。