COLUMN

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Out of Tokyo

196:トロイメライ──子供の情景
小崎哲哉
Date: October 09, 2008
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NOISE『トロイメライ』初演(1984年6月)
Photo: Kawakami Naomi

劇作家の如月小春が亡くなって8年が経とうとしている(Out of Tokyo 006参照)。そんなタイミングで、高橋悠治が構成・台本・作曲・ピアノ演奏の4役を務める『トロイメライ──子供の情景(2008)』が上演された(9/19-21@theatre iwato)。「如月小春原作(1984)によるポータブル・シアター」と銘打たれ、チラシには以下のような文言が記されている。「白く明るい 言いようのない痛ましさ 少年の心にひろがる空白を いまにも切れそうな細い糸でつなぎとめて いのちの側へとひきもどす少女の物語を 断片となったことばと音と沈黙の織物として再構成し 1984年にこの戯曲を書き 2000年にこの世界から消えてしまった如月小春の影を追う夜の航海」

 

僕が見たのは2日目で、定員100人ほどの劇場には、如月の劇団「NOISE」の女優だった(現・声優の)柳沢三千代や、やはりNOISEで音楽を担当していた音楽家の近藤達郎、同じく音楽家の巻上公一、音楽学者の細川周平、黒テントのプロデューサー兼演出家でもあった編集者にして評論家の津野海太郎ら、故人にゆかりの深い人々が集まっていた。だがこの夜の公演は、追悼や同窓会という以上の意味があったと思う。

 

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NOISE『トロイメライ』初演(1984年6月) Photo: Kawakami Naomi
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同 Photo: Ueda Atsushi

舞台はすこぶる簡素だった。シーツをつなぎ合わせたような白い布が背景に掛けられ、ピアノとギター、それにNOISEのファンにはお馴染みだった直径40cmほどの真っ白な球を載せた椅子が置かれているだけだ。やがて白い布の奥から役者と音楽家が現れる。主人公のカイ(鈴木光介)とサキ(遠藤良子)、白い仮面と白い衣裳に身を包み、白い球を抱えて開幕を告げる「人類」(楫屋一之)、ピアノの高橋悠治、声だけの役者を兼ねるギターのAyuo。開幕とともに姿を消し、終幕まで姿を現さない「人類」を除き、役者と音楽家たちは最後まで舞台を離れない。

 

ピアニストが鍵盤に指を下ろし、シューマンの名曲を奏ではじめる。ひとつひとつの音を吟味した、丁寧でゆっくりとした端正な演奏だ。優雅なメロディはしかし、繰り返されるとふと壊れはじめ、最後には大気圏に突入した流れ星のように粉々に砕け散る。そして、如月の書いた台詞の中で最も名高い「都市 ソレハ ユルギナキ全体……」がふたりの役者によって発話され、芝居が始まる。

 

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NOISE『トロイメライ』初演(1984年6月)
撮影者不明

ここでは楽器は、生身の役者が発する台詞のように機能している(ように思える)。少なからぬ場面で、役者の台詞を背後から支えている(ようにも思える)。例えば、冒頭でカイとサキが語りはじめると、ピアノは当初は中高音のみで、ギターはハーモニックスを多用して、役者の声に積極的に絡もうとする。均質化された無機的な都市で交わされている救いのない会話が、そのときだけは深い森の中で、小鳥たちのさえずりに祝福されているように感じられる。小鳥たちとその鳴き声を愛して止まなかったという、アッシジの聖フランチェスコが想い起こされる。もちろん、その故事に触発されて曲を書いた、フランツ・リストやオリヴィエ・メシアンやピエール・ブーレーズら、多くの音楽家たちのことも。

 

音楽と台詞はともに、流れるような雄弁ではまったくない。むしろ、細分化され、断片化されたような印象を与えるほどに弱く、慎ましやかだ。実際、如月の別の戯曲から「わたしがここにいることをしらせたい……」という台詞が引用されるのだが、それはオリジナル上演時と同様、「わ/わわ/わわわた/わた/わたし/わわ/わたし/わたしが/がが/ががが/がこ/わたしがこ/がここ/ここ/ここに/ここにい/い/いる……」というように、ひと文字ずつに分節されて発話される。そして、上述した小鳥のような楽音が、非常に繊細かつ慎重に台詞に重ねられる。薄紙か羽毛で撫でられているようなというか、聴覚よりも触覚に訴えかけられているような気がするほどの微細なタッチだ。直接的な意味は希薄化し、しかしただならぬ何事かが耳の奥にまで届けられている。高橋は終盤にもう一度「トロイメライ」を弾き、それが唐突に途切れるとともに芝居は終わる。

 

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『トロイメライ──子供の情景(2008)』打ち上げ後のパーティ。テーブルの手前に立つのが高橋悠治
(写真提供:theatre iwato)

如月が健在だったとしたら、喜ぶ以前に嫉妬するのではないか。エッセイ集に『私の耳は都市の耳』という題を付けた劇作家にとって、「言葉」と「音」は極めて重要な主題だったはずだ。高橋はそれを十分に知った上で、最良の形で『トロイメライ』の、いや、如月的世界の脱構築を果たした。ちなみに「都市 ソレハ ユルギナキ全体……」は『トロイメライ』ではなく『家、世の果ての……』に書かれた台詞である。

 

チラシにある「断片となったことばと音と沈黙の織物として再構成」というくだりがすべてを表している。過去の作品世界を生まれ変わらせる試みの中で、これだけ成功した例をほかに知らない。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。