

イスラエルの商業チャンネル「チャンネル10」のレポーターとして、パレスチナ情勢を精力的に取材し、ガザ地区の実状を国内外に訴え続けているシュロミー・エルダールさん。イスラエルとパレスチナを結ぶテルアビブ郊外の病院に勤務するイスラエル人医師に依頼され、難病に苦しむパレスチナ人の子供の命を救うために奔走。その記録が『いのちの子ども』である。終わらない紛争を背景に命の尊さを映し出した本作で、伝えたかったこととは? 公開に先立って来日した監督に聞いた。
今回が初来日だそうですね。
日本の震災について、イスラエルの人々もとても心配していたんです。イスラエルのテレビニュースなどでもほとんど毎日のように放送して、どうなっていくのかとみんなやきもきしていましたが、いまは少し状態が落ち着いたと知って、だいぶ安心しました。
このドキュメンタリー以前の、監督のお仕事について教えていただけますか。
20年間にわたってジャーナリストとして活動していまして、イスラエルでは私は有名なんですよ(笑)。もともと公共放送「チャンネル1」に、いまは民間の商業チャンネル「チャンネル10」に所属しています。主にガザ地区とイスラム抵抗運動ハマースの状況をレポートすることが専門で、2005年にはガザに関する本を出版し、その本はドイツ語にも翻訳されました。現在、2冊目となる本の準備に入っているところです。映画に忙殺されていたので時間がかかりましたが、3、4ヶ月後には出ると思います。
新しい本はどんな内容ですか。
ガザの、特にハマースについての本です。最高指導者ヤシン師の暗殺から、パレスチナ民族解放運動ファタハと和解した現在に至るハマースの変化と、それが中東に及ぼす影響について書いています。そんな感じで本の執筆もしていますが、私はやはりジャーナリストであり、大多数のイスラエル人とはちょっと異なる考え方を持っているんです。紛争の際、イスラエル南部には過去数年間にわたってガザ地区からロケット弾が飛んできているという状況で、それに対するイスラエルの報復がありました。しかし、私にはそれがやり過ぎているというふうに思えて、そういった自分の考えも率直な形で映画の中で見せています。

イスラエル国内での反響
『いのちの子ども』はイスラエルで公開されたのでしょうか。
劇場で上映され、大きな賞も受賞しました。1ヶ月半ほど前に「チャンネル2」というテレビ局の番組としても放送され、16%という高い視聴率を得て、反応も様々でした。ガザのパレスチナ人女性のためにイスラエル人が涙を流したのは、これが初めてではないかと思います。『いのちの子ども』を観た人からたくさんの反響を受け取って、私も感動しました。
具体的に、どんな反響があったのでしょう。
たくさんありましたが、私の心に響いた1つの例を紹介しますね。去年の夏にエルサレムの映画祭で上映され、その後テルアビブ、ハイファの劇場で上映されたのですが、もらったメールは映画祭でご覧になったアシュケロンに住む女性からのものです。ガザと離れているので、より大きなミサイルが必要ということで、カサムという大きなロケット弾が飛んできている、アシュケロンはそんな場所です。
「シュロミーさん、こんにちは。私は何年もアシュケロンに住んでいて、私の家や隣近所に向かって発射されるロケット弾の攻撃でとても辛い思いをしてきました。ですので、ガザで紛争が始まったときは、正直うれしい気持ちになりました。ガザを地上から消し去ることでこの攻撃がなくなるのではと期待したからです。ですが、あなたの映画を観て、私はひどい気分になりました。イスラエル人がガザのパレスチナ人を虐殺し、苦しめていることがわかったから。ガザにも、私のように子供がいる家族が暮らしているということを初めて知ったんです。私は自分を恥じました。よろこんだことを私が申し訳なく思っていると、ぜひガザの人々に伝えて下さい。そして、いつか私たちの間に平和が訪れることを祈っています」

考え方の相違を乗り越えて
映画の中で、幼いムハンマドの母親ラーイダが、「この子が大きくなったら殉教者に」と語るシーンがあり、監督自身もカーッとなったように見えました。そんな瞬間をもカメラはしっかりと映し出していましたね。
あれは私としても非常に残念な瞬間でした。何ヶ月にもわたってラーイダとファウジーのムスタファー夫妻は小さな息子の命を救うためにがんばってきたのに、それを殉教者にしたいなんていう話をしたものですから、私もとても悔しかったんです。こんなにもユダヤ人とアラブ人との間の溝は深いのかと、絶望的な気分になってしまって。イスラエル人と何ヶ月も一緒に過ごしたラーイダの口から出た言葉だったから、なおさら私にとっては衝撃が大きかったんです。だとすると、イスラエル人と接点のない一般のガザの人々はどんな感情を我々に持っているんだろうと思えて。彼女の夫ファウジーは、「妻は疲れていて頭がおかしくなっているんだ」と言っていましたが、私はそうは思わなかった。彼女は論理的に話していましたし、私にはそれが心の底から出たものだと思えたんです。私はもうこの映画を撮るのは止めようと決めたのですが、それを覆した2つの出来事がありました。1つはファウジーが、「妻は疲れていただけなので、映画を止めないでください」と、私に電話してきたこと。彼の意見に同意はできませんでしたが。2つ目は映画を継続する大きな要因になったのですが、私の妻が「あなたはジャーナリストなんだから、こんなことでギブアップせずに続けるべきよ。続けてみて、彼女がどうしてそんなことを言ったのか、掘り下げてみたら?」と言ったんです。その言葉がうれしくて私は続けることにしたのですが、この件についてしばらくラーイダとは話しませんでした。私が思うに、ラーイダという人は自分の中の変化に恐怖を抱いていたのではないかなと。イスラエル人がどういう人かということを小さいころから教えられてきた、その自分が受けてきた教育とまったく異なる現実が彼女を待ち構えていたので、自分の中で起きている変化に怖じ気づいたのだと思うんです。特に彼女は宗教的な人で、ユダヤ人に好意を持つのは彼らにとって罪深いことなのですから。それであんな言葉が出たのではないかなと思っています。

それぞれが受けてきた教育もあって、民族対民族になると、お互いに憎んだり怖がったりするのでしょうね。でも、個人対個人であれば、監督とラーイダさんのようにわかり合えたりもする。和平のために、何が最も大切だと思われますか。
特にここ何年か、ハマースが政権を握ってからというもの、ハマースはハマースでイスラエルを敵視する、イスラエルはイスラエルでハマースを敵視するという教育が蔓延しています。それが過去5年から10年の間に高まっているという流れがあります。10年くらい前には、パレスチナ人がイスラエル国内で労働しているということも当たり前でしたし、政治のリーダーたちが何を言おうと、個人レベルでの交流があったんです。現実と政治は違うということを個人はわかっていた。しかしハマース政権になってからは、個人レベルでの交流がなくなってしまいました。私たちは人間なので、やはり個人対個人の交流がスタート。個人として相手を知ることが、和平へのきっかけになると思っています。いまの状況ですと、イスラエル人はパレスチナ人をただのテロリストだと思っていますし、パレスチナ人はイスラエル人を兵士だと思っていますし、和平のチャンスはまったくないですね。ラーイダが経験したように、イスラエル人を個人的に知ること、イスラエル人もパレスチナ人を個人的に知ることで、お互いを理解するプロセスが生まれてくると思います。それが和平への希望です。パレスチナ側もイスラエル側も、もしかしたらリーダーたちにそれを実現する希望はないのかもしれませんが、個人の人間が交流して現実を変えていくことで、紛争が解決されるのではないかと思っています。
(※このインタビューは2011年5月31日に行われました。)
プロフィール
Shlomi Eldar/イスラエルの公共放送「チャンネル1」で、レポーターとしてのキャリアをスタート。同時にガザ地区の取材を開始し、20年以上にわたり境界線の向こう側、イスラエルとエジプトの板挟みになった地域に住むパレスチナ人たちの知られざる実情をレポートしてきた。2007年、イスラエルのピューリッツァー賞ともいわれる、ジャーナリズムに贈られる最も権威あるソクーロフ賞を受賞。現在は商業テレビチャンネル「チャンネル10」のレポーターとして、パレスチナ情勢を中心に取材を続けている。
寄稿家プロフィール
まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。