

劇場支配人、プロデューサー、脚本家など映画業界の長いキャリアを経て、6月11日から公開の『見えないほどの遠くの空を』で監督デビューを果たした榎本憲男さん。そして、現在『黒い十人の女~version100℃~』公演まっ最中のケラリーノ・サンドロヴィッチさん。2003年のKERAさんの映画監督デビュー作『1980(イチキューハチマル)』と09年の『罪とか罰とか』のプロデュースを榎本さんが手掛けているが、実はそれ以前から付き合いがあるという気心の知れたおふたり。お互いの作品について、またそれぞれの活動について大いに語ってもらった。
榎本:KERAに最初に会ったのは、僕が映画会社で不良サラリーマンやりつつ物を書いていたときだよね。もともと僕は有頂天のKERAのファンだったんだけど、芝居もやってるって聞いて、芝居かぁ、ヘンなことやってるなぁって思って。映画学校出身で映画を作りたいっていうのは知ってたから、じゃあなんかやろうよという話から『1980』までがとてつもなく長かった(笑)。7年くらいかかったんじゃない? その後、僕が銀座テアトル西友の支配人になって、KERAがよく劇場にふらっと遊びに来てくれて。
KERA:そう。篠原哲雄監督の『草の上の仕事』っていう自主映画とか、開場前に1人で見せてもらったりしてね。そのころ榎本さん、『櫻の園』の脚本を書いてるじんのひろあきさんが劇団の役者たちと作った16ミリ作品のプロデューサーをやってたんですよね。
榎本:本格的にプロデュースをやろうとしていた前夜ですね。そのころ『人はなぜ笑うか』っていうKERAのコメディ講座を聞きにいって、『1979』っていう演劇も観て、これは面白いと思った。それから演劇を追いかけ始めたんだけど、やっぱり映画を作りたいんだろうなっていう感じの芝居のつくりで、そういう気持ちが横溢してる。いつか映画をやろうねって言ってたのを、もういい加減やろうよということになって、『1980』を作った。
KERA監督作品に欠かせない榎本プロデューサー
KERA:僕にとって映画は最後の砦で、それをやってしまうとすべての夢が叶ってしまうから、やりたいような、やってしまうのが怖いような気持ちだった。2000年くらいから、ああでもない、こうでもないとやっていて、やっと2002年に撮影したんですよね。僕は映画の現場ってもっとハードだと思ってて、スタッフに「映画って寝る時間もないのかと思った」って言ったら、「監督が寝る時間なかったら、スタッフは不眠不休ですよ」って言われて。夕方に撮影終わってスズナリに芝居観に行ったりしてたから、そんなにたいへんでもなかったですね。『グミ・チョコレート・パイン』はキツかったけど、『罪とか罰とか』もキツくなかったし。でかい事務所に所属してる若い俳優が出るといいのかな。労働基準法があるから。
榎本:そんなことないよ(笑)。僕の『見えないほどの遠くの空を』の現場もちゃんと寝てる。ナイトシーンがほとんどないから、日が落ちたら終了。自主映画だから過酷ってわけでもないよね。どれだけ根気が持つかの話。低予算のVシネがいちばんキツいと思うな。
KERA:『グミチョコ』も榎本さんに仕上げから関わってもらったんですよね。
榎本:そう。ノンクレジットだったけど。プロデューサーとKERAが途中でうまくいかなくなって、SOSが出たんだよね。えー、どうなってるんだ? そんな揉めてるところに入っていくのか……と思いつつ、KERAだから断れないなって。あの作品では僕は調整役だったね。

KERA:しかし、びっくりしましたよ。榎本さんが会社辞めて、自主映画撮るって聞いたときは。自主映画を学生のころから撮ってたっていうならそんなに驚かなかったと思うけど、50代でデビュー作を撮るっていうのは、よっぽどの想いがあるんだなと。1ヶ月半くらい前に作品を観たんですけど、余計な情報は頭から追っ払って、単純に冷静に観ようと努めました。すごいロマンチックな映画ですよね。
榎本:そう、KERAが苦手なね(笑)。KERAはすごく照れ屋で、撮影現場でも、「ちょっと照れくさいけどやってよ」って役者に言うんだけど、役者は「わざわざそんなこと言わなくていいのに……」っていうくらい、ロマンチックなところがあると照れるんだよね。
KERA:くらもちふさことか、好きなんだけどね。ギャグがないと照れちゃうんですよ。真面目にラブシーンやってるっていうことに対して、演じてる人間も絶対恥ずかしいはずだと思ったら、全然そんなことなかった(笑)。
榎本:そうやってギャグを織り交ぜて照れをごまかしてるところがあるんだけど、KERA作品の中のギャグの頻度は、最近は下がってきてるよね。僕もさすがに昔は照れくさかったんだけど、年取ってくると、なんかこう、えいやってできちゃうところもある。KERAはいつも情緒的というかウェットなシーンになると、「ここ榎本さんのシーンだから、榎本さんがよければいいよ」って。自分の監督作品なのに(笑)。だから、僕の映画をKERAに見せるのかぁって、ちょっと心配だった。よかったって言ってくれてほっとしたよ。
「こんなに本番前に芝居を固められたの、KERAさん以来だ」
KERA:森岡龍くんはいいですよね。
榎本:今回は森岡くんありきの企画だったから。でも、彼はいい迷惑だったみたい(笑)。

KERA:この作品は自分で映画を作っている役者がたくさん出てるけど、『グミチョコ』のとき、森岡くんは自分の出番前はメイキング用のカメラ回してましたからね。役者じゃなくて、スタッフだと思われたことも(笑)。彼は監督もやるから視野が広くて。そういう意味でやりやすいですよね。彼を知ってるからかもしれないけど、森岡くんが主役っていうのもいいなぁと思って観てました。それと、なんとなく大島弓子の世界観を想起した。今のデジタルカメラってあんなにキレイに撮れるんですね。まったく予備知識なく観たから、最初の30分くらいは、すごい展開だなと。その後はゆるやかだけど。
榎本:物語のフレームを壊して、ジャンルを移行してるんだよね。ヒッチコックの『めまい』のような話にしておきながら、別のジャンルに飛んでいく。ほぼ反則技ぎりぎりのところ(笑)。公園のシーンでは時空が微妙に辻褄が合わないようにしたり。予算内でできることが限られてるから、ちょっとずつヘンなことやってるという(笑)。
描く世界は全然違うけど、KERAとの共通点があるとしたら、それは自然体の芝居というものをよしとしない。自分の持ち味で芝居をするっていうことだけで勝負してもらっちゃ困るという考え方だと思う。森岡くんが「こんなに本番前に芝居を固められたの、KERAさん以来だ」って。そうか、俺はKERA派かとはたと思ったり(笑)。実際、KERAに習って、リハはしっかりやりました。現地にまで主演の2人を連れていってリハして。そんなにやるのかってみんながびっくりするくらい。リハの最中は、不安だったっていうこともあったけど、音声をぜんぶICレコーダーで録音した。なにかがおかしいんだけど、どう説明していいかわからない部分は、家で聞き直して次に会ったときにちゃんと説明できるようにしたり。実は、これは、KERAから教えてもらったことなの。『1980』のとき、「若い役者たちにせっかく芝居をつけたのに、時間が経って再開してみるとほどけてる」って言ってたから。そこで、録音した音声からベストテイクを抜き出して、「君のこのセリフのベストテイクはこれ。ぜったい忘れるな」って音声データを役者に送ったりしてね。そりゃ、嫌われるよ(笑)。この話は黙っておこうと思ったのに、森岡くんが雑誌でバラしちゃったから、もういいか。

榎本:プロデューサーだった僕が言うのもなんだけど、KERAと一緒に映画を作ったときもいろんな足かせをはめて、僕がKERAに「これはやらないでね」って言うこともあった。例えば「あんまりモンティ・パイソンしないでね」っていうような注文もしなきゃいけなかったし。もう思いっきり好きなことやりたい、演劇のように映画を撮りたい、それくらいフットワークの軽い感じで映画を作ってみたいという気持ちがKERAにはある。だから『見えないほどの遠くの空を』を観て、“超低予算ならではの自由”みたいなものが成立しているのかってこともKERAは気にしてると思う。「そうか、だったら俺もやってみるか」と思ってくれれば嬉しいな。ところで、『罪とか罰とか』を一緒に作った後に、もう映画やめるって公に宣言したけど、そろそろ撤回しないの?
KERA:うーん、環境次第ですね。予算がいっぱい欲しいとかいうこともなくはないけど、それだけじゃなくて、何十億円あろうがすごく縛られてたらそんなものはやりたくないし。演劇が自由すぎるんだろうな。すごく特殊だと思うんですよ、演劇って。いっさい言われませんからね、内容については。
榎本:そういう自由を満喫してる人が急に映画の世界に来られると本人も辛いだろうし、映画の世界もいろいろ事情があって困るのよ(笑)。でも、KERAはKERAで遠慮してると思う。いくらなんでも演劇と一緒には行かないだろうなと思いながらやってるのはわかるし、だんだん欲求不満がたまってくるから、かわいそうだなと思ってた。もっと好き勝手やらせてあげたいなって。上映時間3時間、モノクロでもいいよって言ってあげたいけど、途中で休憩入れるような映画はやっぱり僕には無理だよ(笑)。
KERA:パルムドールを穫った映画を観て、ふーん、こんなんでいいのか。だったら、モノクロで長くてもいいじゃんって(笑)。『罪とか罰とか』はかなりいい線いってたと思うんですけどね。それまでの映画に比べると、僕にとっては潤沢な予算で、純ナンセンスなコメディを作ることができた。
榎本:『1980』のころは僕もプロデューサーとして未熟だったから、2人でぶつぶつ言いながらやってたところもあったけど、そういった苦い経験を活かして敗者復活戦みたいなつもりでやったのが『罪とか罰とか』。出来は満足してる。
肝心なシーンをわざと撮りこぼす作戦
KERA:僕は榎本さん以外のプロデューサーとやったことないから。いや、あるんだけど、プロデューサーっていう感じじゃなくて……。あのころの日本映画って小さい映画がいっぱいあって、映画をやったことがない人がプロデューサーやったりして。Vシネしかやったことない人だったり、この間まで不動産屋さんだったんじゃない? っていうような人とか。そういう時代だったんですよね。榎本さんはいつも監督の椅子の隣りに座って、一緒にああでもない、こうでもないって言い合える人なんですよ。僕がまったく気にならないことが気になったりもするみたいですけどね。自分でお金を出して作って、贅沢したりロスしたりすると自分の首を絞めるじゃないですか。プロデューサーってそういう立ち場のはずなのに。今日撮らないと、1日こぼれると、ちょっとヤバいみたいなときでも、「これ、もう1回やったほうがいいんじゃない?」って言う(笑)。『グミチョコ』は別のプロデューサーだったけど、撮影を2日間こぼしちゃって、追加撮影ができるかどうかわからないという時点で1回終わっちゃったんです。実はそのへんも計算していて、そのシーンがないと成立しない大切な場面をあえてこぼしたんですよ。だって、カットしていいシーンだったら、なしでいいやってことになっちゃうじゃないですか。その間に青山円形劇場で『犬は鎖につなぐべからず』っていう演劇をやって、中日を過ぎたあたりで2ヶ月後に撮影をまた2日間やったんです。スタッフの編成が半分くらいになって。映画って恐ろしいなと思いました。場合によってはお蔵入りってこともあり得たわけですからね。大槻ケンヂにやってくれって言われてやったけど、撮影が2週間でしたから。それであの原作でしょ。プロデューサーはサンドイッチ代の50円をケチってました。それ、俺が出すから、チーズ入りのをみんなに食わせてやってくれよって(笑)。
榎本:まぁ、そういうことがあってもやったほうがいいんじゃない? 50円が出ないかもしれないけど、そんなことはどうでもいい。やっぱり映画やったほうが楽しいよ。

榎本:『見え空』は14日間で撮って、そのうち2日は撮休で実質12日間。こぼれたら相当ヤバかったから、KERAの作戦は使ってません(笑)。女優の岡本奈月さんは子役出身でキャリアは長いけれど、今回はいくつかのキャラを演じ分けないといけないという難題に挑戦してもらわなきゃならなかった。与えられた役柄は、はきはきした押しの強いキャラだけど、本人はふにゃふにゃした感じの人で、そこを僕がガチガチに固めてるの。インタビューで彼女自身も「素の私と全然違うキャラ」って言ってたけど、彼女も辛かったらしい。撮影中はなるべく僕に近づかないようにしてたみたい(笑)。渡辺大知くんは森岡くんの紹介で出てもらって。ほかの役者たちもほとんど森岡仲間。渡辺くんも映画を撮るって。撮りたい人ばっかりだね。
僕のほうがKERAより少し年上だけど、さらに僕よりちょっと年上の人たちっていうのは、“ここではないどこか”を志向してたんだけど、今は狭い世間の範囲内で心地よい場所を求めて作劇するというのが多い。それって、つまんなくないか? この問いに「つまんないぜ」と答える映画が出てきた。例えば『ファイト・クラブ』や『アメリカン・ビューティー』。狭い世間の中だと、幸せになれない人間を描いている。『見え空』は、そういう問いを最初に発して、居場所探しによって自分探しをしようとしている主人公が揺さぶりをかけられていくという物語なんだよね。

<後編に続く>
(※この対談は2011年5月27日に行われました。)
プロフィール
えのもと・のりお
1987年、銀座テアトル西友(現・銀座テアトルシネマ)オープニングスタッフとして映画のキャリアを始める。88年、同劇場支配人に就任。シナリオを学び、91年にATG脚本賞特別奨励賞受賞。その後荒井晴彦に師事。95年、テアトル新宿の支配人に就任。日本のインディペンデント映画を積極的に上映しつつ、荒井晴彦監督『身も心も』(96)をプロデュース。98年より東京テアトル番組編成を経てプロデューサーとなる。ケラリーノ・サンドロヴィッチ監督『1980』(03)、『罪とか罰とか』(09)、井口奈己監督『犬猫』(04)などをプロデュース。最新作は、深田晃司監督『歓待』(コ・エグゼクティブプロデューサー)。脚本家としては、EN名義にて小松隆志監督『ワイルド・フラワーズ』(04)、筒井武文監督『オーバードライヴ』(04)、深川栄洋監督『アイランドタイムズ』(07)を執筆。2010年に東京テアトルを退職。本作品にて監督デビューを果たした。
Keralino Sandorovich
劇作家・演出家・映画監督・ミュージシャン。1982年、バンド有頂天を結成。翌年、インディーズレーベル「ナゴムレコード」を立ち上げ、筋肉少女帯、たま、カーネーションなどのレコードをリリース。85年に犬山イヌコ、みのすけ、田口トモロヲらと劇団健康を旗揚げし、演劇活動を開始。92年には健康を解散し、93年に劇団ナイロン100℃を旗揚げ。99年には同劇団の『フローズン・ビーチ』で岸田國士戯曲賞を受賞したほか受賞歴多数。03年、『1980』で映画監督デビュー。ほかの映画作品に『グミ・チョコレート・パイン』(07)、『罪とか罰とか』(09)などがある。音楽活動もKERA名義で継続し、現在はケラ&ザ・シンセサイザーズでヴォーカルを務める。音楽、演劇、映画など、ジャンルを越境した活動を展開中。
ナイロン100℃:http://www.sillywalk.com/nylon/
ケラ&ザ・シンセサイザーズ:http://synthesizers.syncl.jp/
インフォメーション
6月11日(土)、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー予定
配給:ドゥールー、コミュニティアド
公式サイト:http://www.miesora.com/
榎本憲男twitter:http://twitter.com/chimumu
NYLON100℃ 36th SESSION公演『黒い十人の女~version100℃~』
6月12日(日)まで、青山円形劇場で上演中
http://www.sillywalk.com/nylon/info.html
cube presents『奥様お尻をどうぞ』
7月30日(土)~8月28日(日)、本多劇場で上演
寄稿家プロフィール
ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラムを執筆(1998-2008)。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所のウェブサイトに、IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』を連載中。
寄稿家プロフィール
まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。