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Interview

037:モハメド・アルダラジーさん(『バビロンの陽光』監督・脚本・撮影)
聞き手:松丸亜希子
Date: May 22, 2011
モハメド・アルダラジーさん | REALTOKYO

2003年、フセイン政権崩壊から3週間が経過したイラク北部のクルド人自治区。戦地から戻らぬ息子を捜すため、バグダッドを経てバビロンへ、老いた母が12歳の孫を伴って旅をする……。150万人以上が行方不明となり、集団墓地から数十万もの身元不明の遺体が発見されたという、知られざるイラクの過酷な現実を伝える『バビロンの陽光』。映画を完成させた後、遺体の身元確認を促進する「イラク・ミッシング・キャンペーン」を自ら立ち上げたモハメド・アルダラジー監督に話を聞いた。

モハメド・アルダラジー:バビロンの陽光 | REALTOKYO
(c)2010 Human Film, Iraq Al-Rafidain, UK Film Council, CRM-114

監督はイギリス在住だそうですね。大震災後の、こんなタイミングでの来日に躊躇されませんでしたか。

 

友人や同僚からは「危険だから止めたほうがいい」という声もあり、外務省の勧告もありました。でも、日本の配給会社の皆さんからの「ぜひ来て下さい」という熱いコールや、何より「行ってくれば?」という母の言葉に背中を押されました。イラクでも、とても苦しいときに誰かがいてくれることが助けになるということを実感していましたし、こういうときだからこそ行こうと思ったんです。

 

ありがとうございます。私たちはいま、地震と原発事故のことで頭がいっぱいですが、この作品を観ると世界には想像を絶する現実があることがよくわかります。前作『夢』の撮影時に集団墓地発見のニュースを聞いたことがきっかけになったとか。

 

そうです。2003年にバグダッドにいて、バビロンの近くで集団墓地が見つかったと聞き、すぐに叔母のことが頭をよぎりました。息子がイラン・イラク戦争で行方不明になって、亡くなったのか、収監されたのか、まったく情報がなく、どうなったのかさっぱりわからなかったんです。僕は当時ちょうど『バビロンの陽光』の少年アーメッドと同じ年齢でしたが、いつも泣いている叔母を見て、どうしてなのか理解できなかった。この作品の、孫を連れて息子を捜す母親はその叔母をイメージしたもので、老いた母が叔母でアーメッドが私なんです。行方不明者がいるということにどう向き合っていけばいいのか、僕はずっとわからなくて。映画制作に先立って数多くのリサーチを重ねる中で、本当にたくさんの話を聞きました。実はダーダ(おばあちゃん)を演じたシャーザード・フセインさんとも、村を訪ねて1つ1つの家の扉を叩き、話を聞く作業を始めて半年目くらいに出会ったんです。家族や親戚の中に数人の行方不明者がいて……という話を誰もが語ってくれましたが、話す人も泣き、聞いている私たちも泣きました。大きな衝撃でしたね。自分の中で「生きるべきか死ぬべきか」という感じで、「作るべきか作らざるべきか」という問いが生まれて作り始めたのですが、約5年間にわたってすべてを注いだ作品です。完成後1ヶ月くらい、空っぽになってしまって(笑)。この作品を作ることが僕自身の成長にもなり、人生の理解にもつながりました。人は「レゾンデートル(存在理由)」というか、なぜ自分がここに生きているのかと模索し続けるものですが、いま考えると、そういう意味でもこの作品は必要だったんだろうなと思います。

 

モハメド・アルダラジー:バビロンの陽光 | REALTOKYO
(c)2010 Human Film, Iraq Al-Rafidain, UK Film Council, CRM-114

フィクションとリアルのあいまいな境界

 

丁寧なリサーチを経てプロットを構築されたのだと思います。当事者であるシャーザードさんが撮影の途上で過去の経験を追体験することになったそうですが、脚本は撮影しながら改訂していったのでしょうか。

 

いい質問ですね(笑)。俳優がアマチュアですから、脚本をただ渡してセリフを言ってもらうのではなく、彼らの言い方で言わせてあげないとだめなんです。今回は80%くらいが実際に脚本に書かれていたもの、残りの20%から25%は現場で手直ししたもの。僕の映画作りのスタイルはいつもこんな感じで、即興がキャラクターを成長させるというか、物語の中の変化の一部分を担うという位置付けです。僕はクルド語が話せないので、アーメッド役のヤッセル・タリーブくんが通訳をしてくれたのですが、撮影が長時間になって、一緒にサッカーをする約束が守れなかったりすると、彼が怒るんですよ。そうすると、勝手に違うことをシャーザードさんに通訳してしまったりして、彼女が僕に怒り狂うなんてことも。わざと誤訳するんですよね(笑)。そのエピソードは作品の中にも取り入れましたけど。

シャーザードさんとは、収監されていたときのこと、夫を捜していたときのことなど、本当にたくさんの話をしました。ときには演技ではなく、シャーザードさんのそのままの感情が出ているシーンもあります。全編通して言えるのは、フィクションとリアリティのボーダーラインはとても薄くてあいまいということ。気付かずにクロスオーバーしている部分もけっこうあります。特にグッと来たのが、頭蓋骨の横で彼女が泣いている集団墓地のシーン。あれは演技というより彼女の気持ちそのもので、夫のことを思っていたのだと思います。実際の映像が揺れているのは、撮影していたカメラマンも泣いて震えてしまったから。スタッフ全員があのときは泣いていて、撮影を一度止めなければいけないくらいでした。撮影のときに様々な要素を加えてはいるのですが、骨子は脚本から離れていません。

 

復讐でなく、正義だけが解決する

 

あのシーンはとても印象に残りました。もう1つ印象的だったのは、ダーダがアーメッドに言う「傷つけられても許しなさい」という言葉です。リベンジ(復讐)とフォーギブネス(許し)について、監督はどう考えていらっしゃいますか。

 

もし2003年に同じ質問をされたら、「フォーギブネスはなく、リベンジのみ」と答えたでしょうね。でも、少しずつ考えが変わって、ムサというキャラクターが06年から07年にかけて生まれました。そのベースは従兄なのですが、イラク軍にいた彼は、ムサのような経験をしているんです。自分が撃たなければ諜報機関によって撃たれてしまうという立場にあり、イラク北部での虐殺に関わってしまったということを聞かされて。ムサがダーダに話す物語は、従兄から聞いた話ほぼそのままです。いまではリベンジは解決ではないと思っています。正義だけが解決です。被害者にとって許すということは難しいことですが、1つのステップとしてまず正義を考え、逃げずに、忘れずに、向き合っていくことが大切。もし自分の家族が亡くなったら相当な怒りを感じると思いますが、フォーギブネスを奨励していくこと。いまはそういう気持ちです。遺体の身元確認を促進するための「イラク・ミッシング・キャンペーン」も、まず被害者にとっての正義、行方不明者はいったいどうしたのかということを解明し、そこから許すことを経て、イラクの平和につなげていけたらと思っています。

 

モハメド・アルダラジー:バビロンの陽光 | REALTOKYO
(c)2010 Human Film, Iraq Al-Rafidain, UK Film Council, CRM-114

「イラク・ミッシング・キャンペーン」

 

私もさっそく「イラク・ミッシング・キャンペーン」のサイトに署名しました。キャンペーンを立ち上げるきっかけは?

 

シャーザードさんは俳優ではなく、映画も観たことがないという人で、出演の説得で決め手になったのが、映画に出てもらうことで、もしかしたら行方不明の夫の居場所がわかるかもしれないということでした。編集段階で、いったい何人の行方不明者がいるのかということを数字で表したかったのですが、政府に聞いても国連に聞いても誰も正確な数字が出せない。非常に悲しかった。当時、彼らの優先事項ではなかったのでしょう。09年に姉の夫が行方不明になり、アルカイダなのか米軍なのか、誘拐されたのか。まったく情報がない中、シャーザードさんや姉のためにも、ほかの嘆き悲しんでいる女性たちのためにも何かしなくてはと思い、キャンペーンを立ち上げました。リサーチを重ねる中で、やっとシャーザードさんの夫の行方がわかったんです。つい先週のことで、彼らのグループが最後にいた場所、夫と思われる人が処刑された場所などの情報が出てきました。うれしくもあり悲しくもあるのですが、キャンペーンとしてはいい方向に向かっているのではないかなと思います。

 

もうすでに次の作品に取りかかっていらっしゃるそうですが、このキャンペーンと映画制作を両輪で続けていくのでしょうか。

 

正直言って、キャンペーンはある程度の成果が見えたら、僕は一歩離れようと思っています。イラク政府と、ボスニアの集団墓地から身元不明者を見つけて遺族に返す取り組みをしているICMP(The International Commission on Missing Persons)という国際機関と、このキャンペーンをつなげようとしているんです。もし彼らが合同で本格的に捜査に乗り出してくれるのなら、それが1つの成果であり、一歩前進できるでしょう。2年以内にそうならなければ、もちろんあきらめずにキャンペーンを続けていきますが、姉に夫の行方が告げられた日に、僕は退こうかなと考えています。国連の職員でもないし、アクティビストでもないし、やはり僕は映画作家として映画を作っていきたいんです。

 

(※このインタビューは2011年4月17日に行われました。)

 

モハメド・アルダラジー:バビロンの陽光 | REALTOKYO
(c)2010 Human Film, Iraq Al-Rafidain, UK Film Council, CRM-114

プロフィール

Mohamed Al Daradji/1978年、バグダッド生まれ。バグダッドでファインアートを学んだ後、オランダで映画・テレビの制作を学ぶ。オランダ在住時にTVカメラマンとして、ドキュメンタリーやスポーツニュースなどを手掛けた後、イギリスで撮影と演出の修士号を取得。2003年のフセイン政権崩壊後、イラクに帰国して初監督した『夢(Ahlaam)』(アラブ映画祭2006で上映)は、125の国際映画祭で上映され、22の賞を受賞し、07年の米アカデミー賞外国語映画賞イラク代表候補にも選出された。08年、再び祖国に戻り『バビロンの陽光』を制作。ベルリン国際映画祭でアムネスティ国際映画賞・平和映画賞をダブル受賞し、サンダンスを始め各国の映画祭で高く評価され、再び米アカデミー賞にノミネートされる。同時期に、長編ドキュメンタリー『Iraq: War Love God and Madness』も完成。一方、10年には『バビロンの陽光』のテーマにもなっている、イラクで発見された無数の遺体の身元を調べるための「イラク・ミッシング・キャンペーン(IRAQ'S MISSING CAMPAIGN)」プロジェクトを創設。現在、女性自爆テロリストについての物語『The Train Station』、孤児院の未来について描いたドキュメンタリー『In My Mother’s Arm』を制作中。

インフォメーション

バビロンの陽光

6月4日(土)から、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー

配給:トランスフォーマー

公式サイト:http://www.babylon-movie.com/

 

イラク・ミッシング・キャンペーン:http://www.iraqsmissing.org/

寄稿家プロフィール

まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。