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Interview

035:小川和也さん(『Pink SUBARU ピンク・スバル』監督)
聞き手:福嶋真砂代
Date: April 22, 2011
小川和也さん(『Pink SUBARU ピンク・スバル』監督)| REALTOKYO

イスラエル/パレスチナは、民族、宗教などの様々な違いが複雑を極め、深刻な歴史を抱えてきた特殊な土地。その場所に、イタリアで知り合ったイスラエル出身のアラブ系俳優アクラム・テラーウィを介して縁が繋がり、人々の普通の日常にフォーカス。陽気さ、おかしさ、人間味に溢れるコメディを撮った小川和也監督。自身もニューヨークやイタリア・トスカーナ地方に住み、映像制作を中心に多彩な活動を行ってきた。多国籍のスタッフと一緒に作った本作で伝えたいことや自身のことなどについても、豊富な経験から滲み出る言葉で語ってくれた。

 

色にこだわり、ピンクのわけは秘密……

 

今日は小川監督もピンクのパンツを着用してるらしいですが(注:舞台挨拶後に披露していた)、この映画で「ピンク」という色を選んだわけは?

 

わけは……、ネタバレになってしまうので秘密にしておきましょう。基本的にはピンクはハッピーな色だと思ってて、イスラエルとパレスチナを舞台にした映画ということで、タイトルでまず「怖い話じゃないんだよ」っていうのを見せたかったというのがあります。 さらにアラブ人社会で男性がピンクを身に着けるというのは、いまの若い人はそういう傾向はなくなってきましたけど、日本の昔の社会でもおじさんがピンクを着てたらちょっと変な人と思われたと思うんですけど、そういうのがいまのアラブでもあります。ズベイルはマジメな男という設定なのですが、そんな彼のエンディングのリアクションに注意して観ていただけると、秘密が解けるかと思います。

 

紛争地帯が舞台とはいえ、映画では土地も人々も空気も輝かしく撮られていて、美しさが印象に残ります。

 

本当に綺麗な場所なんです。僕が思うのは、神様というか、神という概念が生まれた場所だからこそ、そこには辛いことがあったという事実ももちろんあるけれど、美しくないところからは、神という「希望」は生まれないと思いまして。やはり聖地と呼ばれるだけのことはあると思いますね。

 

死海も美しいし、それから空の色が本当に鮮やかです。

 

空の青をどれだけ強調するかというのはこだわったところです。イタリアに住んでいたころ、イタリアの空の色が本当に美しかったのですが、ちょうどイスラエル、パレスチナに滞在したときもイタリアと同じ色で、その青をそのまま出したいというのがありました。

 

小川和也:Pink SUBARU ピンク・スバル | REALTOKYO
(c)Revolution Inc.

中東での多国籍の人々との共同作業

 

監督にとって中東は、違和感よりも親近感の方が大きかったですか。

 

そうですね。主演のアクラム・テラーウィさんとはイタリアで知り合って、彼の妻でオペラ歌手のジュリアーナ・メッティーニさんも一緒にいろいろ芸術的な活動をしてきました。そのアクラムが故郷のイスラエルに僕を招いてくれたわけですけど、到着したら、彼の親戚がどんどん集まってくるんです。僕が小さいころ、親戚が集まってきたのを思い出してすごく懐かしくなりました。見ると古いセイコーの時計が壁にかかってて、それも僕のおじいちゃんの家にあったなと思ったり(笑)。昔の職人気質を持ったようなおじさんとかも多く、なんだか昭和っぽさも感じてました。

 

そういう雰囲気はアラブ系だからこそですか。ユダヤ系の家では違うんでしょうか。

 

いや、似てます。根本的には違う部分があるのかもしれないですけど、同じ土地で生まれてる人たちだというのと、陽気さも似てるし。似てるがゆえのケンカで、宗教の違いもありますが、そういうのを感じます。しかも両方とも精神が強い。アメリカ人、もしくはヨーロッパ人以上に「ごめんなさい」と謝らないんです。そこは隙を見せてはいけないんですね。日本では「ごめん」とすぐ言ってしまいがちですが、彼らはそうじゃない。でも「ごめん」と思ってるだろうなというのは理解できます。どっちがいいか、でしょうね。

 

では、一緒に仕事をした中東の人たちは、わかりあえる仲間でした?

 

そうですね。今回は、イスラエル人、パレスチナ人、イタリア人、日本人のスタッフが一緒だったのですが、アラブの人たちといちばん仲良くなれるのは日本人でした。それは僕以外の日本人スタッフも感じてて、実直な部分が共通してるのかなと思います。もちろん、イタリア人も夜中まで騒いでるけど、翌日はちゃんと朝早くから仕事をするし、陽気だと仕事ができないと誤解されがちですが、そうじゃなくてとても仕事熱心。職人気質の固まりではありますね。だけど彼らは、やる気になるかどうかっていうのが問題なのかも(笑)。

 

小川和也:Pink SUBARU ピンク・スバル | REALTOKYO
(c)Revolution Inc.

ニューヨークからイタリアへ

 

ちょっと映画から離れますが、ニューヨーク(NY)で勉強と仕事をした監督はいったん日本に戻り、さらにイタリアに行って住んだということですが、なぜイタリアに?

 

生意気な言い方をすると、選んだというよりは、選ばれたみたいな気がしてるんです。NYには5年間住もうと最初から決めてて、だいたい予定通りでした。僕は外国でがんばるというより、外国で学んだものを日本に持って帰りたいという発想なんですね。で、NYでの最後の仕事でNHKのあるプロデューサーと知り合い、彼に「仕事がふたつあるけど」と言われました。ひとつは大阪でのプロダクションの仕事、もうひとつはイタリアに行ってみないかということでした。考えたこともなかったから、イタリアには「行くわけない」と思ってたんです。結局、この映画のプロデューサーの宮川秀之さんのところに行くという話だったのですが、「行きませんよ」って返事しておいて、電車に乗って帰る途中にふと「行こう」って思ったんです。なぜかというと、これでいま行ったら面白いんじゃないか、「行くわけない」と思った自分が行ったら面白いんじゃないかって。まったく知らない土地だし、Happyという英語も通じないような田舎で、もちろんイタリア語も知らなかった。ということは、『2001年宇宙の旅』の原始人みたいに、初めて棒を持ったときに「なんだこれ?」っていろいろ試して発見していったような、そんなプリミティブな感覚を味わえるんじゃないかと思ったんです。母にそれを言ったら、「私なら行くわよ」ってさらっと(笑)。で、最終的には、こうやって『Pink SUBARU ピンク・スバル』という映画という形になりました。ま、それだけではないですが。

 

では当初は映画を作ろうというのではなくて、まず行ってみようという感じだった?

 

常に僕は、短編だろうが長編だろうが、ドキュメンタリーだろうが、映像のことを考えていますので、映画を作ろうという気持ちはずっとありました。

 

宮川プロデューサーの仕事も幅広くて、福祉的なことでも活躍をされていますね。

 

はい。映画と同時に、宮川プロデューサーのことも世の中に知ってもらえるといいなという気持ちもあります。彼の持ってる福祉のフィロソフィーがすごく面白くて、彼と奥様との考え方なんですが、「福祉をするというのは、ギブじゃなくてウィズだ」というものです。孤児たちにお金を与えて助けるのではなくて、家の中に呼んで一緒にごはんを食べて初めて福祉と言える。貧乏なときから福祉をすることが大事なんだと。パンが1個あればそれを分け与えるというクリスチャン的な考え方に基づくのですが、かと言って決して狂信的ではなくて、イエス・キリストの存在自体がかっこいいのだという感じです。ジョン・レノンがかっこいいのと同じように。

 

小川和也:Pink SUBARU ピンク・スバル | REALTOKYO
(c)Revolution Inc.

この映画の完成は“小さな答”

 

イスラエル/パレスチナと言えば、歴史的なことを含めてシビアな話になりがちです。視点によって描き方もかなり変わると思いますが、そういう意味ではこの映画の“楽しい”視点は新鮮でした。

 

いまの日本の原発問題もそうであるように、海外から見るととてもシビアに映るわけで、実際深刻なことがありますが、ただその中にもこうやって笑っている人もいるということはなかなか想像できないと思うんです。国内のことで言えば、先日、子供を亡くした母親がその死亡届を出すドキュメンタリーをやっていましたが、それって誰でも想像がつくことで、想像がつくことをやってもあまり意味がないと思うんです。そんな中にも素敵だなと思った映像があって、屋根の隙間かどこかに何日間か閉じ込められてた老夫婦が救出されて、それを撮ってたカメラマンが「どうでしたかー?」とマイクを向けると、「大丈夫、大丈夫、復興、復興!」という感じで老夫婦が明るく去ったんです。それもひとつの真実じゃないですか。それを見たときに、まさに『Pink SUBARU ピンク・スバル』の精神と同じだなと思ったんです。パレスチナからの情報は、もちろん大変な面も伝えないといけないことだけど、いままでパレスチナの楽しい部分を伝えたものを見たことがないなと思ってました。実際に僕が経験したような楽しさをどうして伝えないのかなって。だから、それが僕の役割だと思ったんです。もちろんセンシティブな場所だからこのアイデアについてイスラエル/パレスチナのいろんな人に聞いてみました。そうしたら僕のアイデアに賛同する人が多かったんです。反対する人もいることはいました。でも基本的には、そういう精神に賛同してくれた人がほとんどでした。本当にいろんな人との縁が積み重なって出来たのがこの映画だと思います。あるときイスラエルとパレスチナが将来仲良くなれるかと聞かれて、僕は「すごく複雑なところだからわかりません。でも映画スタッフの中にイスラエル人とパレスチナ人が混ざってて、しかも日本人監督で、初めての長編。すごく難しいプロジェクトだったけど、こういう映画が完成したこと。それが小さな答になると思います」って答えたんです。自分でもうまいこと言ったなと思ったんですが(笑)、そういうことだと思います。

 

小川和也:Pink SUBARU ピンク・スバル | REALTOKYO
(c)Revolution Inc.

プロフィール

おがわ・かずや/1977年、神奈川県横浜市鶴見区出身。風呂屋の一人息子。東京ビジュアルアーツ映画学科卒業後、マンハッタンにある大学School of Visual Artsの監督コースに編入。在学中、卒業後も含め映画制作、ミュージックビデオ制作など多くの分野にわたって映像関係の仕事につく。卒業制作の『人形の首と愛国心』はNYのDusty Film Festivalでベストオルタナティブフィルム賞を受賞。5年間のアメリカ生活から帰国後、すぐイタリア・トスカーナ州にある人口3000人の村スベレートに移住。スベレート村で在イタリアパレスチナ人俳優アクラム・テラーウィと運命的な出会いを果たす。その妻でオペラ歌手のジュリアーナ・メッティーニとともに幾度かイスラエル/パレスチナを訪れ、本作の着想を得て脚本を作り始める。2009年、トリノ映画祭のオフィシャルセレクションに『Pink SUBARU ピンク・スバル』が選ばれる。プレミア上映は映画祭メインホールのゴールデンタイムに行われ、会場に入りきれない数百名の観客が列を成すという快挙を遂げた。

インフォメーション

Pink SUBARU ピンク・スバル

渋谷アップリンクほか全国順次公開中

宣伝・配給:レボリューション

公式サイト:http://www.pinksubaru.jp/

寄稿家プロフィール

ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。