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Interview

033:エズミール・フィーリョさん(『名前のない少年、脚のない少女』監督)
聞き手:福嶋真砂代
Date: March 29, 2011
エズミール・フィーリョさん(『名前のない少年、脚のない少女』監督) | REALTOKYO

南ブラジルのドイツ系移民の小さな村「テウトニア」を舞台に、思春期の少年少女の心の揺れを神秘的な映像とポップな音楽で斬新に表現。ブログやフリッカーなど、インターネットツールを使って選んだ地元のキャストやスタッフと共に撮影を行なった。そんな新しい映画の可能性に挑むエズミール・フィーリョ監督が初来日。日本の街や若者たちにも好奇心旺盛に目を向けていた。日本の印象や「橋」をモチーフに神秘的な雰囲気を漂わせる初長編作品について、他社とのグループインタビューで話を聞いた。

本と撮影は対話をするように同時並行で…

 

初めての日本の感想はいかがですか。

 

人々の温かさに包まれてる気がして、とても気に入っています。来る前の東京のイメージは混沌としていて、人が多くて、イルミネーションがすごくて、電気製品に溢れてるというイメージで、確かにそのとおりだったのですが、それ以外の部分も今回知ることができて、下北沢や高円寺、日光にも行って、ちょっと違う部分を見ました。もっと日本にいたいという気がしてます。

 

日本とブラジルのティーンエイジャーに違いは感じますか。

 

全世界的に共通していると思うんですが、躍動感があって、強いものを持っていて、これから世界は新しいことが始まるんだというようなワクワクした感じがありますね。何か問題にぶつかると苦しみ過ぎるとか、泣くと大泣きになったり、笑ったら何がおかしいのかわからないほど笑ったりとか、人生のいろんなことを実験しているような世代だと思います。サンパウロと東京のティーンズを見ると、躍動感が似ていて違いは感じられません。

 

原作本とこの映画の関係性について教えて下さい。ちょっと変わっているとか…?

 

この映画は、単なる映画のストーリーで終わるのではなく、観てから本を読んでもらうとか、またはいろんなところにアクセスしてもらうとか、どんどん世界を広げてもらいたい作品なんです。原作は、イズマエル・カネッペレ(ジュリアン役で出演)が書いている本です。本を半分書いたところで彼が私にメールで送ってくれました。イズマエルの半生というか、ドイツ系移民が多く住むブラジル南部の、とても寒い町での彼の思春期の話でした。それを読む内、自分の思春期と似てると思いました。僕自身はサンパウロの大都会で育っているので場所は全然違うのですが、何かすごく共通するものを感じて、半分読んだところで映画にしたいという気持ちが出てきました。

 

シナリオは、原作者のイズマエルと一緒に書きました。彼は18歳からサンパウロに出てきていましたから、撮影のために一緒にその街へ戻り、そのときまた新たな発見があって、本に付け加えたりしました。そういう意味で原作の本は、撮影と同時並行で対話をするようにイズマエルが書いたものです。僕がビデオを撮って彼に見せて、彼がそれにインスピレーションを得て書いたところもありました。だから彼にとっては「映画の本」であり、僕にとっては「本の映画」なんです。原作があって映画がある、というものではないのです。

 

音楽を担当しているネロ・ヨハンも、このロケ地の町出身のミュージシャンなので、トゥアネ(少女)が撮った実際の写真と、彼の音楽が組み合わさって出来たのが今回の映画です。

 

エズミール・フィーリョ『名前のない少年、脚のない少女』 | REALTOKYO

音と映像が語るものとキャスティングの秘密

 

音楽も良くて、特に田舎の犬、虫、鳥、水など、自然の音がとても美しく印象的でした。

 

僕も大都会に住んでいるので、田舎に行って初めて、音はそこに住む人たちの生活の一部になっていると感じました。最初、田舎は静かなところというイメージを持っていたのですが、そうではなく、足音、鳥、虫など、うるさいほどに音が自分の中に入ってきたんです。音にはとても関心があり、音と遊んでいると言ってもいいと思います。コップを置く音ひとつにしてもいろいろある。音が与えるイメージはとても大きいと思うので、むしろ音が僕の撮影のイメージを創っていると言えると思います。音のデザインは僕にとってとても大切で、興味があります。

 

画の作り方も独特で、シネマスコープ・サイズで、少年のまわりにわざと空間を取るように撮っているように思いました。

 

いつもはビデオで動画を撮っていますが、ビデオの場合はスクリーンの左右幅が狭い。一方シネマスコープを使うと、もっと画面が広く、ひとりの人のスペースがさらに多くなるので孤独を表せる。少年のまわりのスペースを多くしたのは、少年の父親が死んでいるので空虚感を表すためです。ジングル・ジャングル(=トゥアネ)の場合も、彼女は死んでいて、バーチャル世界の中で出てきます。少年の頭の中にあるものを表そうとしているので、本では主人公のモノローグになっていますが、映画はその頭の中のことを客観的に表す必要があり、いろんなシンボルを使って、彼の目を通して伝えられるような映像を作ってます。

 

キャストは素人を起用したということですが、どのように選んだのですか。とりわけおじいさんとおばあさんの存在感が印象的でした。

 

インターネットを通して400人の若者に会い、そこから40人に絞ってワークショップをしました。僕の中にイメージがあって、そのイメージに合うのはどの子かと選んだのですが、彼らの素のままの生活を借りたという感じなんです。だから実際こういう生活をしてる子はどの子だろうと、彼らの目を見て決めました。ジングル・ジャングルという少女は自分で写真をネット(フリッカー)に載せていたので起用しました。カメラとか機材の問題で撮り直しはありましたが、彼らの自然のまま、生活そのままを撮ったという感じです。強いものを持っていたので、まったく映画に出たことのない人を使っても難しいことは何もありませんでした。

 

彼らにはまず本(原作)をしっかり読んでもらいました。本のほうが、心情などがよく表れているからです。リハーサルではシナリオを読みましたが、例えば「明日はこのシーンをやるからこれを覚えてきて」というようなやり方はしていなくて、「明日は橋のところを撮るからね」と言うだけでした。本読みとリハーサルですべて彼らの頭の中に入っていたのです。

 

おじいちゃんとおばあちゃんですが、実際に6月のお祭りに行って、あのふたりが映画のままの服装で踊っているのを見て話をしました。毎年お祭りにはあの服を着るんだと言ってるのを聞いて、そのまま映画にも出てもらったんです。映画でおじいちゃんと少年が話をしていなかったのは、おじいちゃんはドイツ人でドイツ語しか話さない。少年はドイツ語ができなくて(世代間のギャップで)話してないのです。伝統のシンボルとしてのおじいちゃんでもあるし、それが消えかけているというシンボルでもあります。

 

エズミール・フィーリョ『名前のない少年、脚のない少女』 | REALTOKYO

バーチャル世界とリアル世界

 

YouTubeで『Tapa na Pantera』を発表して話題になりましたが、これからも短編をネットでアップしていきますか。それとも長編作品のみになりますか。

 

短編ビデオも自分の人生の一部だと思っているので、これからも続けていくつもりです。短編は長編よりさらに深く感情や心情を表すことができると思うので、いまはたまたま長編に挑戦して冒険していますが、短編も好きなのでこれからも発表していこうと思ってます。『Tapa na Pantera』という短編は、自然発生的に出来たビデオをネットに載せたら、それを観た人の間で「みんなに伝えたい」と口コミで広がって多くの人が見てくれました。インターネットにアップしてしまうと何が起こるかわからない。『Tapa na Pantera』はブラジルでヒットしましたが、『Vibracall』という短編はアメリカで300万アクセスあったのに、ブラジルではヒットしませんでした。アップしてみないとわからない世界です(笑)。

 

インターネットは、世界が広がる一方でそこに閉じこもってしまう人もいます。監督が感じているネットの可能性は? また、それをどう映画にリンクさせていくのでしょうか。

 

その通りで、世界が広がると同時に狭くなるという面はあると思います。映画でもそういうメッセージが入っていますが、子どもたちは生まれながらにしてネットがあって、その中に住んで成長していくという状況で、バーチャルとリアルな世界が混ざりあっています。しかしバーチャルな世界で友達を作っても、結局は孤独を感じてしまう。バーチャルな世界で友達がいっぱいいるというのは幻想でしかないので、実際は孤独。ひとりであることに気づいてしまう。映画でも、最後にはバーチャルな世界だけではなく、人と人が触れあうことが大切だというシーンが出てきます。インターネットの世界はまだ始まったばかりで、これからどんどん進んでいく時代だと思います。だからなおさら、バーチャル世界が広がってもフィジカルなコンタクトのある世界が大事になっていくよと言いたいですね。

 

最後に、映画監督になろうと思ったきっかけは何でしたか。

 

フェデリコ・フェリーニ監督の、考えさせられるような映画の終わり方が印象的で、そんな映画を作りたいと思い、映画の大学に入りました。そこでいろいろ短編を作る中で、自分の見方を試していったのが経緯としてあります。ストーリーは語り尽くされているように思うので、そのストーリーをどう見るかという、それぞれの視点が映画を作るには大切だと思います。僕の映画は感覚的な映画なので、音と映像を通して心情を表していくという作り方。ミステリーっぽくなっていますが、最後に種明かしがあるというものではありません。自分にとっていま表現したい、伝えたいということを映画で表していきたい。映画は、僕が世界と会話をするために必要なひとつの表現方法になっています。

 

エズミール・フィーリョ『名前のない少年、脚のない少女』 | REALTOKYO

(※このインタビューは2010年10月12日に行われました。)

 

プロフィール

Esmir Filho/1982年、サンパウロ生まれ。2004年、FAAP映画学校を卒業。 以後、短編映画の監督として輝かしいキャリアを築く。 短編『Alguma Coisa Assim (Something Like That)』は06年、カンヌ映画祭批評家週間で最優秀脚本賞を、またビアリッツ映画祭では最優秀作品賞を受賞。『Ímpar Par (Paired Off)』は05年、キエフ国際映画祭で最優秀作品賞を受賞。ビデオ作品『Tapa na Pantera (Slap the Panther)』はYouTubeで1000万回以上見られたと言われる。最新の短編『Saliva (Saliva)』は07年のカンヌ映画祭批評家週間に選出され、シッチェス・カタロニア国際映画祭で短編作品グランプリを受賞。この『名前のない少年、脚のない少女』が最初の長編作品となる。

インフォメーション

名前のない少年、脚のない少女

3月26日(土)から、シアターN渋谷ほか全国順次ロードショー

宣伝・配給:アップリンク

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/namaenonai/

寄稿家プロフィール

ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。