

2006年の『サラエボの花』でベルリン国際映画祭金熊賞を受賞し、映画界にデビューしたヤスミラ・ジュバニッチ監督。前作では、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で受けた傷を背負いながらも寄り添って生きる母娘を描き、2作目となる本作『サラエボ, 希望の街角』では、前作同様に傷を抱える男女の心の変化を丁寧に掬う。原題『Na Putu』(英題『On the Path』=道の途上)に込めた想いとは? 自身もサラエボで生まれ育ち、10代で紛争を経験した証言者でもある監督にインタビューした。
前作の主人公エスマと本作の主人公ルナ
サラエボという特別な場所が舞台でありながら、「より良く生きたい」という人間の根源的な欲求と、そのベクトルがずれてしまった男女を描いた、普遍性のある物語だと感じました。シナリオを書くに当たってイメージしたことは何でしょう。
前作『サラエボの花』と今回の作品では、まったく違う形の2つの愛について語っています。私はずっと、母子の愛と男女の愛を区別できるよう、異質な2つの愛を表す新しい言葉が必要だと感じてきました。今回は、現代のサラエボに生きるカップルを描いていますが、2人はただ愛し合っているというだけでなく、同じような紛争の記憶を持っていることで絆を強め通じ合っています。しかし、ある出来事が彼らに違うリアクションをもたらしました。日常が変化し、その変化を受け入れるために、2人は異なる答えを導き出さなければならなかった。私はこの作品で、恋愛関係において「他人を受け入れる」ということを探り、人はどこまで自分に正直でいられるのかということを突き詰めてみたかったのです。

前作は、紛争中のレイプにより生まれた娘と母の葛藤を描いた作品でした。今回の作品では、子供を産むべきかという選択をする現代女性の繊細な気持ちの変化が丁寧に描かれています。ルナという女性の生き方に込めた監督の想いを教えて下さい。
前作の主人公エスマには産むか産まないかという選択肢はなかったのです。収容所でレイプされ、中絶できない時期まで監禁されていましたから。今回のルナには仕事があり、自分を愛してくれる恋人との幸せな生活を信じ、そして子供を欲していますが、環境が変わってしまったことで女性としての根本的な疑問を持つ。いちばん大切なことは、ルナは自分自身で決断できるということです。
かつて家族と暮らしていた家をルナが訪ねるシーンが印象的でした。現在そこに住んでいる少女に「どうしてこの家を出て行ったの?」と聞かれ、ルナはただ頭をなでる。何も語りませんが、ここで彼女が考え、受け止めたものとは何でしょうか。
ルナは10年以上行くことのできなかった昔の家を訪ねますが、彼女が子供のころ、町がセルビア軍に占領され、家を追い出されて両親が殺されました。その場所への訪問は、彼女にとってエモーショナルな瞬間なのです。まず、行こうと決心するまでにかなりの努力が必要でした。自分の人生に起こっている目の前の一大事を決心する上で、過去と対峙し過去の問題を解決することが必要だと彼女は思ったのです。現在その家に住んでいる少女は、言ってみれば「敵の娘」。「ここは私の家なの」と言う少女に「いいえ、ここは私の家よ」とルナは言い返したかったのですが、この子もかつての自分と同じだと、子供には何の罪もないと気付く。そしてルナは少女に愛を与えます。彼女はその子に自分を発見し、自分自身を勇気づける。この愛が彼女を動かす力になったのです。

サラエボが歩むべき未来のイメージ
チリンチリンという風鈴のように繊細な音色、クラブの爆音、ボスニア民謡など、音響や音楽の使い方も印象的でした。音楽を手掛けたブランコ・ヤクボヴィッチさんはDJとして出演もされているようですね。
ブランコはDUBIOZA KOLEKTIVというバンドで有名で、この作品のいちばん最初の音楽は彼らの楽曲。いまのボスニアで最も重要なバンドといってもいいくらいの、偉大なバンドです。私は音楽に取り組む作業が大好きなんです。サウンドデザイナーのイゴールと一緒に、何ヶ月もかけていろいろな音から音楽を作りました。サウンドスタジオにいると、とても幸せです。あの風鈴はガラスでできていて、映像を観ながら、実は私がそっと鳴らしていたんです。また、アマルが酔っ払って歌うシーンでは、私もバックボーカルとして歌いましたし、ほかにもたくさんの音楽を作りました。
紛争前のサラエボは、異なる民族や宗教が大らかに共存する世界的にも稀な理想の街だったと聞いています。不条理で不寛容な社会状況は今や世界的な現象ですが、サラエボがこれから歩むべき未来、世界がこれから歩むべき未来はどんなイメージでしょう。
私も知りたいです(笑)。これについてクリアに答えられる人もいなければ、クリアな答もないと思います。サラエボは、もっとポジティブな形で過去のトラウマ的な経験から抜け出す方法を見つけないといけませんが、簡単ではありません。経済的状況が自由を許さない現状ですから。文化面での寛容さや異質なものへの愛を持ち、他者への恐怖、新しいものや知らないものへの過剰反応をなくすことでしょうか。私がいつもいちばん大切だと思っていることは、物事は何でも1つではないということです。残念ながら、私たちの文明や経済は操作から成り立っています。この操作は、みんなが同じ方向に向くという性質上成り立っていますが、人生というのは様々であり、私たちは様々な美しさを享受すべきなのです。

ラストのルナの決断は観客それぞれの解釈で
簡単に癒えることのない大きな傷を抱えながらも、未来に向かう道を歩き始めるルナのまなざしが感動的なラストでした。凛々しくも澄みきった表情が印象的で、潔く生きる彼女の姿勢が表れていますね。今後もサラエボに生きる女性たちにフォーカスした作品を手掛けていこうとお考えですか。
ラストでルナは自分自身の中にある真実に辿り着きます。彼女は大いに変化し、自分の人生がアマルの人生とは違う方向へ進んでいると気付いたのです。そして、その新しい道がどんなに困難なものであっても進んでいこうと決めた。それは彼女の決断であり、彼女のための人生なのです。私はこれからもこの街で映画を作りたいと思っています。
ルナの決断について、監督自身の考える結論はありますか。
もちろん! でも、私は観客の皆さんに自分なりの解釈をしてほしいのです。観客をトリックで翻弄しようとか、そうした意図ではないから、誤解しないで下さいね(笑)。私はあくまでも観客に結論を委ね、どのように話が終わるのかを自分で決めてほしかったんです。この作品を発表する過程で、度重なる旅を通じて私は様々な答に出会いました。西欧では、ルナは子供を中絶し2度とアマルには会わないんじゃないかとか、東欧では、彼女は子供を生んで1人で育てるんじゃないかとか。また最後のシーンでのアマルの視線にも、いろいろな意見がありました。彼はルナのもとに戻り、また仕事も得るだろうとか。人生の重要な局面で、もし自分だったらどんな決断を下すのかと、この作品が自分自身の深層心理を知るきっかけになればうれしいですね。
最後に、日本の観客へメッセージをお願いします。
日本の皆さんに観ていただく機会を与えてもらって、たいへん光栄です。日本の観客をとても尊敬しているので、皆さんがこの作品を気に入ってくれたら何よりです。前回の来日で日本から持ち帰ったものを2つ、この作品の中に取り入れているので、探してみて下さいね。
プロフィール
Jasmila Zbanic/1974年、サラエボ生まれ。サラエボ演劇アカデミー舞台・映画監督科を卒業。映画製作に携わる前は、アメリカのバーモントを拠点とする人形劇団「ブレッド&パペット」でピエロとして活躍していた。1997年から、自身が設立したアーティストのための協会Deblokadaで映画製作を始める。デビュー作『サラエボの花』は2006年のベルリン国際映画祭で金熊賞、ブリュッセル・ヨーロッパ映画祭でカンヴァステレビ作品賞と主演女優賞、AFI映画祭長編外国映画部門審査員大賞、レイキャビク国際映画祭ディスカバリー賞など多くの賞を受賞。『サラエボ, 希望の街角』は長編第2作目。
インフォメーション
2月19日(土)から、岩波ホールほか全国順次ロードショー
配給:アルバトロス・フィルム
寄稿家プロフィール
まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。