

「音楽、映像と同時に、リリックでグルーブを作る」。そう監督が語るごとく、特に言葉に託されたグルーブ感が印象的。最愛の人の記憶だけが消失するというなんとも悲しい奇病が蔓延する東京を描き、そこに浮遊する都会人の感覚を体感させていく。自身も俳優として物語の“媒介”となるようなキツネ役で存在感を見せる。飾りを削ぎ落とした末に見つける大切なものとは……? 8年ぶりの長編作品で伝えたい「映画の感情」について、言葉豊かに語ってもらった。
主人公テルを演じる草野康太さんのモノローグの語感とかリズムが印象的でした。監督は「リリックでグルーブを作る」と語っていましたね。
ナレーションには2つの意味があって、シーンの補足説明をする場合と、もうひとつはグルーブを作っていく場合。作劇論的には実はナレーション無しで作れたほうが脚本としてはいい脚本だと思うんです。ナレーションに頼らないほうが。でも今回は、そういう説明的要素も入れてはいるけど、それよりもっとグルーブ的なことを考えました。脚本を書くとき、僕は音楽の曲を作るような感じで書いているんです。
どんなふうにですか。
例えばロックだったら、ギター、ベース、ドラムがあり、歌が入る。歌はストーリーですね。ギターは、これは正しい翻訳かどうかわかんないけど、撮影的なことや映像的な技術だと思う。だからギターソロは、話は別に進まないけど、なんかかっこいいシーンや画が入る感じです。ここでナレーションというのはベースに相当する。ベースが単調じゃなく、ベースライン自体がハネてる感じ。そうするとドラムはカッティングで、シーンや映像自体のカッティングをイメージしながら書いているんです。僕自身はバンドではボーカル担当なので、ギターで作曲する以外は楽器は弾けないんだけど(笑)。つまり、映画でロックをやっているつもりなんです。ロック映画を作ってるんじゃなくて。
「映画の感情」とは……?
なるほど。グルーブを感じながら観ていて、気持ちよかったです。
映画として成立するということの唯一のポイントは、「映画の感情」があるかどうか。どんなエクスペリメンタル映画でも、話も何もわからない映画でも「映画の感情」がちゃんと貫かれていれば、映画として成立する。「映画の感情」というのは、カッティングだったり、音楽、役者の芝居だったり、いろんな要素があるけど、それさえあれば逆に何をやっても、人は映画として認識するんだと思う。例えばデヴィッド・リンチの『ロスト・ハイウェイ』は何回観てもわからない。白塗りの小さなおじさんが出てきてわけがわからないんだけど、でも、その人が出てくるとグルーブが生まれるわけです。それが映画の感情。なんか気持ち悪い人が出てきたときに「気持ち悪い」というエッセンスがある。すると次のシーンに不穏な空気が流れるんです。『アワ・ブリーフ・エタニティ』でも、テルさんの近所でタバコを吸ってるデカい人がなんだかわからないけど出てくるんですが、最終的に小さい男を追いかけてボコる(殴る)という流れなんだけど、あの話は全然要らないわけ。
あの流れは『ツイン・ピークス』みたいでおもしろかったです。
なぜあの話を入れたかというと、気持ち悪さをちょっと付け加えたい。例えばキャンバスに絵を描くとき、赤い色ばかりでちょっと足りない、もうちょっと暗い色が欲しいと思ったら、ちょっと黒を上から塗ってみるとかね。そういう感じであのショットがあるんです。作劇論的にはまったく効いてないんですけど、映画的には効いている。そういう作り方が好きなんです。ナレーションも含めて。

映画は東京を映しているのに、なぜか異国な感じを受けます。さらに監督からも、どこか異国の匂いがしてならない……。
よく言われるんですけど、出身は埼玉です。でも、両親のルーツを辿っていくといろんな血が混ざっていることがわかって、母方の家系をかなり溯っていくと沖縄の小さな島のユタ(シャーマン)の血もあったり。さらに、たぶんフランスなんだけど、海外の血も混じっている(笑)。もう“nation”というのは後付けだと思ってるところがあるんですよね。もちろん僕は日本人で埼玉人だというこだわりはありますけど。
アジアのカオス感を映したい
そういう意識の土壌があるから、東京なのに外国っぽく映るのかもしれない。
レオス・カラックスやクレール・ドゥニ監督が撮るパリが好きなんだけど、パリ自体は大してきれいな街ではなかったりする。でもたとえ汚い街を撮っていたとしてもかっこいい。建築の違いももちろんあるけど、ヨーロッパ映画の街の撮り方が好きなんですね。だから「オレの見てる東京」をあえて撮りたかった。ロケハンもいっぱいしました。新宿、代々木、大久保辺りが僕にとってのリアルな東京なんです。以前、上海に行ったときに新旧の建物がごちゃごちゃに入り乱れたカオスがあって、そういうアジアのカオス感を映したいなと思ったんです。
境界線がごちゃごちゃになってる感じですね。
そう。東京ってそういう街だなと僕は思ってて、ただ上海と違うのは、上海の人たちの欲望は単純だけど、東京の欲望は複雑で、それは別の話として映画では扱ってます。一度上海で身ぐるみはがされそうな目に遭ったんだけど、彼らは1元でも多く欲しいという欲望(悪意)がある。でも今の東京には、僕が「無自覚な悪意」と呼んでる悪意(欲望)がある。つまり犯罪の理由が見えない。ただ刺したかったからナイフで刺したとか、悪意を持つことに対しての責任がない。無自覚だし、想像力が減退している。その原因はいろいろあるとは思うけど、そういう気持ち悪さがあるのが今の東京だなと思ってるんです。文明の発展に対して人の成長が追いついてない気がして、その気持ち悪さを描かないと東京を描いたことにならないと思うんです。
不気味と言えば、奇病を起す「エマノン・ウィルス」はどのように?
僕は四畳半の男女の話の映画を観るのは好きだけど、作るときはもっとぶっ飛びたいという、宇宙人とか来ないかなぁって思っちゃうほうで、セカイ系の作家かと言えばそうだと思う。この映画は、ただダラダラした男が元カノとどうかなるという話で、それをそのままやっても面白くない。もっと大きな括りとして作るときに「ウィルス」というネタが出てきて、何のウィルスにしようかと考えて、記憶をなくすものが面白いんじゃないかと。
「エマノン」っていう名前がどこから来たのか聞いてもいいですか。
もちろん。そもそも「no name」という単語の逆読みなんです。そういうタイトルの曲もあるし、本も書かれてます。1作目の『PRISM』の後、2作目の企画を書いていたとき、うちのウェブデザイナーのメアドがemanonで、それを見て「かっこいい!」と思い、頼んでタイトルに。それで2度映画を作りかけたけど頓挫してたんです。『アワ・ブリーフ・エタニティ』を作るに当たって「まだエマノンをあきらめてない」という意識があって、名前を再度使ったんです。もしその『エマノン』ができてたら、8年間のブランクはなかったはずなんですけど……。
苦労の秘話があるんですね。
いつかは完成させたいと思って、今も4稿、5稿と書いてます。

主演の草野康太さんはダラダラ暮らしてるのに品があって、まさに「高等遊民」でしたね。衣装もなんとも不思議でしたし。
草野さんはイケメンで「銀幕のスター」だという印象があったのですが、実際に会うとただのイケメンじゃない。今までイケメンナイスガイの役が多かったけど、それ以上にいろんなものを抱えている人だなと魅力を感じて依頼しました。テルの衣装は、衣装部がすごくがんばってくれました。注文したのは、 他のキャストの衣装も同じですけど、脚本を読んで短絡的に決めないでくれということ。浮浪者だからボロボロの服という既成概念は捨てて考えてもらって、ベルベットのガウンとショール、下は普通のデニムなんですけどね。ショールもよく見ると変っていくのでチェックしてみて下さい。
僕は自分探しの話には興味がなくて。お金も住むところもある、セックスもしてる、特に自分に不満も無い、そんな自己完結している人がどんどん壊れていく。壊れたときに初めて「あれ?」と思う。そして最終的に何が残るか……、そんな話になってます。どんどんソリッドにしていったときに人間には何が残るか。それを感じていただければと思います。
プロフィール
ふくしま・たくや/1972年埼玉県生まれ。名古屋大学在学中より作品を発表し、イベントを手がける。石井聰亙(岳龍)監督『ユメノ銀河』に演出助手として参加。96年、オープンな関係性とクローズしない主義で、クリエイターズユニットP-kraftを設立。01年、長編劇映画『PRISM』で劇場デビュー。いくつかの短編を発表し、国内外で評価を受ける。『裸 over8』ではアソシエイトプロデューサー、『女子女子 over8』ではエグゼクティブプロデューサー、脚本提供を含めると50を超す映像作品を世に送り出す。『アワ・ブリーフ・エタニティ/OUR BRIEF ETERNITY』は8年ぶりの長編劇映画監督作品。
寄稿家プロフィール
ふくしま・まさよ/航空会社勤務の後、『ほぼ日刊イトイ新聞』の『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』コラム執筆。桑沢デザイン塾「映画のミクロ、マクロ、ミライ」コーディネーター。産業技術総合研究所IT科学者インタビューシリーズ『よこがお』など。