

2006年に『パビリオン山椒魚』で長編デビュー後、毎年コンスタントに作品を発表し、傑出したセンスとオリジナリティで観客と批評家を魅了し続ける。そんな冨永昌敬監督が挑戦したのは、「劇団、本谷有希子」で上演されたこともある『乱暴と待機』。監督と原作者をはじめ、1970年代生まれを中心とするスタッフで作り上げた話題作について聞いた。
本谷有希子との絶縁も覚悟?!
映画化に当たって、原作者の本谷さんからのご指名があったそうですね。
前から本谷さんとは友人だったのですが、最初に製作会社経由でお話をいただいて、こんなの自分にできるわけないと、自信がなくて一度お断りしたんです。家に帰ってからよくよく考えて、少なくとも自分からは本谷さんの原作を映画化したいなんて発想は湧かない、そういうお誘いはちょっと面白いんじゃないかと考え直して。自分からは絶対思いつかないものだから、うまく行くかどうかはともかく挑戦するつもりでやってみようと。駄作になったってしょうがない。ひょっとしたら、この映画を作ることによって本谷さんと絶縁するかもしれないと思ったんですけど、それもしょうがないよなと(笑)。
脚本を作るときは、どんなことに気をつけましたか。
あんまり自分の得意な方向に持っていかないようにしようと。ものを作っていると、「手クセ」というものが出てきますよね。自覚してやってるわけじゃないかもしれないけど、毎回そのクセが出てしまうという。僕はそれが嫌なんですよ。だから、どうにかそういうものが出ないように作りたいなと思いました。やっぱり自分が題材を選んだりすると、よくないんですよね。興味があるものや好きなものを映画化すると、どうしても自分のものにしかならない。これは自分の映画になるだろうっていう保証付きで作っても刺激に乏しいというか。ところが、こちらがうっかりお断りしてしまうほど意外な企画が来たというのは、考えようによってはものすごくラッキーなことです。原作者になりきるつもりで、とにかく原作通りにやろうと思いました。自分のほうに引き寄せて映画にしようとすると手クセが出るから、なんなら匿名でやってだませるくらい、ガラッと変わりたかったんです。そういうつもりでやらないと原作がもったいない。例えば、太宰治原作の『パンドラの匣』を映画化しましたが、舞台を昭和20年代から現代に置き換えよう、結核は今の時代に合わないからエイズにしようとかってやっちゃったらおしまいですよね。原作には忠実に作ろうと、いつもそのつもりでやってます。
本谷さんとは絶縁されてないですよね?
もちろんですよ(笑)。一緒に映画祭にも行きましたから大丈夫です。

気心知れた同世代のスタッフとの協働作業
キャスト4人のアンサンブルが絶妙でした。どういう順番で決めたのでしょう。また、現場での演出は?
まず浅野忠信さん、そして小池栄子さんと山田孝之さんがほぼ同時期に決まり、最後に美波さんという順番です。俳優さんの演技については、必要最低限の指示しかしてません。傍目にはいろいろしつこくやってるように映ったかもしれないけど(笑)。僕としては必要なことだけやったつもり。こういうのって、自覚しているかどうかだと思いますね。自分で自分のことを「演出にこだわる」なんていうのはおかしいんじゃないかと。過度な作為を否定的なニュアンスを込めて「こだわり」と呼ぶのであって、誇らしげに言うようなことではないと思います。建前として受け取られるかもしれないけど、とにかく僕は、原作に忠実に映画化したとだけ言いたいですね。
メインのスタッフは、ほぼ全員が1970年代生まれですね。
若い世代で固めようとしたわけじゃないんだけど、自然とそうなりました。カメラマンの月永雄太と整音・効果の山本タカアキは同級生だし、ほとんどみんな友人なんです。だけど、気心が知れてるからといって、得することはなし(笑)。損することもないし、まぁ、同じですね。
今回の音楽は、『パビリオン山椒魚』『パンドラの匣』で担当した菊地成孔さんではなく、大谷能生さんですね。相対性理論もよかったです。
菊地さんの音楽は本谷さんの書く物語には合わないなと思って。なにしろ『乱暴と待機』にはエレガントな要素が皆無だから、僕自身がイメージできなかったんです。一方、大谷さんの高度によじれた音楽は、このどんづまりの物語の隙間隙間にピタッとマッチするように思えたし、もともと僕と大谷さんは会えば映画の話をする仲だったんです。で、大谷さんを中心に主題歌を考えたときに、彼とは以前からコラボレートする機会の多かった相対性理論がすぐに頭に浮かんだんです。
音楽はどのように作っていったのですか。
今回は、先に録音をやってもらいました。すごく大ざっぱな言い方になっちゃいますが、大谷さんに台本を渡しただけです。撮影したものを見せる時間がなかったし、何も指定しなかったんです。大谷さんも忙しくて時間がなかったのですが、いろんな演奏を録音してくれました。デモを預かって、その中から何曲か選んで映像に付けたものを大谷さんに見せて、そこから改めて編集しました。ひょっとしたら無駄が多かったかもしれないけど、音楽家の提案をまず見せてもらった上で、これで行きましょうと。何をするにしても、僕は後出しじゃないとイヤなんです(笑)。

撮影所時代の日本映画へのリスペクト
メインのロケ地となった平屋の市営住宅と屋根裏が面白いですね。
あの住宅は、制作部ががんばって見つけてきてくれました。稲城市にあって、他の家には実際に人が住んでいます。確かに、場所もよかったですね。屋根裏のセットは、美術の安宅紀史さんが思った通りのすばらしいものを作ってくれました。室内も屋根裏も狭くて、俳優さんとカメラマンだけでもうぱんぱん。入りきれないから、カメラ周りに用事がある人以外はみんな外にいたんです。
二段ベッドにいる英則と奈々瀬を2人一緒に見せているのは?
あれは合成ですが、今回いちばんたいへんだったシーンです。ベッドの上の段、手前にいる英則とカメラの位置が重要で、一度天井を外して、屋根のぎりぎりの所までカメラを上げてレンズと浅野忠信さんの顔の距離をどう稼ぐかという。あの場面だけで1日かかりました。スタジオの中のセットだったら余裕だったでしょうけど、何しろほんとの家ですから。それがいちばんたいへんだったけど、撮影全体としてはたいへんなことはそんなになかったですよ。僕はね。スタッフはたいへんだったかもしれないけど(笑)。実は撮影の前段階のほうがたいへんだったんです。最初にお話をいただいたのが2007年の春で、撮影に入るまでに2年半かかってるんです。ほかの作品が決まっていたので、後回しになるということは言ってあったけど、製作会社もよく待ってくれたなと感謝しています。
ところで、今回の作品は97分ですが、いつも尺が短めですね。
それくらいが好きなんです。好きで観ていた撮影所時代の日本映画、50年代、60年代の作品は基本的に2本立てですよね。撮影所を持っている映画会社の劇場の配給網でやるから。そうすると、1作品が2時間以上というのはあんまりないですよね。だいたい90分から2時間以内。その中で非常に質の高いものを作っていたというシステム自体に僕は敬意を払ってるつもりだし、うらやましいなと。尺だけでも真似しようと思って。僕の映画もほかの監督の作品と2本立てにしてくれてもいいくらい(笑)。
準備中の作品について教えて下さい。
この作品と並行してドキュメンタリーを2本作っていたのですが、最近その仕上げが終わりました。ひとつはテレビアニメや映画の音響効果に関するもの。『鉄腕アトム』の足音や飛ぶ音って、未来のイメージを決定づけたエポックメイキングなものなんですけど、その音響をやった大野松雄さんを中心に取材しました。もうひとつは、倉地久美夫さんというミュージシャンを追いかけたドキュメンタリー『庭にお願い』。倉地さんはとても豊かな声と音色を持った独特な音楽家で、どんな音楽か説明しづらいんです。劇場公開は未定ですが、楽しみにしていて下さい。

プロフィール
とみなが・まさのり/1975年、愛媛県生まれ。95年、日本大学芸術学部映画学科監督コース入学。卒業制作『ドルメン』が、2000年のオーバーハウゼン国際短編映画祭審査員奨励賞を受賞。続く『ビクーニャ』が02年の水戸短編映像祭グランプリを獲得。以後、実験的ホームメイド映画『亀虫』(03)、宮沢章夫総監督『be found dead』の一編「オリエンテ・リング」(04)、実験的リバーシブル映画『シャーリー・テンプル・ジャポン part2』(05)などがシネマ・ロサで相次いで劇場公開され、短編映画作家としての地歩を固める。06年には主演のオダギリジョー、香椎由宇、音楽に菊地成孔を迎えた『パビリオン山椒魚』で劇場用長編映画に進出した。そのほかの作品に、安彦麻理絵の同名マンガの映画化『コンナオトナノオンナノコ』(07)、プロデュースも兼ねた『シャーリーの好色人生と転落人生』(08)、太宰治原作『パンドラの匣』(09)などがある。
インフォメーション
『乱暴と待機』
10月9日(土)からテアトル新宿ほか全国でロードショー
公式サイト:http://ranbou-movie.com/
CD『乱暴と待機』
相対性理論と大谷能生 | メディアファクトリー
¥1,575 | 2010年9月29日発売 | ZMCJ-5654
『乱暴と待機』【MF文庫ダ・ヴィンチ】
本谷有希子 著 | メディアファクトリー
¥580 | 2010年8月25日発売 | ISBN: 978-4-8401-3499-6
寄稿家プロフィール
まつまる・あきこ/1996年から2005年までP3 art and environmentに在籍した後、出版社勤務を経てフリーの編集者に。P3在職中にREALTOKYO創設に携わり、副編集長を務める。2014年夏から長岡市在住。