

様々なジャンルの表現者に話を聞く『対話の庭』シリーズを再開します。復活第1回は、2007年の静岡舞台芸術センターと今年春のフェスティバル/トーキョーで、平田オリザの『転校生』を演出し、本格的に演劇活動を再開したこの人。7月31日からリトルモア地下で、多田淳之介の『3人いる!』を12バージョンで日替わり上演、というまたまた冒険的な試みが始まります。公演を準備中の飴屋さんに近況を含めてお話を伺いました。
コーネリアスのライブ会場や、最近も新宿・花園神社での唐組の赤テント公演などで飴屋さんの姿はお見かけしていたのですが、声をおかけするきっかけもなく、今日初めてお話しさせていただきます。2年前にSPAC(静岡舞台芸術センター)秋のシーズンで、フェスティバル/トーキョーのディレクター相馬さんと一緒に飴屋さん演出の『転校生』(作:平田オリザ)を見ました。現役の女子高校生たちが演じたこの作品を見て、帰りの新幹線で大いに盛り上がったんですよ。その後、この作品は今春のフェスティバル/トーキョーでも再演され、演劇界にカムバックして活躍する飴屋さんの活動には、とても注目しています。
いつも僕、実は自分ではなんにも決めていないんですよ。レントゲン藝術研究所などで活動を始めてから、なぜかほとんど演劇の話が来なくなって、実際、90年代は『死の刺』などを除いて、ほとんど舞台演出をしていません。さらに言うと、動物堂(※プロフィール参照)の活動についても、知人に言われて始めたことで、基本的に他人本意なんです。人に言われて、タウンページとかで調べてなんとなく動物の商取引を始めたという(笑)。P-Houseで行った『バ ング ント』展もそうですし、静岡で初演した『転校生』についても、SPAC芸術監督の宮城聰さんから演出依頼があって、ただ引き受けたというか……。自分としてはあまり「これをやろう!」というものはないんです。

でもその昔、状況劇場に参加されたときには、演劇をしようというご自分の意思があったわけですよね。
ええ。まずは高校の演劇部で演出とかをしていて、状況劇場に入ったときも一応演出もしくは役者志望ではあったけど、自分の意に反してすぐに音響担当に配属させられてしまって、それが17歳くらいのときで……。1回だけ役をもらったこともあるんですけどね。それも自閉症児の役でセリフはなし。
その後立ち上げた東京グランギニョルの活動は?
とにかくそのころは、自分の演出作品を1本でいいから作りたいということがあって、それで仲間たちと始めてみたら結構評判もよかったんで、数年間続けていたんです。
美術と演劇の区別はない
演劇って作業が面倒くさいというか、時間もかかるじゃないですか。大勢の人と稽古などを通じてコミュニケーションを取らないといけないし。常に目に見えない部分を含めて、多大なる忍耐がいる作業だと思うんですが……。
僕の中では、(レントゲンなどで作品発表していた)美術的な活動と、演劇的な活動という区別すらまったくないんですよ。作品発表の形態としてはずっと入場料収入という形をベースにやってきているし。特に面倒だとかたいへんだとかは全然思っていないです。
演劇的なパフォーマンスでは、通常「(役を)演じること」と「(役者の)リアルな身体」というか、ドキュメンタリーな要素が交錯もしくは重なっていますよね。いわゆる虚構と現実というか、舞台というものの在り方をどう捉えていますか。
『転校生』について話をすると、(平田オリザさん原作の)上演台本を、稽古をしながら書き直していきました。その中でも僕の感覚としては、「これから静岡県の女子高生が平田オリザの転校生を上演します」という冒頭のシーンに強く現れていると思うんだけど……。
僕は日ごろからフィクションとノンフィクション、虚構と現実の区別がつかなくて、いつもわからないんですよね。現実なのか虚構なのかということはあまり意味のないことで、自分にとってリアリティがあるかないかだけなんだよね。言い方を変えれば、散歩をしているときも舞台を見ているときも、あまり感覚は変わらない。入場料は体験料だと思うから、パフォーマンスや作品を見るという行為は、電車に乗ったり、携帯で話をしたりするのと同じ。お金を払うのは、そうした体験に対する対価でもあり、また「投票」みたいなことでもあると思う。「この2万円の服、着てみたいから1票!」って感じと一緒。

『転校生』では時代的な変化もあって、平田さんのオリジナルには出てこない携帯電話が登場しますよね。そしてその携帯電話がとても重要な役割を果たすことになる。
オリジナルでポケベルが果たしている役割が携帯電話に変わったんじゃないかな。
会場に時計が設置されていて、実際の時報が流れているという設定は決めていたような気がします。でも、最後のほうで、ある女の子が自殺するというあのシーンは後からでてきたもので、自分で思いつきながらも正直かなり悩みました。平田オリザさんにとっても、舞台上で人が死んでしまうシーンなんてありえないんじゃないか……。それにとても嫌なんじゃないか、という思いもありましたし。今回の多田さんの(『3人いる!』の)脚本に関しても、やっぱり変えてしまったり、自然と変わってしまったりしてしまうから、特に(舞台全体の)「感触」のようなものが変わってしまう可能性は大いにあるから、とても心配ではあるんですよ。でも自分がやると自然とこうなってしまう、ということがあるんですよね。まず台本を読んで、全然理解できなくて、まじめに何度も読んでいくうちに、少しずつ何かが生まれてくるんです。
稽古はどのようにして始めていくんですか?
僕は圧倒的にリアクション型なので、ほぼノーコンセプトで始めていって、少しテキストを読んでみたり、リアリティを感じるところを少しずつ抽出していくという感じです。
その場で起きていることが圧倒的なリアリティを帯びているその「感触」とは?
『転校生』のときも、自分の生理や感覚と向き合い、また出演者と稽古を重ねていく内に、だんだん「もしかして君、飛び降りちゃいそうな気がするんだよね」とか言って、その何週間後にはほんとうに飛び降りているというシーンができてしまいました。
もちろん、あらかじめ作家も「台本は自由に変えてもいいですよ」と言ってくれているので、その言葉に甘えて今回も最初は極端に設定を変更しようと思っていたんだけど、実際には今回の台本はいまのところあまり変わっていませんけど……。

(ゲスト:嶋田久作、ラヴェルヌ拓海 衣装:高橋盾 特別協力:UNDERCOVER)
「イメージ」ではないところで作業をしたい
出演する12組のキャストすべてを、別々にリハーサルしているんですよね。
もちろん、あらかじめ作家も「台本は自由に変えてもいいですよ」と言ってくれているので、その言葉に甘えて今回も最初は極端に設定を変更しようと思っていたんだけど、実際には今回の台本はいまのところあまり変わっていませんけど……。
当たり前のことだけど、舞台経験のない人にとっては、台詞を覚えるのもたいへんですよね。
まあ、自主稽古をしたり、他の人の稽古も見学したりして適当にやってますよ。
キャスティングは?
僕が知り合いに声をかけたり、リトルモアでバイトしてる子とか、一般にも募集をかけて集まってくれたんだけど、舞台経験のない人の方が多いですね。中には外国人もいるんだけど、彼らは台詞覚えがとにかく早いのでびっくりしました。
今後の予定は?
9月に吾妻橋ダンスクロッシングに出て、その後フェスティバル/トーキョーでサラ・ケイン作品を上演します。サラ・ケインは台本を一字一句変えてはいけないからたいへんだけど(笑)。それから来年1月には黒田育世さんのソロの演出もする予定です。ダンスの演出ってどうすればいいんだろう。とても困ってるんですけどね。その前のダンスクロッシングもどうすればいいんだ? 僕が踊ればいいのかな(笑)。でもとにかくいただいた話はできるだけ断らずに、引き受けるようにはしています。だから始めはほんとうに何も決まっていなくて、いつも「ほんとに僕でいいんですか?」って感じで引き受けてるんです。
毎回新しいことをする度に、絶対に自分が変わっていくんですよ。絶えず何かしら変わっていきたい、自分の外に行きたい、自分のイメージの外に行きたい、とは思っていますね。
今までしてきたこと。例えば、P-Houseで28日間外界と隔絶して生きる、ってすごいこととも言えるし、でも別の観点から見ればたった28日間とも言える。血を流したときも500ccが限界だと聞いていて、そのぎりぎりのところまでやってみて感じることのできるものを感じたいんですよ。
『転校生』の自殺のシーンについてもずいぶん悩みました。もし演じた子に何かあったらどうしようって。舞台で大怪我をしてしまったら、責任取りきれないし……。自分にとってはぎりぎりの行為なんだよね。ひとり舞台上で死なせるってたいへんなことだから。
そうしたすれすれのところ、というか、自分という内側と、その外との境界に対する意識、そしてその外に自分を接触させていくことで変化する何か、というものに対する関心が常にあるんでしょうか。
いわゆる「イメージ」って派手でしょ。それは嫌い。イメージの派手さは嫌って、できるだけ「イメージ」ではないところで作業をしたいとは思いますね。
少し話がずれるけど、日本人同志はやっぱり何かが共有されている、何かが伝わるって思って生きているところがあると思う。僕は大久保に住んでいて、僕の住んでいるマンションは僕以外みんな外国の人なんです。異国の人は自分が言っていることがほんとうに伝わっているのかに対してもっと真剣かつ敏感な気がする。言わなくても伝わっていると思ってしまっている人が多いのは、日本人のダメなところかもしれない。確かに共有感覚は大切でもあるけれど、ときにそれは危険でもあると思うんです。
ゲストプロフィール
あめや・のりみず/1961年、山梨県生まれ。17歳のときに唐十郎率いる「状況劇場」に参加。音響を務める。83年、同劇場を退団し、劇団「東京グランギニョル」を結成。演出、美術、音響を担当し、暴力的かつ耽美的な作品で話題となるが、わずか3年(4作品)で解散する。80年代後半には「M.M.M」を結成し、三上晴子らとコラボレーションを行うが、90年以降は舞台表現から離れ、「テクノクラート」名義で体液や菌類を用いた現代美術的表現へ方向を転じる。東京・大森にあった実験的なギャラリー「レントゲン藝術研究所」などで作品を発表し、95年には『トランスカルチャー』展(ヴェネツィア・ビエンナーレ)に「パブリックザーメン/公衆精液」を出展。その後、同年から2003年まで、希少動物を売買するショップ「動物堂」を運営した。05年、東京・六本木の「P-House」で『ア ヤ ズ エキシビション バ ング ント展』を開催し、1辺が2メートルほどの完全に閉ざされた立方体の空間に、24日間1歩も外に出ることなく閉じこもる。07年、SPAC(静岡舞台芸術センター)で、平田オリザ作『転校生』を演出。同作は09年春、フェスティバル/トーキョーでも上演された。07年には、森美術館で開催された『六本木クロッシング2007:未来への脈動』展にも参加している。
『3人いる!』作 多田淳之介 構成・演出 飴屋法水
7月31日[金]〜8月12日[水] リトルモア地下(東京・千駄ヶ谷)
(※このインタビューは、2009年7月18日に行いました)
寄稿家プロフィール
まえだ・けいぞう/1964年生まれ。多摩美術大学芸術学科卒。在学中にポスター・ハリス・カンパニー設立に参加し、パルコ劇場、スタジオ200、夢の遊眠社などの宣伝協力に携わる。卒業後、世田谷美術館学芸課に学芸員として勤務し、その後(株)カンバセーションに入社、プロデューサーとして数々のダンス公演やコンサート制作を手掛ける。現在は東京芸術劇場のスタッフとして舞台芸術に関わる仕事に従事。NPO法人リアルシティーズ同人。