

(撮影:前田圭蔵)
都市を舞台に活躍する、パフォーマー、アーティスト、デザイナー、プロデューサーなどの表現者たち。彼らがいま抱く、表現活動への姿勢やスタイルに迫るインタビュー連載。第8回は、「放浪の民」という名を冠した騎馬芸術集団「ジンガロ」を率い、現在話題の来日公演真っ最中のバルタバス氏の登場です。
僕が最初にジンガロを観たのは確か『オペラ・エケストル』という作品です。すごく衝撃を受けて、そのあと『シメール』『エクリプス』『トリプティック』など、思えばずいぶんいろんな場所で、いろんなジンガロを観てきました。ウィーン、ベルギー、もちろんオーベルヴィリエ(パリ郊外にあるジンガロの拠点)もたびたび訪れてはジンガロの公演を見てきました。
ジンガロのせいで、たくさん旅をさせられたというわけだね。
そうですね(笑)。今回の『バトゥータ』は、初演されたイスタンブールで観ましたが、そのあと香港で観た際にはディティールが変わっている部分もありました。そして今回の東京。公演を重ねることによって、また会場によっても作品は変わっていくのでしょうか。

特に熊が変わったんだよ(編注:今回登場する。どんな熊なのかは会場でぜひ……)! それはともかく(笑)、やはり、ひとつの公演は2~3年かけてツアーするので、幸いにも発展していく部分があることは確かだね。自分たちでは気付かないことも多いのだけど、良いことだと思う。生きたものであれば、当然変化はするわけだから。ジンガロという名のキャンバス上で、演者たち自身がある程度何かを変えていける余地を常に残すようにしているんだ。毎公演ごとに「そのアイデアはいいね。いや、あれはやめておこう」と柔軟に話し合う。同時に、馬と騎手とがいかにリラックスできるかも大切で――ダンサーも一緒だね――それによって演技のスピードや滑らかさが増し、リズム感が出てくるんだ。リズム感は特に、今回の作品では大切な要素だ。
チベット僧と協働した2005年の初来日公演『ルンタ』のイメージが「静」だとすれば、今回はまさに「動」。その圧倒的な疾走感が特徴ですね。「自由の獲得と、それに伴うリスク」ということが今回のテーマでもあるようで、その姿勢は、舞台を観ていても感じます。

自由とはある種、罠を含んだ言葉だと思う。それに、その単語自体では、実はあまり意味を持っていないような気がするんだ。「表現の自由」「交通の自由」など、どんな言葉と組み合わせるかで、はじめて意味を有し、そこから様々な可能性が湧いてくる。何にせよ、その前提として、「自律」していることが「自由を得る」にあたっては重要だ。実はいま、お客さんの反応がどうなるのかとても気になっていて、ドキドキしているんだよ。『ルンタ』のときは日本の観客は、とても集中して静かに見入ってくれて、とても感動したのだけど(編注:内容に即して、拍手などは控えるよう協力を求めた)、今回は逆に観衆のビビッドな反応が必要とも言える作品なので……日本の皆さんがどう観て下さるのか、とても気になってしまうよ。ハッハッハ(豪快な笑い)。
人馬が共に進む「自由への道」
ジンガロでは馬の自律性が常に重視されていて、さらに人馬が尊重し合い、そこに不必要なものは極力取り除く、という関係性が感じられます。
そうだね。馬が主役という感じの強かった『シメール』や『エクリプス』に比べると、今回は人と馬の信頼関係に、より重点が置かれていると思う。人馬ともにかなり高度な領域での演技が要求されてもいるしね。
今回はルーマニアの弦楽器団、管楽器団も参加し、作品もジプシー文化、ロマ(移動型民族)文化と密接に結びついていますよね。いずれにせよ「移動」「旅」という要素は、ジンガロに一貫するテーマのようにも感じます。
確かに、それぞれの公演は、「旅」そのものでもあり、また比喩としての「旅」でもあるね。ただ、どこそこにツアーに行くからあの文化を作品に取り入れてみよう、といったことはないんだよ。あくまで内的なテーマや、そこから誘発されるものが基本にあり、そこに様々な要素を取り込んでいくんだ。ただし、前作『ルンタ』だけは特別で、世界中をツアーしているうちに、チベットのことを語っていかねばならないという気持ちが強くあったことは確かだけど。
バルタバスさんにとって大切なのはどのような「自由」なのですか。

ジプシーにとっては国境というものはあまり意味をなさず、また自らのルーツにもそれほど縛られることなく生きていたりする。そういう意味での自由というイメージがまずあるね。加えて重要なのは、いままで、僕たち「劇団ジンガロ」は、その活動を、いかなる公的機関にも頼らずにやってきたということ。そんな僕らを特徴づける言葉が「自由」だと言えるかもしれないね。始めたころには、まさかいまのように大きく発展することになるとはつゆとも思わずに、とにかく走りつづけてきた。それは大いなる挑戦だが、いまでは何とか馬と人との芸術表現と言えるレベルまで「劇団ジンガロ」を高められたのではないかと思う。もちろんそのために、常に馬たちと共同で生活し、様々なリスクも抱えているけれど。僕たちは常に観客を必要としているけれど、もちろん作品づくりにおいて彼らにおもねるわけではない。そのようにして、一歩一歩自由の道を歩んできたわけだね、きっと。
変化の中にあってこそのジンガロ
あなたが最初にこうした活動を始めたころのことを少しお聞かせ下さい。
十数人の仲間達と、フランスの500席くらいのキャバレーを借りて始めたんだよ。当時はホットワインをお客さんにふるまったりしていたなぁ。最近は配っていないけどね(笑)。それより以前は、ストリートでの大道芸のような形で、パリはもちろん、できるところならあらゆるところで活動していたんだ。トラックの運転や、掃除や、自炊をしながらね。いまでは騎手、テクニカルスタッフ、ミュージシャンなど様々に優秀な才能が集まり、僕がやるべきことはこうしてインタビューに答えるくらいになってしまっているけれどね(笑)。
(笑)。では話は変わりますが、今回の来日中に計画していることは?

たくさんありすぎて答えられないね。実は、新作の準備の真っ只中でもあるので、そのために日本でも、いろいろ見たり、調べたりしているんだ。いつもいろいろなことが同時に進んでいるから忙しくしているよ。ヴェルサイユ騎馬アカデミーでの活動も並行しているし。昨年も、ジンガロとしての活動のほかに、黒澤明の映画へのオマージュでもある作品を上演したり、フィリップ・グラスとの仕事などもあった。
日本のファンも、今回の公演をとても楽しみにしていると思います。
僕も、前回の温かい歓迎がとてもうれしくて、また来日したんだ。『ルンタ』を観てくれた皆さんは、『バトゥータ』はまったく違う雰囲気なので驚くかも知れないが、今回の『バトゥータ』という作品を、ぜひ楽しんでほしいと思う。ちなみに、現在準備中の新作はまた全然違ったものになりそうだから、期待してほしい。僕たちが作品ごとに大きく変わることは、みなよく知っていると思うけど(笑)。
最後に、東京という町をひとことでいうと?
「KIBA!」(「木場」または「騎馬」?)だね。僕にとっての東京は、「KIBA」だよ。『バトゥータ』で会いましょう。
ゲストプロフィール
Bartabas/人馬が共演する騎馬芸術集団「ジンガロ」主宰・演出家。フランスを拠点に世界各都市で公演を行う。出生地、本名ともに非公開で、「現代のシャーマン」との異名も。自由と生をテーマにした新作『バトゥータ』を、木場公園内ジンガロ特設シアター(東京都現代美術館となり)にて3月26日まで上演中。
寄稿家プロフィール
まえだ・けいぞう/1964年生まれ。多摩美術大学芸術学科卒。在学中にポスター・ハリス・カンパニー設立に参加し、パルコ劇場、スタジオ200、夢の遊眠社などの宣伝協力に携わる。卒業後、世田谷美術館学芸課に学芸員として勤務し、その後(株)カンバセーションに入社、プロデューサーとして数々のダンス公演やコンサート制作を手掛ける。現在は東京芸術劇場のスタッフとして舞台芸術に関わる仕事に従事。NPO法人リアルシティーズ同人。