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001:指輪ホテル『洪水~massive water』
前田愛実
Date: February 14, 2010
指輪ホテル『洪水~massive water』 | REALTOKYO
撮影:網中健太

イベント概要

日程:2010年1月8日~1月11日

会場:シアターイワト

 

罠にかかって足を切断し、死んで食べられてしまった兎と、同じく殺されたスカンクの物語を、子供と女性のナレーションで絵本の世界を展開するように上演した。岡崎イクコによる半ばグロテスクかつファンシーな素晴らしい衣装や、坂田有希子、石川ゆうやによるマジカルな雰囲気を醸し出す小道具、ニブロールに参加するスカンクの音楽と同じく高橋啓祐によるいつもとひと味違う映像と、スタッフワークも冴えている。ジオラマのように現実感がプラスティネーションされた世界がコンクリートむき出しの暗闇に出現し、たちまち擬人化された兎の世界に引き込まれた。

 

今回の出演は、羊屋と音楽も担当したスカンク(男性)の2人のみである。スカンクはダンスや演劇への楽曲提供の多いミュージシャンだが、役者としてのパフォーマンスは初めてだそうだ。劇中でも生演奏が多数行われ、羊屋もアコーディオンで参加した。指輪ホテルといえば、バービー人形のようなキュートな女子でいっぱいの、男子禁制劇団というイメージが強い。実際私が指輪ホテルで男性の出演者を見たのはこれまでに一度きりで、今回のように重要なポジションに男性のパフォーマーがいるのは珍しい。スカンクは擬人化された動物役をしっくりこなして、異色ながら意外にフィット感あふれるコラボレーションとなっていた。

 

指輪ホテル『洪水~massive water』 | REALTOKYO
撮影:網中健太

シアターイワトの鉄扉が開くと、大きなショッピングカートを押す兎がピョコピョコと登場する。羊屋扮する兎である。頭には兎の被り物、腕にも毛が生えていて、素敵なジャケットとスカートを着こなしてとってもおしゃれだ。しかし洋服はかぎ裂きだらけ、毛並みはよれよれで傷跡だらけ、顔は白塗りで目には真っ黒なクマができている。足がピョコピョコする原因の片方は片足(厳密にいえば兎なので後ろ足)にはいたスケート靴、そしてもう片足は苔に覆われてキノコの生えた義足である。一瞬羊屋が去年事故にでもあったかしらと思うぐらい説得力ある片足で、現実に近い驚き方をしたが、どうやら作り物だとわかると、地雷で犠牲になる子供のことなども頭をよぎる。兎は不自由な足で動きまわりながら、自分がニンジンの仕込まれた罠にかかって死んだと説明し、その野菜類でサラダを作って観客に食べさせてくれる。食物を提供するというのは、羊屋の作品では繰り返されてきたモチーフのひとつである。初期作品でのベーグル製のブラジャーや、『キャンディーズ』での股間から出てくる香ばしく焼けたホットケーキなど、自らの身体を捧げるかのように観客や共演者に食物を与える印象的なシーンはこれまでにも多くあった。今回の場合は、罠の餌である野菜を食することで、兎と同じ立ち位置、つまり罠にはめられる立場に観客が立たされる心地がした。スカンクが楽器を持って登場すると、彼らは2人でパスタを作ってまた観客をもてなし、音楽を演奏しダンスを披露する。最初は片足しかない兎だが、場面が進行すると過去を回想するように2本足に、そしてダンスを踊る頃には3本足に進化する。3本!……足りないと悲壮だが、多すぎると気持ち悪い。兎は3本足を操って愚かしくも嬉しそうに器用に踊るが、その無用な3本目には、何か食べ過ぎた多幸感のような、異様な空気が漂う。終盤、兎はつぶやくように淡々と“私たちはおいしかったのだろうか”と問う。1本足から2本足、3本足へ、そして再び2本足へ。足の数が変わるにつれ、兎の心境は小さな恨みの気持ちから、悪意を超越した受容的なものに変容しているようにも感じられた。終盤映像で人間の手が伸びてきて、何かを捕まえる仕草をする。子供の声で、“2本足の兎がいる。私たちと一緒だね”というナレーション。その瞬間プラスティネーションされていたジオラマの世界は溶解して現実へと流れだし、これまで見てきた舞台は兎、つまりは被害者も加害者もひっくるめて、人間界の現実的な暴力のお話だったのだとわかった。

 

指輪ホテル『洪水~massive water』 | REALTOKYO
撮影:網中健太

私自身がこの作品に、どうしてここまで惹かれてしまうのかが問題だと思いながら見た。凝りに凝って作り込まれた道具やそのかわいらしさが、職人好きでガーリー好きの心を揺さぶるのはもちろんだが、動物たちの、ある意味潔い姿勢に感動させられた。舞台に通底する残酷さは、表面に現れるスウィートさが織りなすファンシーな世界とはうらはらに、いや、キュートさに乗っかっているがゆえに魂を震撼させるものであり、世界への恐怖と愛という両極端な思いに満ちていた。羊屋はちらしにこう書く。「世界は、悲惨だって。みんな知ってる。だからこれ以上伝える必要はないの」。報復が報復を呼ぶ世界は悲惨だ。兎のように“私おいしかったのかなあ”と、ぼんやりと言えれば、悪循環する世界の阿鼻叫喚にもひとたびの休息を与えられるはずだ。被害者は復讐によって更なる傷を背負う必要はないのだと、優しく説得されているような気がして、仕返しばっかり妄想する自分の狭量さに恥じ入る心地だ。この可愛らしさにラッピングされた残酷な物語には、一縷の希望が漂っている。兎は自分が罠にかかったこと自体には憤慨しているが、そこには寛容さと、死んでなお何かを諦め切っていない鷹揚さがある。その何かとは、平和としか言いようのない何かなのだ。

寄稿家プロフィール

まえだ・まなみ/英国ランカスター大学演劇学科修士課程修了。早稲田大学演劇博物館助手を経て、現在はたまに踊る演劇ライターとして、小劇場などの現代演劇とコンテンポラリーダンスを中心に雑誌やwebなどに書かせてもらってます。