COLUMN

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Out of Tokyo

263:「リレーショナル・アーキテクチャー」
小崎哲哉
Date: December 24, 2014
『美術手帖』2015年1月号 | REALTOKYO
『美術手帖』2015年1月号

『美術手帖』(『BT』)2015年1月号が「建てない建築家とつなぎ直す未来 リレーショナル・アーキテクトの誕生」という特集を組んでいる。だが、岩渕貞哉編集長による巻頭言にも、五十嵐太郎氏による「リレーショナル・アーキテクチャー」と題する基調論文的な論考にも、総計77ページに及ぶ特集の他の記事のいずれにも、ラファエル・ロサノ=ヘメルの名前が出てこない。また、五十嵐氏の記事に「リレーショナル・アート」の簡単な説明はあるものの、その概念を命名・主唱したニコラ・ブリオーの名もまったく見当たらない。欧米の(日本以外の?)アート雑誌ではおよそ考えられないことだ。

 

ロサノ=ヘメルは1990年代後半から「Relational Architecture」シリーズを制作・発表し続け、アルス・エレクトロニカやヴェネツィア・ビエンナーレのメキシコ館に出展し、日本では山口情報芸術センター(YCAM)の開館を飾った現代アーティストである。「リレーショナル・アーキテクチャー」という名辞をどんな形であれ用いる(流用・転用する)のであれば、少なくともひとことは言及があるべきだが、それがない。この椿事の背景には重要な問題が大きく分けて2点存在すると思う。

 

ひとつは、同人誌や個人のブログなどのソーシャルメディアではない、したがって非営利の私的メディアではない公共商業媒体における校閲の機能不全である(「Out of Tokyo」240も参照)。上述したように、ロサノ=ヘメルは国際的に評価の定まったアーティストで、「Relational Architecture」もアート界ではよく知られている。建築史家の五十嵐氏は、あいちトリエンナーレ2013の芸術監督を務めたとはいえ、こういった事情に不案内だったのだろう。実際、僕の指摘に対して氏は「あいちトリエンナーレでも推薦されていたので、ラファエル・ロサノ=ヘメルは知ってましたが、リレーショナルアーキテクチャーの言葉も使っていたのは知りませんでした。編集部からの示唆もなく。」と答えてくれた(メール原文のまま。回答中「あいちトリエンナーレでも推薦されていた」というのは「参加作家候補に挙がった」という意味)。

 

「建築史家とはいえ、あいちの芸術監督を務めたほどだから五十嵐氏も『専門家』であり、だから責任がある」という意見に僕は与しない。知らなかったこと自体は残念だが、個人の知識幅には限界があり、つまり知識の欠落は必ずある。例えば現代アート特集を組んだ建築雑誌に、アートの専門家が建築的な用語を冠したアート実践の提言を寄稿した場合を想像してみればわかるだろうが、同じようなことが起こる可能性は否定できない。ただし、そうした「事故」を防ぐためにこそ、公共商業媒体は通常、社内か社外に校閲システムを設けている。二重三重のチェックを行えば、たとえ担当編集者が見過ごしたとしても、事故が起こる確率は大幅に減る。

 

そのシステムが今回はうまく作動しなかったと理解すべきだろう。『BT』を発行する美術出版社の校閲システムがどのようなものか僕は知らないが、想像するに新潮社や講談社などの大手出版社にあるような校閲部は存在せず、経験を積んだデスクや編集長が校閲マンの代わりを務めているのではないか。そのチェックを漏れてしまったのだから、専門的知的労働者たるアート編集者の教養が著しく低下していると考えるほかはなく、同業者として情けなく思う。しかし、上述した通り、膨大な情報があふれる昨今、専門分野であってもすべてを網羅的に知ることは不可能だ。

 

とはいえ、今回五十嵐氏が提言したのは「リレーショナル・アーキテクチャー」という(ロサノ=ヘメルを措けば)新しい概念で、しかもそれは「リレーショナル・アート」というアート界ではつとに知られた概念を本歌とした造語である。そうした新語はすでに誰かが使っているのではないか、と疑り深い筆者などは確かめたくなる。事実、この原稿を執筆中の現在、「Relational Architecture」を『Google』で検索すると、筆頭にロサノ=ヘメルのウェブサイトに転載された、同プロジェクトを紹介する小論へのリンクが出てくる。2番目に表示されるのは英語版ウィキペディアの「Rafael Lozano-Hemmer」という記事へのリンクで、記事内には「Relational architecture」という項目が立てられ、1994年にロサノ=ヘメルが案出した新語であること、1997年から2006年までの間に計10作が作られたことに加え、各作品の簡単な説明が記載されている(「1994年」が正しいとすると、ブリオーの「Relational Art」よりもロサノ=ヘメルの「Relational Architecture」のほうが早かったということになる。それはさておき、3番目に表示されるサイトに別の問題が潜んでいるが、これについては後述する)。

 

僕が担当編集者あるいはデスクであれば、これを発見した時点で「リレーショナル・アーキテクチャー」という名称は使わないと決める。使うのであればすでに同じ用語が存在することを注記するか本文中に加筆してもらい、併せて、あえて同じ表現を用いる理由およびオリジナルとの意味や文脈の違いを説明することを書き手に要請する。今回の事故は、わずか数分かもしかしたら数十秒で済む確認の手間を惜しんだがゆえに発生した。

 

ニコラ・ブリオー『関係性の美学』(英語版) | REALTOKYO
ニコラ・ブリオー『関係性の美学』(英語版)

第2の問題はより重大である。ブリオーが唱えた「リレーショナル・アート」には、多くの疑義や反論が寄せられている。池田剛介氏が『REALKYOTO』に寄稿したレポートの注で紹介したクレア・ビショップの「敵対と関係性の美学」や、ジャック・ランシエールの「政治的芸術のパラドックス」などが批判論文の最たるものとされるが、前者が『October』誌に発表されたのは2004年(邦訳は2011年)、後者を収録した『解放された観客』の刊行は2008年(同・2013年)。ブリオーが1998年に著した『L’esthétique relationnelle(関係性の美学)』が日本ではいまだに翻訳刊行されていないことはまさに本末転倒だが、『BT』はアート雑誌であるのだから、やはり「リレーショナル・アート」とは何かを説明し、批判とブリオーによる反論、そしてその後のブリオー自身の変化など(「Out of Tokyo 262」参照)についてきちんと解説すべきではなかったか。

 

さらに、最近の日本では「リレーショナル・アート」や「関係性の美学」が誤解あるいは拡大解釈され、いわゆる「地域アート」に結びづけられているのが問題だという主張がなされ、一部で話題になっている。『すばる』2014年10月号に掲載され、一連の議論に火を点けたといわれる藤田直哉氏の「前衛のゾンビたち──地域アートの諸問題」や、『10+1』2014年11月号に収録された藤田氏と星野太氏との対談「まちづくりと「地域アート」──「関係性の美学」の日本的文脈」などだ。藤田氏の議論は僕には粗雑に過ぎると思えるが(例えば後者で、地域アートとサイトスペシフィックアートの違いが十全に理解されていないがために『札幌国際芸術祭2014』への的外れの批判がなされている)、星野氏による「リレーショナル・アート」をめぐる言説の紹介や分析は、上述ビショップ論文の翻訳者であり、「ブリオー×ランシエール論争を読む」という小論(『EOS Art Books Series 001 コンテンポラリー・アート・セオリー』所収)の筆者でもあるだけに、詳細にして明快で傾聴に値する。

 

この問題も日本のアートメディアとしては看過できないものだろう。ここで詳述する余裕はないが、『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』や『アサヒ・アート・フェスティバル』の方向性に代表される「地域アート」が、アートではなく地域に資するものであることは藤田氏の指摘を俟つまでもなく明白である。例えば前者の総合ディレクターで、瀬戸内国際芸術祭の総合ディレクターをも務める北川フラム氏は、2009年に行われたインタビューで、「芸術よりも祭のほうが僕にとっては重要です」と明言している。今回の『BT』に収録されたインタビューにもアートの話は一切出てこず、地域おこしとサポーターのモチベーションの話に終始している。また、『フェスティバル/トーキョー(F/T)』新ディレクター改めディレクターズコミッティ代表、市村作知雄氏の藤浩志作品「かえっこアート」についての認識を聞くと、『アサヒ・アート・フェスティバル』の主催者に近しい人々が、リレーショナル・アートを(約20年遅れて)「誤解あるいは拡大解釈」していることも間違いなさそうだ。

 

「リレーショナル・アーキテクチャー」特集との関連で手短に言えば、(1)「リレーショナル・アート」における「リレーション(関係)」とは何か、(2)「リレーショナル・アート」を「地域アート」に結びつけることに問題はないか、(3)五十嵐氏の「リレーショナル・アーキテクチャー」は1と2に、さらにアートと建築という分野の違いに照らし合わせて妥当な名称か、(4)アート雑誌がこのような特集を組む意義が果たしてあるのか、がそれぞれ解説・検討・検証されなければならない。

 

実は『Google』で検索して3番目に出てくるのはスウェーデンのウメオ大学建築学校のサイトで、それによれば同校は、2012年以降「Towards a Relational Architecture」というリサーチプロジェクトを行っている。ロサノ=ヘメルの名はここにも出てこないようだが、五十嵐氏と『BT』の「リレーショナル・アーキテクチャー」がウメオのプロジェクトとどのように関連するのか、あるいはしないのかも興味深い。仮に関連しないのであれば、混乱を避けるために名称を変更することが望ましい。この連載コラムでこういうことを書くのは3度目だと思うけれど、三たび言おう、「必ずや名を正さんか」と。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。