
ニコラ・ブリオーがキュレーションした台北バイエニアル2014(9月13日〜2015年1月4日)を観に行ってきた。展覧会の主題は「The Great Acceleration(劇烈加速度)」。一方、いわゆるキュレーターズステートメントの題名は「Coactivity(共活性)」である。共活性の主体は人間と人間以外の生物、機械、モノ、地球環境総体だという。機械にはコンピューターやプログラムとロボットなども含まれる。

「加速度」すなわち産業革命以降の現代社会(人新世)に生じた問題と、人間と人間以外の「共活性」やその必要性の間には因果関係がある。だが、共活性は人新世以前にも存在していたし(ケルト文明や古神道、狩猟採集民の日常など)、その必要性は1990年代以前にも論じられていた(20世紀前半のピカソらのアフリカ芸術への接近、1989年にジャン=ユベール・マルタンがキュレーションした『大地の魔術師』展など)。ところが加速度に「劇烈」という形容詞を加えると、問題は1990年代以降のインターネットの急速な普及と、それに伴うグローバル資本主義の成立を背景とする現代ならではの事象に限られることになる。したがって、劇烈加速度と共活性の間には時間的な齟齬がある。その齟齬が、展覧会の一貫性を阻害していると感じた。
例えば、会場である台北市立美術館の1階ロビーに設営・展示され、真っ先に観客を出迎えるオパヴィヴァラ!の「Formosa Decelarator(台湾減速機)」(2014年)。十数個のハンモックが円形をなすように吊された大人も子供も楽しめる体験型インスタレーションだが、作品名に明らかなように、関連しているのは劇烈加速度のみである。ブリオーが主唱した「関係性の美学」に含まれうる作品であり、それ以上ではない。また、観客がこの作品の後に観ることになる黄博志の「生産線——中國製造&台湾製造」(2014年)は、作家が台湾と大陸深圳の生産者とともにデザインしたデニムのシャツが並べられた作品。黄の母親の思い出にも結び付いているそうだが、基本的には現代における衣類のオフショア生産が主題であり、これも劇烈加速度のみに対応している。


その次に、ようやく共活性に正面から取り組んだ作品が来る。インガ・スヴァラ・トルスドッティルと呉山専の「Thing’s Right(s) Declaration(物權宣言)」(1994年)だ。想像が付くだろうが、『世界人権宣言』(1948年)のテキストに赤字を入れ、モノの権利を宣言したものである。僕が2002年に企画編集した『百年の愚行』に、いまは亡きクロード・レヴィ=ストロース教授は「「人権」の再定義」という文章を寄せてくれた。その3年前の1999年には、愛知万博のテーマ普及誌『くくのち』2号で中沢新一氏にブリュノ(ブルーノ)・ラトゥール教授へインタビューしてもらったが、ラトゥールが「モノの議会」というコンセプトを提示したのは1991年に刊行された『虚構の「近代」―科学人類学は警告する』(原題は『我々がモダン(近代的)であったためしなどない』)においてである。学問領域に最初に現れた先駆的な概念が、ほぼ同時代にアート化されていたわけだが、浅学寡聞にして僕は知らなかった。この作品を観られたのはひとつの収穫だ。

ジョーン・ジョナスの「リアニメーション」(2010-2013年)やオラ・ペールソンの「ユッカ・インヴェスト・トレーディング・プラント」(1999年)もなかなか良かった。前者は前回のドクメンタに出展された作品で、日本の障子に想を得たというスクリーンからして、人間と環境という問題を想い起こさせる。プロジェクターの光を反射し、同時に影を投げかける透明なオブジェも、映像とものの相互作用を表現していると言えなくもない。ただ、そこに人間との共活性が直接的に入る余地はなさそうではある。後者は、都会の若いビジネスマンに見立てたという鉢植えのユッカとパソコンを組み合わせたインスタレーション。半年間にわたる株式市場の推移を太陽光、水、肥料にエンコードし、ユッカを育てたという。室内に置かれ、人工光に曝されていることもあって、本来は砂漠に生きる植物はひ弱に見え、そこはかとないユーモアと哀れを感じさせる。人間の欲望が株取引の数値に形を変え、植物とインタラクトしているという見方は不可能ではない。ただし、投資する人間とユッカの間には、直接的関係はもちろん、共活性もまったく生じていない。

ブリオーの意図を最も直截に反映した作品を出したのは島袋道浩だと思う。「My Teacher Tortoise(我的烏亀導師)」(2011-2014年)というタイトルのもと、生きているケヅメリクガメを美術館に持ち込んだのだ。さらに、携帯電話やiPadなどを、それらとほぼ同じ大きさの石器と並べ(札幌国際芸術祭に出展したものと同じだが、ガラスケースに収められている)、ネット上で見つけたというスティーヴン・ホーキングの言葉「Stop / Stop and Think / Return / Occasionally Run(止まれ/止まって考えろ/戻れ/たまに走れ)」を記したボードとともに展示した。「加速度の逆のものといったらブレーキでしょう。ベタですけど」と島袋は笑うが、この作品は劇烈加速度と共活性というふたつのお題に的確に応えている。カメは一見したところ作り物かと思えるほど動きが緩慢で、もちろん「たまに走」ることすらなく、暖かい光源の下で温泉にでも浸かっているように見える。

ほかに、ヤン・ヘギュの「Medicine Man – Hairy Mad Joint」(2010年)、カミーユ・アンロの「Fasciathérapie」(2011年)などが面白かったけれど、ふたつの主題とは微妙にずれているように見える。ミカ・ロッテンバーグの「Bowls Balls Souls Holes」(2014年)も例によって抱腹絶倒ものだったが、グローバル経済下の単純労働が扱われているとはいえ、彼女の一連の作品のように、今日的なフェミニズムや身体性(というよりも堂々たるおばちゃん的身体の圧倒的な存在感)に中心的な主題を見出すべきだろう。


やはり、劇烈加速度と共活性というふたつの主題にこだわったのが間違いのもとだと思う。前者について言えば、例えば「速度の哲学者」ポール・ヴィリリオが2002年に『事故の博物館』という展覧会を企画・開催している。トーマス・ヒルシュホーンのように、グローバル資本主義に抗して戦闘的な活動を続けている作家もいる。劇烈加速度という主題はすっぱりと斬り捨てて、共活性のみに集中するというキュレーションはあり得なかっただろうか。ふたつの主題を貫くのであれば、複雑に絡み合った主題系をいくつかに分けて章立てし、企画意図がわかりやすくなるように整理するべきだった。
共活性に主題を絞った場合でも、整理は必須である。ステートメントを読み、記者会見やトークを聞いて理解した限り、「1:人と自然の共活性」「2:人とモノの共活性」「3:人と機械の共活性」「4:モノの民主主義」という分け方がいいように思う。
1にはジョナスや島袋が入りうるが、ブリオーがこの展覧会の着想を得たというピエール・ユイグにはぜひ加わってもらいたい。ユイグは昨年、ポンピドゥー・センターで人と自然のインタラクションを主題にした個展を開催し、生きている犬、魚、蟻などを人間のパフォーマーとともに出展し(出演させ?)た。可能なら、ダミアン・ハーストの「母と子、分断されて」(1993年)も。生と死、宗教、消費社会批判など多様な主題を有する作品だが、狂牛病など、人間の介入による負の意味での共活性への批判も含まれていて、ラトゥールの思想との同時代性という点でも興味深い。京都大学霊長類研究所に、チンパンジーやゴリラの研究映像を提供してもらうのも面白い。ゴリラなどの「人づけ」による観察研究は共活性の良い例であるだろうし、チンパンジーが、人間にはるかに勝る直感像記憶(いわゆるフォトグラフィックメモリー)を駆使して数字を記憶する様は、誰が見ても驚くに違いない。ハンス・ハーケの「コンデンセーション・キューブ」(「ウェザー・キューブ」)や、カーステン・ニコライの人工雪を作る作品も候補となるだろう。パトリシア・ビッチニーニの最近の作品や、小野規が東日本大震災以降の東北の海岸線を撮影した作品もいいかもしれない。
2では、ヤン・ヘギュのほか、内藤礼にインスタレーションを作ってほしい。紙や極小のひとがたなどの小さなオブジェと、ほとんど目に見えない糸で大きな空間を決定的に支配した、昨年の豊田市美術館での展示が忘れられない。リー・キボンの、霧の中で回転する樹木のシルエットや、水の中で未知の海洋生物のように泳ぐ書物も、人とモノとの関係をあらためて考えさせる作品だと思う。
3には、人間と機械のインタラクションを追究しているMITメディア・ラボや東京大学などの学術機関に、研究成果をもとにした発表を行ってもらってはどうか。東大情報学環の暦本純一研究室が進めている「人間オーグメンテーション」は、まさしく人間と機械のハイブリッドがテーマである。ほかにも、良い意味でのマッドサイエンティストが世界中にいるに違いない。現代アート界からは、やはりブリオーがインスパイアされたというフィリップ・パレーノ(ユイグとパレーノはブリオーの同志的存在とも呼ぶべき「関係性の美学」の作家であり、台北ビエンナーレに参加していないこと自体が不思議である)。ユイグと同時期にパレ・ド・トーキョーで開催された個展について、本人は「この展示を観る人には、ロボットの巣に入ってもらい、何かが彼らを管理していることを感じてほしかった」と語っている(『BLOUIN ARTINFO』)。また、『ブレードランナー』『ヴィデオドローム』『鉄男』など、サイバーパンク映画の関連上映もほしい。
4はトルスドッティルと呉の「物權宣言」で始め、ラトゥールが主唱した「モノの議会」を実際に開催する。モノの議会といっても、もちろんモノが話すわけではない。ラトゥールは「代理人に話をさせてみよう」と言っている。代理人(代議士)候補としては、ブリオーがステートメントに名を記したラトゥール、リーヴィ・ブライヤント、クァンタン・メイヤスーらのほか、脳科学者、分子細胞生物学者、動物行動学者、環境科学者、政治家、官僚、ジャーナリスト、アクティビストら。議長はブリオーに務めてもらいたい。
上記4つの枠外というか、メインの作品として、アーティストの誰かと宇宙物理学者の協働によって、太陽フレアが引き起こす磁気嵐を主題としたインスタレーションが作れないだろうか。つい先ごろも巨大なフレアが観測されて話題となったが、磁気嵐はオーロラを生むだけでなく、大規模な停電、無線システムや精密機器の故障を引き起こす。宇宙という大自然は、地球環境、ヒトを含む動植物、機械にひとしなみに大きな影響を及ぼすのだ。オラファー・エリアソンのような大物ではなく、若いアーティストでかまわない。だんだん妄想が膨らんできたけれど、ブリオーにはぜひ、「共活性」と題するセカンドバージョンの開催を望みたい。
※追記(2014年9月29日)
著作権上の事情で「Ola Pehrson Yucca Invest Trading Plant Computer」の写真を削除しました。併せて、10段落目に加筆し、パトリシア・ビッチニーニと小野規の名を加えました。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。