

2月16日(日)に開催されたシンポジウム「ジャパン・コンテンツとしてのコンテンポラリー・アート──ジャパニーズ・ネオ・ポップ・リヴィジテッド」が、Twitterなどで酷評されている。確かに「まじ空気悪く」(NM氏のツイート)、当初の企画意図からすれば大失敗だろうが、ある面ではなかなか示唆に富むものだった。話者は中原浩大、村上隆、ヤノベケンジの3人。モデレーターの楠見清氏は、22年前に3人が参加した『アノーマリー』展(キュレーションは椹木野衣氏)を前に、当時在籍していた『美術手帖』(BT)で3作家による座談会を企画した編集者である。BT当該号(1992年3月号)の特集は「ポップ/ネオ・ポップ」というもので、タイトルに示されているように、楠見氏はこのシンポジウムでネオ・ポップ復権の可能性を探ろうとしたのだと思う。

ところが、「日本の状況には絶望した。アート作品は欧米の現代美術の専門家に対して作り、日本ではアニメで勝負する」と言う村上によって、現代アートとポップカルチャー、さらにはメディアアートを関連づけようとした楠見氏の意図はことごとく覆されてしまう。村上の趣旨は明快で、「日本のアートジャーナリズムやオーディエンスは、現代美術においては『文脈』の読解こそが最重要であることを理解していない。現代美術とサブカルを安易に結びつけるな」というもの。激烈かつ辛辣な口調で楠見発言を完膚なきまでに論破していたが、翌日のツイッターでは「僕の反対意見の提案は、彼を否定したいのではなく、彼の思考、思想はメジャーであり、僕の提唱する芸術の嗜み方は超弩級マイナーである、という部分を起点にしております」とコメントしている。これは本心で、当日はあえてヒール役を買って出たのだろう。蛇足だが「メジャー」「超弩級マイナー」というのはともに「日本においては」という意味で、現代アートの本場である欧米ではまったく逆だということが皮肉混じりに含意されている。また村上は「日本のオタクのサブカルチャーはコンテクストの複雑さにおいて世界一。外国の人間は追従できない」とも発言している。

シンポジウム失敗の一因として、文化庁メディア芸術祭のイベントだったということが挙げられる。中原は1991年にある種のインタラクティブアートと呼びうる「デートマシーン」を発表していて、村上にもヤノベにも映像作品はある。だが、それらをメディアアートとは見なしえないし、3人ともいわゆるメディアアートにはまったく関心がないはずだ。村上に至っては、経産省と文化庁が結託してでっち上げたクールジャパン的な「メディア芸術」は、(少なくとも数年前からは)完全否定している。楠見氏がモデレーターとして議論を制御できなかったのは事実だが、それ以前に枠組が間違っていた。ちなみに中原は、メディアアートで言う「メディア」ではなく作品の「メディウム」に関して「そこにメディウムがあるのかないのかによってずいぶん関係性が変わってくる」と面白いテーマを提示したが、楠見氏がすぐに村上に話を振り、結果的にこの話は発展しないままに終わった。中原は同じテーマを、REALKYOTOに掲載した関口敦仁とのトークでも、関口への質問という形で冒頭から掲げている。いま現在、最も関心があるテーマのひとつであると推測されるだけに、村上、ヤノベとの討論に至らず、残念だった。

さらに付言すると、中原はREALKYOTOのトークで、22年前の「事件」の真相を語っている。かいつまんで言うと、まさに22年前の座談会の前提となった展覧会『アノーマリー』に、中原は自分の後輩に当たるヤノベの作品に酷似する作品を出展したのだ。そのために2人は「絶縁」(ヤノベがツイートした表現)したが、当時の中原がスーパースター的存在だったためか、誰もその理由を問い質すことはなかった。言わばタブーとして葬られていたこの事件は、中原が関口とのトークで語った驚くべき「真相」をそのまま受け取るならば、その後の中原のありよう・生き方を決定づけた大事件であるとわかる。村上がこの記事を読んだかどうかは知らないが、ヤノベと楠見氏が読んでいたことは確認している。会場には『アノーマリー』をキュレーションした椹木野衣氏も来ていた。椹木氏に話を振るかどうかはともかく、3作家にぶつけてみるべき価値はあったのではないか。
それも含め、この3人なら、22年前を起点として、その後のそれぞれの歩みを参照しつつ、日本における現代アートがいまどのような位相にあるのかをこそ話してほしかった。楠見氏と村上のフェイスブックによる事前のやり取りでは「ノスタルジックな話はしない」ということだったそうだが、起点に戻ること自体はレトロスペクティブ(過去に遡るもの)であっても決してノスタルジック(懐旧に耽るもの)ではない。というよりも、まずはその起点にまで遡るという逆照射の作業をしないと、現時点での差異に至る道筋が明らかにならないだろう。現在における3作家の、まったく異なっているがゆえに興味深い差異が生じた理由がわからなければ、建設的な話などできるわけはない。レトロスペクティブ(後ろを向くこと)は、プロスペクティブ(前向き)な議論を進める前提である。
村上も同じように考えていたようで(Togetter参照)、楠見氏が冒頭で説明した流れを拒否して、上述した日本アート界批判を繰り広げつつ、最後にはヤノベの質問に答える形で、自らを含む3作家の現在における位置を規定してみせた。村上本人は欧米のメインストリームにいる。中原は現代アートの枠組から離れて、興味の赴くままに活動している。ヤノベは、3331を運営する中村政人と同様に、社会における公共と芸術の接点はどこかという問題やコミュニケーションの問題を探っている。この認識に対してヤノベは、小豆島でビートたけしとともに作った作品をご神体として地元が神社を建てるという話があると述べ、吉本新喜劇との協働にも触れ、芸術と芸能を融合する意図があることを示唆した。
この4通りの作家のありよう(の規定)は、「日本における現代アートがいまどのような位相にあるのか」という議論の出発点となりうる。前述したように、ここから始めて22年間を振り返ればよりわかりやすかっただろうが、ともあれここには、日本のみならず、現代の各国カルチャーシーンにおける表現者の立ち位置が非常にわかりやすい形で典型化されている。「世界標準派」「個人主義派(?)」「コミュニティアート派」「聖性追求派」とでも呼べばよいだろうか。特に「コミュニティアート派」は、この連載でレポートした、フェスティバル/トーキョーが抱える問題ともつながっている。少なからぬ国で「社会と芸術」についての関心が高まり、行政の芸術文化への関与が増え、公金の使い方が議論されている。それは各国における「公共と芸術の接点」を浮き彫りにするかもしれないし、もっと原理的に「アートとは何か」という難問へ迫る端緒となるかもしれない。
「世界標準」に関しては、村上のいう「欧米の現代アートの専門家」が誰を指すかをまずは理解しなければならない。それは、1960年代にアーサー・ダントーの「Artworld」(1964)を踏まえて芸術制度論を展開したジョージ・ディッキーがいう「何がアートであるかを決定する『アート・ワールド』」とほぼ同義で、キュレーター、コレクター、批評家、アーティストら、アートに関連する人々の総体から成る社会的ネットワークを指す。さらに具体的には、例えば『ArtReview』による「Power 100」を見ればよいだろう。村上自身は2013年には62位にランクされているが、アーティストばかりでなく、世界有数の富裕なビッグコレクター、テート・モダンやMoMAの館長、有力国際展のディレクター、超強大なコマーシャルギャラリーのギャラリストらから成るリストだ。ダントーやディッキーに限らず、欧米のアート理論の主著がほとんど翻訳出版されていない日本では、とりあえずは固有名詞と簡単な説明だけの、こんな一覧を見るしかないというのが哀しい。また、村上は「日本ではサブカルの言葉でアートが語られている」と非難するが、欧米のメインストリームに典型的な言説なら、例えば昨年春にロサンジェルスのブラム&ポー・ギャラリーで開催された、村上自身の個展についてのLAタイムズのレビューを読めばいい。実際には、過去の村上作品の評価も含め、サブカルの言葉でアートを語る言説は欧米にも存在する。しかし村上の作風が変わったこともあり、このレビューで寄稿家のデイヴィッド・ペーゲルは、村上の巨大な羅漢図を、ペルシャの細密画や、オロスコ、リベラ、シケイロスら、メキシコ壁画運動に結びつけて論じ、激賞している。
「社会と芸術」というと、「社会に必要なのはイノベーションに役立つアートだ」と述べたサンノゼ市の文化官僚に対し、「アーティストに何ができるかではない。あなたたちがアーティストに対して何ができるかが重要なのだ」と反論したゲルフリート・シュトッカーの雄姿を想い出す。また、ヤノベ作品がどれほど芸術と芸能を融合しえているかはさておき、アートのあるべき姿として、僕は「聖性追求」型の作品に大きな可能性を見たいと思っている。ただ、それ以上に関心があるのが、上述の「事件」以降の中原的な活動というか表現者のありようだ。現代アートの側から「上から目線」で見れば、それは「個人主義派(?)」のように括れるかもしれない。例えば、奇しくも『アノーマリー』と同じ1992年に日本の5都市を巡回したパナマレンコ展の図録に、ニコラ・ブリオーと故・中村敬治が文章を寄せていて、それぞれに素晴らしい解説なのだが、当然ながらやはりアートの文脈に回収されてしまっている。中村は冒頭で「(パナマレンコの活動や制作は)必ずしもすべて芸術活動とのみ呼ばれる必要はなく、また呼ばれうるものではない」と断っているが、それでも結局は、アート的言説にしかならないのだ。現在の中原をアートの言葉で語るとすれば、同じような結果に終わってしまうに違いない。
これはまさしく制度の問題であって、端的な解決法は、制度の外に書き手を求めることにしかないかもしれない。ブランクーシを論じたミルチャ・エリアーデ、エルンストを論じたクロード・レヴィ=ストロース、あるいはアーティストを自らの小説の主人公とし、冒頭にジェフ・クーンズとダミアン・ハーストを登場させたミシェル・ウエルベック……。中原は「事件」以前の「契機」として、1989年に『大地の魔術師』展とゲントの『オープン・マインド』展を観て、「何で僕はあそこにマジシャンとして呼ばれていないんだろう、何で精神異常者としてそこに並ばないのかとふと思った」と語っているが、その意味では制度内から(「世界標準」を批判しつつ)中原の転身を論じることも可能だろう。だがそれよりも、いわばパナマレンコとしての中原浩大ではなく、アルチュール・ランボーとしての、あるいは良寛としての中原浩大を論じる視点はあり得ないのか。いずれにせよ、翻訳出版や海外の言説の紹介以外にも、編集者の仕事はまだまだあると痛感している。

なお、今回の話は『美術手帖』4月号に採録・掲載される予定だという。録音を起こしただけでは到底まとまらないだろうから、相当加筆する必要があるだろうが、そんなことをするよりも鼎談をあらためて行うことを提案したい。村上とヤノベはサービス精神が旺盛でスタンドプレイ好き、一方、中原は熟考型で人前での話がさほど得意ではないから今度は非公開で。何よりも、不完全燃焼だったシンポジウムは出発点でしかなく、本当の議論はこれから始まるのだと思う。余計なお世話かもしれないが、実現を願っています。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。