COLUMN

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Out of Tokyo

254:『ONE DAY, MAYBE いつか、きっと』
小崎哲哉
Date: December 25, 2013

「光州事件」は1980年5月18日から27日にかけて、韓国全羅南道の中心都市・光州で起こった。中央の独裁政権に対して民主化を求めて蜂起した学生や市民が、軍と機動隊に鎮圧され、数百人の死者が出たといわれる痛ましい事件である。その犠牲者たちの霊が現代に現れる。彼らが目の当たりにするのは、30年あまり前とはまったく異なる民主化された祖国の姿だ。それは同時に、グローバル資本主義化された世界の光景でもあった。だがその光景は、彼らにとって「夢の未来」と言えるものだっただろうか?

 

『ONE DAY, MAYBE いつか、きっと』金沢公演(撮影:池田ひらく) | REALTOKYO
『ONE DAY, MAYBE いつか、きっと』金沢公演(撮影:池田ひらく)
『ONE DAY, MAYBE いつか、きっと』高知公演(撮影:釣井泰輔) | REALTOKYO
『ONE DAY, MAYBE いつか、きっと』高知公演(撮影:釣井泰輔)

2年あまりの準備期間を経て、今秋、韓日3都市で上演された『ONE DAY, MAYBE いつか、きっと』の主題は、要約すれば上に書いたことに尽きる。英国の劇団ドリームシンクスピークの芸術監督、トリスタン・シャープスが書き下ろし、演出した同作は、まずは9月に光州で、次いで11月前半に高知で、そして11月末から12月初旬にかけて金沢で、各都市の観客に披露された。僕は高知公演と金沢公演を観たが、両者はかなり印象の異なるものだった。何よりもそれは上演会場の違いに因る。前者は閉館後の高知県立美術館、後者は金沢中心部の商店街・竪町にある空きビルが舞台だった。

 

『ONE DAY, MAYBE いつか、きっと』金沢公演(撮影:池田ひらく) | REALTOKYO
金沢公演(撮影:池田ひらく)

高知では池に面した中庭、金沢では商店街の路上で、十数人の役者が犠牲者を悼み称える彫像に扮して芝居が始まる。日本人ガイドが光州事件についての説明を始めるが、いつの間にか、多くの企業やブランドによって、その後世界が如何に便利で素晴らしいものになったかという話に変わってしまう。役者たちは怪訝な顔になって彫像であることをやめ、別室/空きビルに入ってゆく。そこは照明が輝くショッピングエリア。有名ブランドのブティックやグローバルチェーンのカフェで店員がきびきびと働き、店では実際に衣料品が買え、飲食もできる。店内のモニターには快活で軽快なK-POPの映像が流れているが、やがて画面と音楽が切り替わる。暗い室内、くぐもった声にときおり悲鳴が交じり……。

 

『ONE DAY, MAYBE いつか、きっと』高知公演(撮影:釣井泰輔) | REALTOKYO
高知公演(撮影:釣井泰輔)

 

金沢公演には高知では無かったシーンがひとつ追加されていたが、筋に概ね変わりはない。現代に召喚された犠牲者の霊が、グローバル資本主義の光と影を観客とともに体験するというのが大枠だ。観客は美術館の通路や空きビルの階段、中庭や元ネットカフェだった部屋などに導かれ、そこで寸劇が行われる。驚嘆すべきは場所の優れた使い方と美術や機器の見事な設営。高知では美術館内の能舞台やホールの座席までもが巧みに使われていたし、金沢では、よくもこれだけおあつらえ向きの建物を探し当てたと感心するほかないような、漫画喫茶やネットカフェが潰れた後の空きビルが隅々まで使い倒されていた。

 

『ONE DAY, MAYBE いつか、きっと』金沢公演(撮影:池田ひらく) | REALTOKYO 『ONE DAY, MAYBE いつか、きっと』金沢公演(撮影:池田ひらく) | REALTOKYO
金沢公演(撮影:池田ひらく)

だが聞いてみると話は逆で、「サイトスペシフィック(場所に固有の)」ならぬ「サイトレスポンシブル(場所に応じた)」を標榜するシャープスが、現地スタッフとともにロケハンをして先に会場を決め、場所に合わせて装置、動線、演出などを決めていったのだという。劇場の外に出て都市を舞台に物語を展開する表現者は、いまの日本では例えばPort Bの高山明がいるけれど、都市の表層を剥ぎ取って古層に潜む歴史を垣間見せる高山の手業にはこの作品は遠く及ばない。それは当然の話で、主題が光州事件である以上、高知や金沢のどこを会場にしたとしても、露わにすべき古層など存在しない。あるのはツルツルでピカピカの表層、つまり光り輝く消費社会ばかりだ。

 

『ONE DAY, MAYBE いつか、きっと』高知公演(撮影:釣井泰輔) | REALTOKYO 『ONE DAY, MAYBE いつか、きっと』高知公演(撮影:釣井泰輔) | REALTOKYO
高知公演(撮影:釣井泰輔)

とはいえ、まばゆい表層の裏には、往々にして黒々とした闇が隠されている。上述したシーンは警察による市民の弾圧を描くものだった。舞台が美術館に付設された劇場の楽屋や空きビル内の潰れたカラオケ店で、ダンサーを中心とした役者の演技がやや稚拙だったこともあり、少し前なら文字どおり絵空事と受け取られかねなかっただろう。だがNSAの機密文書を公開したガーディアン紙に英国政府が圧力をかけ、日本で特定秘密保護法が成立した状況では、ある程度は現実味をもって受け止められたのではないか(公演終了後に北朝鮮で国家ナンバーツーの粛清が行われたこと、さらに、日本政府が武器輸出3原則をなし崩しにしたことはご存じの通りだ)。戦前の日本や光州事件時の韓国、現在の北朝鮮ばかりではない。国家とは原理的に、自らに逆らう者を許さないメカニズムを備えている。

 

『ONE DAY, MAYBE いつか、きっと』金沢公演(撮影:池田ひらく) | REALTOKYO
金沢公演(撮影:池田ひらく)

 

金沢公演を観た直後に、文化庁が主催する『東アジア共生会議2013』が京都で開催された。スピーカーのひとり、インディペンデントキュレーターのキム・ソンジョンは、自身がアーティスティックディレクターを務める『REAL DMZ PROJECT』のプレゼンテーションを行った。「DMZ」とは非武装地帯のことで、その名の通り、韓国と北朝鮮との軍事境界線直近にあるDMZで、DMZ自体をテーマとして展開されているアートプロジェクトだ。資金は主に国軍から出ているというから、背景は単純ではないだろう。

 

キムは4年前にソウルで、旧国軍機務司令部を会場とした展覧会『プラットフォーム・ソウル2009』をキュレーションしている。後に更地となり、この秋に国立現代美術館ソウル分館が開館した場所だが、妖気が漂う不気味な建物だった。饐えたような匂いがする地下の部屋は、壁の厚みが40cmはあった。拘束した者を拷問しても、声が漏れないようにしていたのだろう。ジニー・ソは金網で、監獄を想起させるインスタレーションを作った。暗い室内に小さな腕時計だけを置いたクリスチャン・マークレーの作品が、異常に速い速度でカチカチと時を刻んでいた。そう、韓国はわずか二十数年前までこうした暗部を抱えていた。そしていまも、仮想的ではない本物の敵国とDMZを挟んで対峙している。

 

Yeondoo Jung, Brotherhood of War - B Camera, 2013 | REALTOKYO
Yeondoo Jung, Brotherhood of War - B Camera, 2013

高知と金沢の両公演は、百点満点とは言えなかったがよく出来ていたと思う。とはいえ、やはり僕は光州に観に行かなかったことを悔やんでいる。悪夢のような記憶がいまも痛みとして残る、そしていまだに北朝鮮との緊張関係が解消されていない国で観たなら、鑑賞後の感想はまったく異なったものになったに違いない。逆に言うと、この作品を日本で上演し、日本の観客に見せることは、韓国での上演と比べると意義が半分しかなかったのではないか。前近代を象徴するかのような装いで現れ、犠牲者たちのために鎮魂の儀式を行う老婆は、日本の観客の目にどのように映ったのだろうか。

 

我々は隣国の歴史を知らない。だから英韓日が共同・協働したこの企画は、無知を補う好企画だったと呼べるだろう。我々と同様に無知であるだろう、英国を始めとする欧州各国で上演するのもいいことだと思う。だが、やはりこの作品は、光州での再演を含む韓国国内での巡演をまず行うべきではないか。日本にいる我々も、そのときに韓国へ出かけてゆく価値はある。その際には、光州の5.18記念公園と墓地を訪ねるといいだろう。南北間の緊張があまり高まっていなければ、もちろんDMZを観に行くこともおすすめする。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。