
清水靖晃+カール・ストーンの『Just Breathing』には心底圧倒された。9/28(土)、愛知芸術文化センター小ホール。音楽ライブを依頼したつもりだったが、それは通常の「ライブ」の概念をはるかに超えるものだった。「ライブサウンドインスタレーション」という言葉が浮かびもしたけれど、「インスタレーション」という静かで控えめな用語であの衝撃は表しきれない。自身の実存が脅かされる気さえする異常な体験だった。

清水靖晃+カール・ストーン『Just Breathing』 Photos: Hatori Naoshi
初めて打合せに行った際、清水の勘の良さに驚かされた。何かしらサミュエル・ベケットらしさを入れ込んでほしいと頼み、ベケットの作品世界について説明し始めたところ、ほんの数分で「呼吸音だけでやるのはどうかな」と提案してきたのだ。ベケットにはまさに『息(Breath)』と題する戯曲がある。全編わずか25秒(台本の指定では35秒)、「種々雑多なごみが散らかっている舞台」で「かすかな短い叫び声」の後に息を吸い込む音と吐き出す音が聞こえ、最初と「まったく同じ」叫び声で終わる作品だ。1969年に初めて上演され、後にアーティストのダミアン・ハーストが映像化している。台本によれば、叫び声は「録音された産声」で、息は「増幅された録音」である。
そして清水は共演者としてカール・ストーンを指名した。電子音楽の草分けのひとりで、聞いてみるとベケットは大好きな作家だと言う。僕はリハーサルのときに「ふたり並ぶと(『ゴドーを待ちながら』の)ディディとゴゴみたいだ」などと軽口を叩いたが、実際には彼は、『息』以外に『クラップ最後のテープ』を意識していた。ストーンはライブ中に共演者(この場合は清水)の生音をサンプリングし、自らがアーカイブした音源と併せて生音と「共演」する。音を録音し、その音を聞き直しては再構成する(クラップの場合には自らの記憶を再構成する)という手順は、なるほどクラップとまったく変わりない。

清水靖晃+カール・ストーン『Just Breathing』 Photos: Hatori Naoshi
本番の舞台は、開幕前は真っ暗だった。上方に点されたスポットによって電子機器がほのかに浮かび上がり、下手から現れたストーンがそこに入ってゆく。ややあって上手袖から木枯らしのような喘ぎ声が聞こえ、人影が舞台に入ってくる。もちろんそれはテナーサキソフォンを抱えた清水その人で、不動のストーンを中心に、時計回りに舞台上を歩きながら演奏を続ける。最初はタンポ(パッド)を叩いたり、単音を区切って吹いたりと、アブストラクトな音の連なりが目立った。その音をストーンが取り込み、ディレイを施したり、ヴェトナム語のニュース放送など自前の音源と組み合わせたりして、スリリングな音風景を生み出してゆく。ストーン曰く「彼(清水)が息で音を描き、その絵を私は彫刻する」
清水のサキソフォンについて特筆すべきは、その音量と音色である。繊細な小さな音ももちろん駆使するが、ときに、野太いと言えるほどの大音量で聴衆の耳を圧する。音色については主観的な形容を述べるほかないが、ひとことで言えば「艶っぽい」。低音域の重厚、中音の張り、高音ののびやかさ、どれを取っても比類ない独自の音で、聴く者の心を立ち騒がせる。バッハ『無伴奏チェロ組曲』の全曲録音が典型だが、長い残響が特徴ではあるものの、音自体はクールに乾いている。その乾いた音をストーンが漏れなく捉え、他の音も加えながら、原音の魅力を増幅させるべく「彫刻」してゆく。ふたりの演奏家曰く「インテュイプロビゼーション(直感即興演奏)」。至福に満ちた時間がしばらく続いた。

清水靖晃+カール・ストーン『Just Breathing』 Photos: Hatori Naoshi
ライブが半ばを過ぎた頃合いだろうか、陶然としていた聴衆は予想もしていなかった視聴覚体験に襲われる。真っ暗だった背景のスクリーンに、何か巨大なものの映像が現れたのだ。最初に見えるのは茫洋とした3〜4個の光の固まりで、焦点が合った後でもそれが何であるのかは直ちにはわからない。十字架? クジラ? 女体像? その像に清水が近づき、抱きかかえるようにして唇を寄せ、息を吹き込んだ瞬間に焦点がぴたりと合う。と同時に鮮烈な光がきらめき、電気的に増幅された轟音が響きわたって舞台と客席を揺らす。聴衆は雷に打たれたかのように度肝を抜かれるが、音はただひとつだけで、映像もすぐにぼやけて掻き消されてしまい、背景は元の暗闇に復する。
「何か巨大なもの」の正体は、日本におそらく3台ほどしかないであろうというコントラバスサキソフォンだった。高さが2・5メートルもあるというから、管楽器としては最大級のものだ。雷鳴のような、あるいは黙示録のラッパのような轟音は、全部で9回吹き鳴らされる。そのたびに同時に浮かび上がる映像は、声(音)によってイメージが召還されるベケット的世界の、誇張的にして忠実な再現であるとも言える。

清水靖晃+カール・ストーン『Just Breathing』 Photos: Hatori Naoshi
1時間強の「ライブ」は、始まりと同じ、木枯らしのような喘ぎ声で終わった。ベケット研究家の中尾知代氏によれば、『息』は「『ゴドー』中の人生を表した台詞「女達は墓にまたがって子供を産む訳さ、光が一瞬射したかと思えばまた闇夜」の劇化と解釈されることが多い」(高橋康也監修『ベケット大全』所収「ベケット作品解題」)。『Just Breathing』は『息』の構成・構造をなぞりつつ、喘ぎ声の合間の「艶っぽい」音とふたりの演奏家のインタープレイによって生の官能性を強調していた。「揺れる大地」というトリエンナーレのテーマと呼応しつつ、まったく新しい時空間を創出してくれたふたりに感謝したい。願わくは名古屋以外の場所でも再演されんことを。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。