
岡崎シビコは古いショッピングセンター。徳川家康が生まれた岡崎城まで徒歩数分の岡崎市康生地区にある。康生地区は、1960年代にシビコの前身に当たる店が開業した当時は映画館や多数の店舗で賑わうショッピングエリアだったが、2000年に敷地面積10万平米を超える巨大ショッピングセンターが市の南部に生まれ、かつての賑わいを失った。6階建てのシビコも、テナントが入って営業しているのはいまや地下1階地上3階のみ。上階3フロアの一部はトランクルームなどに転用されている。この建物の5階に、向井山朋子とジャン・カルマンは、異次元的と呼びたくなるような強烈な世界を作り上げた。
観客は買い物客と同様にシビコの入口から入り、エスカレーターで3階まで上ってゆく。フロアに描かれたラインに沿って売り場の裏手に回り、小さな鉄の扉を開けて饐えたような匂いがする非常階段部分に入る。階段を2階分上がると、外界と隔てられた非日常的な空間が待っている。インスタレーション/パフォーマンス作品『FALLING』だ。

広大な空間は薄暗く、オレンジ色の光が明滅している。巨大な獣の拍動か、遠方で行われている砲撃のような音がどーん、どーん……と鳴り響いている。床には膨大な量の古新聞が山をなし、壊れた十数台のピアノがその合間に埋もれている。新聞紙は、丸めてまき散らされているのと、それを広げてきちんと重ねてあるのとの2種類。光源は主に壁際にあり、手前に金属製の大きなファン(扇風機)が置かれているので、ファンが回りはじめると羽根の裏側に反射して光もぐるぐると回ることになる。空間内にはうっすらとスモークが炊かれているが、控えめなので気が付かない人もいるかもしれない。
拍動あるいは砲弾の音に重なって、サイレンのような金属的な音が聞こえ始める。音は次第に高まるがやがて収まり、ピアノの単音が聞こえてくる。空間の中ほどに1台だけ壊れていない自動ピアノがあって、鍵盤の真ん中辺の黒鍵がカタカタ動いている。しばらくすると別の音が、さらには高音部のトリルや地鳴りのような重低音も加わって耳を聾するばかりになる。音の変化に合わせ、ファンが速度を上げて古新聞の山を震えさせる。壊れたピアノは重低音と共鳴して振動し、光も激しく明滅する。観客の緊張と興奮が最高潮に達する寸前に音ははたと止み、自動ピアノはもの悲しいメロディーを奏で始める。だがそれもまた轟音に取って代わられ、轟音の嵐が過ぎると再び拍動のような音が聞こえてくる。

観客は1,000平米ほどの空間を自由に歩くことができる。空間の端には、スクリーンに見立てた四角い窓を空けた壁で区切られ、20脚ほどの椅子を並べた一角がある。その椅子に座れば映画を観るように作品の(ほぼ)全貌を観ることも可能だ。週末の午後にはパフォーマンスが行われる。壊れたピアノの裏手に座り、古新聞を拾っては読み捨てる者。広げた古新聞を重ねたり、その上を歩き回ったりする者。「全部壊れちゃった。元の木阿弥」と繰り返し叫びながら車椅子で走り回る者。会場の片隅で古新聞の山に埋もれる者と、埋もれさせる者。そして、白い仮面を装着した双子のような2人の少女……(※内容は回毎に異なる。臨時休演もあるので公式サイトで要チェック)。
この作品から想い起こされることは少なくない。あいちトリエンナーレ2013のテーマは「揺れる大地―われわれはどこに立っているのか: 場所、記憶、そして復活」であり、しかし瓦礫のような光景から地震や津波だけを連想するのは単純に過ぎるだろう。プロデューサーとしては、可能なら何らかの形でサミュエル・ベケットの世界に関連性を持たせてほしいとお願いした。直接的な引用はないが、前回書いたヴェルツ+フォーサイス作品と同様、「いざ最悪の方へ」に想を得ていることは明らかだと思う。「人べらし役」や「なおのうごめき」にも通ずるものを感じる。作家2人は以下のような声明を発表している。

国を挙げての一大プロジェクトとして「文化の塔」を建設し、極めて完成度の高い文明を誇示しようとした国家があった。信じがたいほどの高みに達する「文化の塔」を建てるために、想像しうる限り最も完成度の高い芸術的オブジェとしてピアノが選ばれた。ピアノは芸術品であり、芸術を創り出すものでもあった。洗練の極みに達した文化の輝ける象徴であったのだ。これらの塔は高みを目指し続け、維持することはとても難しかった。脆く、バランスを欠いていたために、大気が、あるいは大地がごくわずかに揺れ動いただけで崩れ散ってしまっただろう。新聞は、儚くも過ぎ去るこうした「歴史」の瞬間を記録していた。
この偉大な作品の残骸はいまだに訪れることができる。幽暗が音楽を創り出し、その音色はかつて人が共有していた和音を想い起こさせる。かつては繁栄を極めた百貨店の5階にその秘密の場所はある。『FALLING』はあなたを、あなた自身の物語をめぐる旅の探究へと誘う。おそらくそれは、喪失の物語であるだろう。

一説によると、この国には誰も弾かなくなって家庭に死蔵されているピアノが数百万台もあるという。シビコが「かつては繁栄を極めた百貨店」であることも上述したとおりだ。だが、実はこの作品には、それ以外の背景もある。
第二次世界大戦末期の1944年12月と翌45年1月、東海地方は東南海地震と三河地震に続けて襲われた。どちらも死者1,000名超という巨大地震である。ところが、この地方には軍需工場が集中していたため、政府は報道管制を敷き、新聞には「被害僅少」というベタ記事が出ただけだった。地震の前後には米軍による激しい空襲があり、愛知県全域で10,000人を超える人々が死亡した。

古新聞をいくら読んでも、死者たちの名前を見つけることはできない。地震の際には地鳴りが、空襲の際にはサイレンの音が響いたことだろう。また、三河地震は「地震発光現象」が起こったことでも知られている。ある被災者によれば「余震が起こるときには、ドンドンドンドンっていう地鳴りがして、地下から『モワーッ』という感じで何ともいえん明かりがでた、夜でも懐中電灯がいらないくらいの明るさで光った」(木股文昭・林能成・木村玲欧著『三河地震 60年目の真実』より)とのことである。
我々は数え切れないほど多くのものを喪失してきた。いまも喪失し続けているし、これからも喪失し続けるだろう。古いショッピングセンターの5階にある「秘密の場所」は、その事実を光と音によって衝撃的なまでに表現している。
(『FALLING』の展示は10/27まで。詳しくはあいちトリエンナーレ公式サイトをご覧下さい。)

寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。