COLUMN

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Out of Tokyo

247:2つの愛の展覧会、2つのウクレレ
小崎哲哉
Date: May 09, 2013

森美術館『LOVE展:アートにみる愛のかたち―シャガールから草間彌生、初音ミクまで』(9/1まで)の内覧会に行った。10周年記念展だそうだが、10年前の開館記念展は『ハピネス:アートにみる幸福への鍵 モネ、若冲、そしてジェフ・クーンズへ』である。今回も、最初の部屋にはジェフ・クーンズの「聖なるハート」が鎮座していた。

 

Jeff Koons Sacred Heart | REALTOKYO
Jeff Koons Sacred Heart

「幸福」にしろ「愛」にしろ、普遍的な主題は、逆に言えば「ありがち」であり、多数の作品を並べる網羅的な手法は、ともすれば「総花的」なだけに終わる危険性がある。森美術館学芸部のキュレーターが集団で作り上げるという民主的な形式も、主題がきちんと貫かなければ「衆愚的」な展示に陥りかねない。そして結果は……危惧したとおりだった。南條史生館長は博愛の人だから、スタッフが推す作品を「これも愛、あれも愛、たぶん愛、きっと愛」と、袖にすることなくすべて取り上げたのではないだろうか。

 

Installation view at Yamamoto Gendai | REALTOKYO
Installation view at Yamamoto Gendai

この『LOVE展』と白金アートコンプレックス5周年合同展覧会『メメント・モリ~愛と死を見つめて~』(5/18まで)とは「裏表のセット」(某ギャラリスト談)であるそうで、後者は、『LOVE展』出展作家でもある杉本博司が「窮霊汰」を務めている。といっても、巨匠は各ギャラリーに「エロスとタナトスをテーマにした作品を集めろ」と指示しただけらしいが、それでも「エロスとタナトス」に絞り込んだだけ、普遍・網羅・民主的な『LOVE展』よりも特殊・選択・独裁的に見える。窮霊汰の口上に曰く「愛と死を見つめること、それは刹那と永遠を見つめることでもあります。本展は愛と死を見つめる作家たちを厳選して皆様にお届けいたします。なお、本展は純情表現のみに偏らず、同等の重さで劣情表現にも意を払っています。人の心はそのはざまに生きるものだからです」。なお、展覧会名はもちろん森美術館への当てこすりだが、すでに10年前の森美術館開館時に、都築響一と辛酸なめ子による先例「メメントモリビル」がある(「Out of Tokyo 077」参照)。

 

Beat Takeshi's piece | REALTOKYO
Beat Takeshi’s piece

1階から5階までの全ギャラリーに古美術から現代アートまでが並べられていたが、いちばんの「問題作」は、山本現代の小谷元彦作品の前に、キャプションもなくひっそりと置かれていた。ビートたけしの出展作である。透明な樹脂で作られた、中に人が入れるようになっている「ノーパン跳び箱」で、たけしのテレビ番組でAV女優を飛ばせたことがあるという。この跳び箱がいかに現代アートの傑作であるかは、4/30に森美術館で開催された杉本博司&浅田彰のトークセッションで「文脈化」された。とりわけ、この作品のコンセプトが「世界の起源」のクールベと、「(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ」のデュシャンの系譜に連なるとする浅田氏の立論は、精緻にして痛快。いずれどこか(REALKYOTO?)に発表されるかもしれないので、その際にはぜひご一読を。

 

Bae Young-whan object Sign of Fukushima 2 (left) and object Sign of Fukushima 1 | REALTOKYO
Bae Young-whan object Sign of Fukushima 2 (left) and object Sign of Fukushima 1
Bae Young-whan object Sign of Fukushima 2 | REALTOKYO
Bae Young-whan object Sign of Fukushima 2
Date Nobuaki's ukulele | REALTOKYO
Date Nobuaki’s ukulele

さて、『LOVE展』も別に悪いことばかりではなく、個人的にはうれしい出会いがあった。ベ・ヨンファンの「オブジェクト/福島の風2」(2012)である。1969年ソウル生まれのベは、ごく初期から「流行歌(ユヘンガ=Pop Song)」を中心的な主題に据え、韓国社会とは何かを様々な手法で問い続けている。廃材から作ったギターは代表作のひとつで、左翼運動、男性優位社会、サブカルチャー、懐旧の念、感傷性など様々な含意を持つ。「オブジェクト/福島の風1」は、震災後に訪れた福島で収集した廃材を用いて作ったギター、そして「2」はウクレレである。僕はこれまでに、ベが作った数々のギターを観てきたが、ウクレレは初めてだった。

 

日本の(というより関西の?)アートファンなら、ウクレレを使ったアート作品というと伊達伸明の名を思い浮かべるだろう。1964年生まれの伊達は、京都市立芸大在学中に音や楽器に関わる作品を作り始め、2000年からは「建築物ウクレレ化保存計画」なるプロジェクトを進めている。建物が取り壊される際にその部材でウクレレを作り、家主に贈呈するというもので、つい先だっても京都のアートスペース虹で個展が開かれていた(4/28終了)。大阪は中之島のフェスティバルホールの廃材を使ったものなどが展示されていて、マスメディアでも話題になったから、ご覧になった方も多いかもしれない。

 

弘益大学で東洋画を専攻し、卒業後には映画の脚本も書いた韓国人作家と、京都市立芸大で漆工を学び、音とデザインへの関心から楽器の作成を始めた日本人作家が、ともに廃材でウクレレを作ったというのは偶然の一致だろう。先日、REALKYOTOのブログに書いた、トーキョーワンダーサイトのロゴデザイン盗作疑惑とは異なり、盗用や相互影響とは考えられない。いや、もしかするとそれは、必然と呼ぶべきかもしれない。過去の記憶の(文字どおりの)断片を楽器という形で保存しようという両者の作品は、失われてしまったものへの郷愁と哀悼の意に満ちているが、失われてしまったものを失わせたのは、韓国と日本それぞれの近代化にほかならないからだ。そして、同じ東アジアに位置する両国の近代化は、あらためて言うまでもなく互いに複雑に絡み合っていた。ウクレレを爪弾くとき、そこからはほろ苦い旋律が聞こえてくることだろう。

 

Date Nobuaki | REALTOKYO
Date Nobuaki

展覧会、特にグループ展においては、選択され展示された作品が、互いに目に見えないリンクのようなものを張っていて、それを明示とも暗示とも付かない、絶妙な程合いで鑑賞者に感じさせることが肝要である。『LOVE展』では(『メメント・モリ』でも?)、残念ながら僕にはそのようなリンクはあまり感じ取れなかった。代わりに浮かび上がってきたのが、あまりに明示的(ベタ)ではあるけれど上記の2つの(二者の)ウクレレだった。「幸福」や「愛」という巨大な主題に挑むのも結構だが、小規模でもいいから、リンクの存在を腑に落ちる形で感じさせてくれる展覧会を観たいと思う。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。