COLUMN

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Out of Tokyo

243:サイトスペシフィックな国際展
小崎哲哉
Date: December 21, 2012

オーストラリアのブリスベンで開催される『Asia Pacific Triennial of Contemporary Art』(APT)が今年で7回目を迎えた(12/8〜2013/4/14@Gallery of Modern ArtおよびQueensland Art Gallery)。その名が示すとおり、アジア太平洋地域における現代アートを紹介するトリエンナーレで、初回の1993年以来、この地域の主要なアーティストはほとんどが網羅されている。何よりすごいのは、国際展に付きもののテーマが一切ないことだ。テーマなしで、すなわち余計なご託を並べることなく、20年続けている。

 

アトゥル・ドディヤの「Somersault in sandalwood sky」(白檀の空の宙返り) | REALTOKYO

その結果として実現した作品として最も面白かったのは、実力ある人気作家アトゥル・ドディヤの「Somersault in sandalwood sky」(白檀の空の宙返り)だ。APT7が委嘱する相手として、これほどふさわしい作家はほかにいないだろう。今回のAPTは20周年とあって、自らの歴史を振り返る作品を求めていたからだ。そしてドディヤは、このお題にぴったりの方法論を有しているからだ。ドディヤは1959年、ムンバイ生まれ。ボリウッドを始めとする大衆文化の映像や、新聞・雑誌・ポスターなどの切り抜き、他の作家の作品画像などを素材として、変わりゆくインドや世界を批評的に捉える作品を発表している。サンプリングとアプロプリエーションを武器に、古代の神話から現代の政治・社会、さらにはアート史までを守備範囲(攻撃対象?)にしているというわけだ。

 

アトゥル・ドディヤの「Somersault in sandalwood sky」(白檀の空の宙返り) | REALTOKYO

かくしてドディヤは、前面にガラスを貼ったチーク材の飾り戸棚を9本用いて、壮大にして細密なインスタレーションを作成した。戸棚を用いる作品は1997年頃に作り始めていて、それはマハトマ・ガンジーの生地を訪ねてからのことだという。生家に隣接して記念館があり、そこに写真や身の回りの品を収めた飾り戸棚がある。ドディヤはガンジーを尊敬していて、肖像を幾度も描いているほか、作品に繰り返し登場させている。

 

アトゥル・ドディヤの「Somersault in sandalwood sky」(白檀の空の宙返り) | REALTOKYO

ガンジーの戸棚とは違って、ドディヤの戸棚に置かれるのは、草間彌生や艾未未(アイ・ウェイウェイ)がパフォーマンスを行う写真や、同じく艾未未が作った色鮮やかな壺のレプリカや、村上隆のDOB君の模写や、楊福東(ヤン・フードン)や北野武の映画のスチールなどだ。地域に敬意を表してのことだろうが、アリギエロ・ボエッティの有名な「Mappa」(地図)から、アジア地域とオセアニア地域を切り取って模写した作品もあった。インドを始め、ほかの国の作家も多数引用されている。ここにあるのは、APT20年の歴史を文字どおりミニアチュール=細密画にしたものだ。

 

アトゥル・ドディヤの「Somersault in sandalwood sky」(白檀の空の宙返り) | REALTOKYO

APTは少なくともここ数回、アジア太平洋地域の伝統美術・工芸の紹介にも力を入れている。つまりは先住民文化に固有の美術・工芸ということで、例えば今回はパプアニューギニアの仮面や彫刻が展示されている。また前回は、北朝鮮の美術工房「万寿台創作社」の創作物や、太平洋地域のレゲエミュージシャンによる音楽も紹介された。当然ながらこれらは、特に現代アートの専門家には評判がよろしくない。展覧会名に「Contemporary Art」と入れておきながら、どこが現代アートだというのだ、と。

 

アトゥル・ドディヤの「Somersault in sandalwood sky」(白檀の空の宙返り) | REALTOKYO

実質的な芸術監督のスハニャ・ラフェルは、展覧会図録に寄せた自らの文章の冒頭に歴史家ジェイムズ・クリフォードの一文を引用している。曰く「私たちが明快な方向を持つ『時間の矢』の中に生きたことは一度もない。そうではなく、(私たちが生きてきたのは)様々な現代、様々な同時代の渦の中だ。複数の歴史が別々に、そして一緒にどこかへ向かっている。それらが連結する様を、たったひとつの平面上に描き出すことはできない」。「様々な現代、様々な同時代」は、特にアジア太平洋地域において顕著に存在している、というのがラフェルの、したがってAPTの言い分だろう。「現代/同時代」も「アート」も、この地域では(欧米以上に)一様ではない。複雑多様で重層的な歴史・文化の中に生きているのだから、まずはその多様性・重層性を理解すべきだろうと。

 

アトゥル・ドディヤの「Somersault in sandalwood sky」(白檀の空の宙返り) | REALTOKYO

その見解は正しいと思うが、だから仮面やレゲエを現代アートとして扱うべきだという主張の是非はここでは論じない。ひとつだけ言えるのは、国際展が世界に数百あるといわれる時代にあって、APTが実に独自で、他とは明らかに異なる性格を有していることだ。冒頭に書いたテーマの不在はそのひとつだが、委嘱作品が多く、多くを買い取って収蔵品とする点も大きな特徴だ。地域に的を絞って20年という継続性も見逃せない。オーストラリアが多民族国家であることもあり、APTはアジア太平洋地域に特化し、見事に成果を上げていると僕は思う。ほとんどの国際展が毎回芸術監督とテーマを変え、しかも芸術監督は国際的に著名なキュレーターばかりでテーマも似たり寄ったり、結果的に同じような色合いになっている現状と対照的である。ひとことで言えば、APTはサイトスペシフィックなのだ。国際展はすべからく、そうあるべきではないだろうか。

 

アトゥル・ドディヤの「Somersault in sandalwood sky」(白檀の空の宙返り) | REALTOKYO

もうひとつ印象に残った作品について最後に書いておきたい。高嶺格の「Fukushima Esperanto」(福島エスペラント)である。「鹿児島エスペラント」など、これまでに発表した作品と同じ手法を用いたインスタレーションで、暗闇の中に多数のオブジェが配され、エスペラント語で書かれた文字が散在し、小さなサーチライトが部分部分を照らし出す。一瞬だけ全体が明るくなると、置かれているのは壊れた自転車や、ベッド、鳥かごなど、アーティストが現地ブリスベンで集めた廃物であることがわかる。

 

"Fukushima Esperanto" by Tadusu Takamine (Image courtesy of the artist) | REALTOKYO
"Fukushima Esperanto" by Tadusu Takamine (Image courtesy of the artist)

日本人が観ると、廃物は東日本大震災による瓦礫にしか見えない。オーストラリア人が観ると、クイーンズランド州で2年ほど前に起こった未曽有の大洪水を思い出すだろう。作家の出自と土地の固有性が相俟って、普遍性を獲得するに至った傑作である。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。