COLUMN

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Out of Tokyo

236:イ・ブル展の工夫
小崎哲哉
Date: March 02, 2012

批評家テオドール・アドルノは美術館を墓所になぞらえている。「あのいくつもある美術館というものは、代々の芸術作品の墓所のようなものだ」(渡辺祐邦+三原弟平訳『プリズメン』所収「ヴァレリー プルースト 美術館」)というわけだが、この言葉は収蔵品を主体とする美術館・博物館についての至言と言うべきだろう。では、現代の美術館が現役アーティストの企画展を開催した場合には、この言葉は関係ないかと言えばそんなことはない。作品をただ並べるだけでは、やはり「墓石」の集積になりかねないからだ。

 

Installation view at Mori Art Museum ("Live Forever III" 2001), 2012 / Photo: Watanabe Osamu / Photo courtesy: Mori Art Museum | REALTOKYO
Installation view at Mori Art Museum ("Live Forever III" 2001), 2012 / Photo: Watanabe Osamu / Photo courtesy: Mori Art Museum

その点、森美術館で開催中の『イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに』 (5/27まで)は、ちょっとした、だがなかなか見事な工夫で「墓所」への転落を免れていた。もちろん、観るだけで中に入れないカラオケボックスカー(「リヴ・フォーエヴァー」シリーズ/2001)など、限りなく「墓石」に近い展示もある。だが、総体としての展覧会は、いまだ精力的に活動する作家の魅力を十全に伝えている。

 

"Cravings" 1989 / Photo courtesy: Studio Lee Bul | REALTOKYO
"Cravings" 1989 / Photo courtesy: Studio Lee Bul

イ・ブルは1964年生まれ、ソウル在住の女性アーティストだ。80年代後半にパフォーマンスを中心に活動を始め、その際に身に纏った怪獣のような着ぐるみをソフトスカルプチャーとして発展させ、異形の彫刻やドローイングの作家として国際的な注目を集めるようになる。ハンス・ベルメールのような、あるいは80年代以降のロボットアニメのような形や描線が特徴的で、ヴェネツィア・ビエンナーレに出展し、ロダン・ギャラリーで個展を開くなど、韓国を代表する作家のひとりである。凡庸なフェミニズムとは一線を画し、しかし官能性あふれる造形は、生と性、特に女性性を強く感じさせる。

 

日本でも何度かグループ展に参加し、個展開催も数回ある。金沢21世紀美術館が作品を収蔵・展示していることもあり、アートファンにはよく知られている名前ではあるだろう。しかし、これだけの規模の回顧展はこれまでになかった。隣国のアート作品を観る機会自体が少ないこの国にあっては、それだけでも評価に値する。

 

"Cyborg Red" and "Cyborg Blue" 1997-98 / Photo: Watanabe Osamu / Photo courtesy: Mori Art Museum | REALTOKYO
"Cyborg Red" and "Cyborg Blue" 1997-98 / Photo: Watanabe Osamu / Photo courtesy: Mori Art Museum

作品の視覚インパクトは強烈で、デビュー以来ほぼ一貫する作家の造形的嗜好は明瞭に見て取れる。とはいえ、韓国の歴史的・政治的・社会的背景を知らぬ者にとって、個々の作品に秘められた主題は必ずしも容易には理解されないだろう。この点において、森美の展示は十分に親切であるとは言いがたい。だが、同じ東アジア文化圏に属する隣国の歴史や社会状況は、自ら学んでおくのが当然である。あえて学ばずとも、勘がよければ韓流映画やドラマを観るだけでも、相当な知識を獲得できる(かもしれない)。戯れ言はともあれ、以下、いわゆる「ネタバレ」となる部分があるので、未見の人は鑑賞後に読んで下さい。

 

"Cyborg W1" 1998 / Photo: Watanabe Osamu / Photo courtesy: Mori Art Museum | REALTOKYO
"Cyborg W1" 1998 / Photo: Watanabe Osamu / Photo courtesy: Mori Art Museum
"Amaryllis" 1999 / Photo: Rhee Jae-yong / Photo courtesy: Studio Lee Bul | REALTOKYO
"Amaryllis" 1999 / Photo: Rhee Jae-yong / Photo courtesy: Studio Lee Bul

結論から言うと、この展覧会の手柄は、展示動線の中ほどに「スタジオ」という空間を設けたことにある。漠然と観るなら、それはよくある「作家のアトリエ」的なレプリカ展示に思えるかもしれない。壁には3段掛け、4段掛けで夥しい構想図やスケッチが掲げられ、いくつか置かれた作業台には立体作品の模型が載せられている。最も目を引くのは、ほぼ実物大と思われる犬を象った30体ほどのオブジェで、素材は木、布、革、石膏、粘土、金属など様々だ。新聞紙とガムテープでざっくり作ったものから、表面に精緻なパターンを施したもの、さらには小さなポリゴンを組み合わせたものもあって、色もそれぞれに違い、共通するのはだいたいの形と大きさだけと言ってよい。

 

まず浮かぶ問いは「これらはいったい何だろう?」だろう。明示的な解答は見当たらないが、この場所が「スタジオ」であって普通の展示室ではない以上、作品制作の過程で、作家が最終形を模索する最中に試行錯誤的に作った模型であることはすぐに了解される。したがって次に生じる問いは「これらの習作は、最終的にどのように作品化されるのだろうか?」ということになるはずだ。

 

その答は展覧会の最後の部屋にある。ここに来て鑑賞者は、作家の脳内にのみ存在する創作プロセス(の一部)をわずかながら遡及的に辿ることができる。最後の部屋にある作品は「秘密を共有するもの」というタイトルだが、鑑賞者にも別の意味で秘密(の一部)を共有することができるのだ。もちろん、他のスケッチや模型と完成作品との関係を推測して楽しむことも可能である。

 

Installation view at Mori Art Museum ("The Studio"), 2012 / Photo: Watanabe Osamu / Photo courtesy: Mori Art Museum | REALTOKYO
Installation view at Mori Art Museum ("The Studio"), 2012 / Photo: Watanabe Osamu / Photo courtesy: Mori Art Museum

小さな仕掛けかもしれない。類い希な強度を備えた作品が多数並べられているのだから「余計なお世話」と受け取る向きもあるかもしれない。しかし、アドルノが言う「墓所」と化している無残な展覧会が少なからず見受けられる中で、この仕掛けは重要である。墓石となりかねない展示作品を救うための、いわば賦活剤的な役割を果たしているからだ。

 

これが現実のスタジオの忠実な再現ではなく、虚構を取り込んだ疑似レプリカであることに留意したい。キャプションには「そこ(作品の完成)に至るまでに彼女が思考と現実を往来するプロセス、アーティストの想像力と創造の世界を垣間見るようなスタジオ空間を再現する」と謳われてはいる。だがこれは、物理的にも概念的にも周到に作られたメタ作品的な作品として捉えることができるし、むしろそう捉えるべきだろう。

 

他の優れた現代アーティストと同様に、イ・ブルの作品世界も単純ではない。表現は重層的で、メッセージは多義的である。だが、謎めいた展覧会名『私からあなたへ、私たちだけに』をあえてパラフレーズし、彼女の継続的な主題を縮約するなら、それは「内から外へ」となるのではないだろうか。その主題を、言語的に説明するのではなく視覚的・身体的に感じせしめたという点で、「スタジオ」という名の作品設置は秀逸な仕掛けとして成功していたと思う。僕たちは過去の干からびて動かない死骸ではなく、同時代を生きる表現者が動いている様を見たいのだから。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。