
昨年のベルリン国際映画祭で上映されて話題を呼んだ2作のドイツ映画が、2月末から3月にかけて日本でも公開される。ヴィム・ヴェンダース監督の『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』と、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』だ。ニュー・ジャーマン・シネマの担い手だった2人の巨匠が、同時期にカルチャー系のドキュメンタリーを、それも3Dで制作したというのだから話題になるのは当然だろう。どちらも邦題がムダに長いということはさておき、両者を観たら、誰もがその優劣について論じたくなるのではないだろうか。

『Pina〜』は題名通り、ピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団についてのドキュメンタリーである。クランクインを間近に控えた2009年6月、ピナが急死したことによって、図らずも故人を追悼する内容となった。したがってピナが登場する場面は3D ではなく、生前に撮影された通常の映像だ。劇場の模型の映像がシームレスに実写に変わる(あるいはその逆)など、ヴェンダースらしい技巧がふんだんに凝らされている。

『世界最古の洞窟壁画〜』は、これも題名通り、現存する最古の絵画が発見されたショーヴェ洞窟の内部を捉えたドキュメンタリー。ラスコーやアルタミラなどの洞窟壁画は1万数千年前のものと言われるが、ショーヴェは3万2千年前のものとされている。牛や馬やマンモスなど野生動物の描画に加え、「作家」のものとおぼしき掌の跡も遺されている。ヘルツォークはデジタルカメラを用いて、壁画を舐めるように撮影している。

3Dの利用法や利用した理由についてのみ言えば、個人的にはヘルツォークに軍配を上げる。例によって音楽がひどすぎるという欠点に目をつむれば(耳をふさげば?)、狭く起伏に富んだ洞窟内で、壁画それぞれの空間的関係性や、光と影のコントラストを際立たせるために3Dを用いるというのはそれなりに説得力がある。3万2千年前にここで暮らしていた人々の目にはこう見えていたのではないか、あるいは現代においても、この空間に実際に入ってみればこう見えるのではないか。それは考えすぎで、2Dでも十分なのかもしれないが、観ている内にそのように感じる向きもあることだろう。
そんなことを言うなら、舞台上のダンサーそれぞれの空間的関係性を際立たせるのにも3Dは有効だろう、という反論がすぐに返ってくることだろう。もちろんそのとおりであり、『Pina〜』冒頭のダンスシーンには、誰もが陶然となって画面に見入ることだろう。だが問題は、狭隘で入り組んだ構造とぬめっとした触覚的テクスチャーを備えた洞窟内部とは異なり、ダンサーが踊る舞台なり野外空間なりが、広くて単純な構造と、さらりと乾いたほぼ純粋に視覚的なテクスチャーしか備えていない点にある。舞台装置、鉄道の線路、建物の窓枠など、直線やグリッドで構成された空間的形態要素が背景に頻出し、線対称性を強調する一点透視図法が多用され、最初ははっとするけれど、すぐに飽きちゃうのだ。


一点透視は3D映画の基本的にして飛び道具的な特徴で、アンディ・ウォーホル監修と銘打たれた超B級スプラッタ『悪魔のはらわた』(1973年)で、背後から槍で刺された犠牲者の臓物が眼前に飛び出してくるのは確かに迫力があった。僕の個人的映画体験においても、これは嚆矢にして白眉と言える3Dの用い方である。とはいえ飛び道具であるだけに、何度も使われると興が殺がれるのは言わずもがな。抑制すべきだということはヴェンダースも十分に心得ていただろうが、人も知る新技術マニアだし、3Dをウリにするには致し方なかったのかもしれない。その意味では、ヴェネツィア建築ビエンナーレや、東京都現代美術館の『建築、アートがつくりだす新しい環境―これからの“感じ”』展で上映された短編「もし建築が話せたら…」のほうが幾分マシだった。建築家ユニットSANAAが設計したロレックス・ラーニングセンター(2010年竣工)を撮ったもので、建物に直線が少なく曲線が多い分、線対称性の強調が少なかったからだ。
![ヴィム・ヴェンダース《もし建築が話せたら…》2010 Photo (C)Donata Wenders; from left: Wim Wenders, Ryue Nishizawa, Kazuyo Sejima [参考画像] | REALTOKYO](/docs/files/image/ozaki235_06.jpg)
ゴーグルを装着すると画面が暗くなるという欠点は、『Pina〜』と『世界最古の〜』ではあまり感じなかった。鳴り物入りで上映されたジェームズ・キャメロンの『アバター』(2009年)や、2Dでも十分に面白いと思えたティム・バートンの『アリス・イン・ワンダーランド』(2010年)とはそこが違う。もしかすると、短期間の内に上映技術やゴーグルの仕様に進歩があったのかもしれない。あるいは、劇場や洞窟の内部はそもそも暗いものだから、それほど気にならず、気がつかなかったのかもしれない。
正月休みに、溝口健二や小津安二郎の作品を何本かまとめて観た。DVDだったし、半世紀も前の作品だし、ドキュメンタリーではなくフィクションである。だから比べるのは無意味かもしれないが、『Pina〜』や『世界最古の〜』よりもはるかに自然な表現に感じられた。3Dはおろか、色すら付いていないアナログ映像が実に豊かであり、物語と過不足なく整合しているのだ。こう書くと「昔はよかった」というオヤジの繰り言に聞こえるかもしれないけれど、言いたいのはそういうことではない。3Dという技法の必然性に、もっと思いを凝らす必要があるのではないかということだ。内容と形式の一致という問題だ。
一時期流行し、その後はあまり見なくなった没入型メディアアートが多少は参考になるかもしれない。ただし、没入を完全なものにするためには画面は長方形ではなく、プラネタリウムのようなものが必要となる。映画館がこうしたスクリーンを備えるには時間がかかるだろうし、既存作品や既存映画館との棲み分けの問題も出て来る。そもそもこうした進化形を「映画」と呼びうるかという疑問もある。仮に実現するとしても、やっぱり当座は『スターウォーズ』や『マトリックス』的なSF大作だろうか。カルチャー系の映画にとって、道はまだまだ遠そうである。
インフォメーション
『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』
2月25日(土)、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿バルト9ほか全国順次3D公開
提供・配給:ギャガ
公式サイト:http://pina.gaga.ne.jp
『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』
3月3日(土)、TOHOシネマズ日劇ほかロードショー
配給:スターサンズ
公式サイト:http://www.hekiga3d.com/
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。