COLUMN

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Out of Tokyo

232:『フェスティバルFUKUSHIMA!』をめぐって
小崎哲哉
Date: October 13, 2011

10/9にNHKのETV特集「希望をフクシマの地から プロジェクトFUKUSHIMAの挑戦」が放映された。その後、『フェスティバルFUKUSHIMA!』を実施したことの是非と番組の内容とについて、Twitter上で様々な意見が交わされている(Togetter参照)。『フェスティバル』の実施に異議を唱える人々は、高線量地域での開催に大きな問題があるとする。中では音楽評論家・高橋健太郎の立論と主張が一貫していたので、彼のツイートを参照しつつ、考えたこと想い起こしたことを記しておく。

 

8/15に開催された『フェスティバルFUKUSHIMA!』 | REALTOKYO
8/15に開催された『フェスティバルFUKUSHIMA!』

高橋は、①「合理的に考えて、何らかの被曝を伴うアクションがある。が、それがそこで被曝する人達の被曝量を大きく越える、たくさんの人達の被曝量を減らすことに繋がるアクションならば、やる価値はあると思います。しかし、あのイヴェントは誰かの被曝を減らすことに繋がったか?」と疑問を呈し、②「全ては自己責任。それはそう。だが、それでいい? 合理的でない人が被曝承知で祝祭参加することを、企画者は歓迎している。それはいけないと思う。企画者は合理的(あるいは常識的)判断をする責任がある」と主張する。そして、③「坂本龍一さんのような有名ミュージシャンが一万人以上を集めるイヴェントを福島市内で行った。それはこの種のイヴェントが福島で可能だということを印象づけた。実際、9月には三日間のフェスがあった。project fukushimaはその先鞭をつけてしまった」と記し、④「さらに、そのイヴェントは福島には住み続けられる、福島で新しい日常を生み出すことは可能だというプロパンガンダ性を強く帯びていた。それは避難しようと思っていた人を押しとどめる力を持つでしょう。だから、たった一日のことではなく、人々の被曝を増やしてしまう」と続ける。番組に関しても、⑤「福島の汚染はたいしたことはない、福島には住み続けられる、というプロパガンダ番組にしか思えなかった」と断じている(ツイートは放映日当日から翌日にかけて。⑤→①→②→③→④の順)。

 

①はほぼ同感。強いて言えば、被曝(に関する知識)についての啓蒙的効用は少なからずあったと思う。とはいえ、それは「そこで被曝する人達の被曝量を大きく越える、たくさんの人達の被曝量を減らすこと」には、少なくともすぐには繋がっていない。だが、『フェスティバル』単体ではなく「プロジェクト」全体を見るならば、主催者はすでに「市民科学者養成講座」を開講している。個人的には、この講座が継続的に行われ、「たくさんの人達の被曝量を減らすことに繋がる」ことに期待している。③については事実であり、賛成も反対もない。④と⑤については、僕はそのようには受け取らなかったが、こうした受け止め方は理解できる。「福島の汚染は重篤である。福島にはもう住めない」という主張が説得力を持つのであれば(残念ではあるけれど、その可能性は否定できない)、そうした主張に基づいた番組や特集記事などが作られるのは、健全な政治性という観点から見て当然のことだとさえ思う。

 

しかし、②に関しては異論があるのではないか。「合理的でない人が被曝承知で祝祭参加することを、企画者は歓迎している」「企画者は合理的(あるいは常識的)判断をする責任がある」という場合の「合理的」「常識的」をどのように定義・判断するかで、賛否は異なる。『フェスティバル』の主催者は、ウェブサイトに「放射線の状況、地震や原発の状況、あるいは社会情勢によっては内容の大幅変更、中止もありえます。会場予定地の放射線量についてをよくお読みください」と記している。「会場予定地の放射線量について」には、開催前に4回に渡って実施した測定結果が被曝の試算値とともに掲載され、「フェスへのご参加・ご観覧を考えている方の判断の一助となれば幸いです」とのコメントが添えられている。主催者(企画者)は当然、この測定及び結果の公表とコメントをもって「合理的(あるいは常識的)判断」をしたと考えているだろう。高橋は無論、それは「合理的(あるいは常識的)」ではないと見なしている。「何より悲劇なのは、自らの意思で参加しているとは言い難い子供達がそこに連れて行かれること」であると高橋は指摘する。続けて「自己責任だということは、一つ、企画者は免責だということ。二つ目にはそれは、福島に残って暮らすのも自己責任、というメッセージにそのまま結びつく」と断言している。「イヴェント企画者の責任と参加者の責任を混同した論」を、高橋は厳しく指弾し、排斥する。

 

フェスティバルFUKUSHIMA! | REALTOKYO

そこで思い出したのが、詩人の伊藤比呂美が昔ある文章を綴ったことだ。たぶん雑誌に発表したものだと思うけれど、25年も前のことで、現物は残っていないから記憶で書く。

 

伊藤は当時の夫がポーランド文学の研究者で、1980年代前半、一時ワルシャワで暮らしていた。帰国後の86年にチェルノブイリ事故が発生し、世界各国で食品パニックが起きる。日本でもワインやパスタなどを中心にヨーロッパ産食品の忌避が始まった。そんな中、伊藤は「ポーランドの友人たちは、放射線を浴びたと知りつつ、その食品を食べざるを得ない。私は彼ら彼女らのために何もできないけれど、そこに行って、一緒に食べてあげたい」と書いたのだ。その後、夫君のワルシャワ大学赴任が決まり、夫婦は88年に再度ポーランドに渡っている。「一緒に食べてあげたい」という思いが実現したというわけだ。イベントではないから主催者(企画者)は当然いない。伊藤と夫は完全に自由意思で、かつ自己責任によって「参加」している。ワルシャワの友人たちの喜びは如何ばかりであったろう。ヒロミたちは我々を見捨てていない。それどころか、極東という遠方からはるばる来てくれた。あまつさえ、汚染されているとわかっている食べ物を一緒に食べてくれる。

 

フェスティバルFUKUSHIMA! | REALTOKYO

放射性物質が人の心身を蝕むのは間違いない。だが一方で、人は他者に見捨てられては生きてゆけない。「プロジェクト」及び『フェスティバル』の主催者(企画者)が、そのように考えてプロジェクトを立ち上げたことは、ウェブサイトに掲げられた「故郷を失ってしまうかもしれない危機の中でも、福島が外とつながりを持ち、福島で生きていく希望を持って、福島の未来の姿を考えてみたい」という宣言からも明らかだ。「つながり」が野外フェスティバルである必要はもちろんない。けれど、参加した音楽家たちはもとより、県外から足を運んだ観客の多くは、伊藤がポーランドの友人たちに対して抱いたのと同じような思いを抱いていたのではないか。少なくとも僕はそうだった。そこには、自らが単なる参加者ではなく、主催者の一部であると思いこみたいような気持ちすらあった。これは(主催者と被災者に対しての)二重に僭越な思いかもしれない。また、主催者の一部であるのであれば、そこに「継続」という責任が生じるのは当然だ……。

 

Twitter(Togetter)を読みながらそんなことを考えた。もっと考え続けてゆきたい。考え続けなければならない。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。