COLUMN

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Out of Tokyo

226:震災と表現者たち
小崎哲哉
Date: April 08, 2011

水戸から東京に脱出した後、僕は家族のいる京都に戻った。京都の家は敷地内に2棟ある古いが大きな家で、その後、首都圏から親戚や友人たちが避難しに来て、いまも数家族が一緒にいる。ある晩、みんなで食事を摂っているときに、その内の2人、サキソフォン奏者の清水靖晃とタップダンサーの熊谷和徳の間で話が盛り上がり、せっかく京都にいるのだから、ライブを開催しようということになった。

 

清水靖晃×熊谷和徳 | REALTOKYO

旧知のプロデューサー、P-hourのTさんに電話すると、「いいですね」と即答が戻ってきた。それが3/18(金)の午後のことで、その後はあれよあれよという間に詳細が決まり、会場が押さえられ、プロフィールを含む告知文が出来上がり、その文面がウェブサイトに掲載され、知人友人がメールや電話やTwitterで宣伝してくれ、あっと言う間に当日が来た。驚くなかれ、2日後の3/20(日)である。超速攻ですべてを仕切ってくれたTさん、宣伝してくれた知人友人、会場を提供してくれたソーシャルキッチンの皆さん、そしてもちろん、足を運んで下さった方々に感謝したい。ありがとうございました。

 

清水靖晃×熊谷和徳 | REALTOKYO

清水と熊谷はほとんど初対面で、だからもちろん初めての顔合わせだ。簡単な打ち合わせだけで始まったパフォーマンスはしかし、信じがたいほど密度の濃いものだった。「スピークロウ」などのジャズナンバーに加え、清水得意のペンタトニカ(5音階)の楽曲も入る。それぞれのソロが1度ずつあったほかは2人とも出ずっぱりで、スピード感あふれるステージは計1時間15分ほど。和蠟燭を持ってきてくれた方がいて、最後には他の照明を落とし、表情がわからないほどの薄闇の中、肺腑から絞り出されるサックスの低中高音と、驚異的な技術で緩急付けたタップスの音が会場に響き渡った。展開の速いアクション映画を高速再生で観るような、スリリングで刺激的な一夜だった。

 

清水靖晃×熊谷和徳 | REALTOKYO

急な開催にもかかわらず、有料入場者は61名。当初、熊谷は「足元がよく見えるように」床板を客席内にも敷いていたが、立ち見も出るほどの盛況だったのでその1枚は使われずじまいだった。「仕事は仕事」(清水・熊谷)ということで、入場料は1人1,000円を頂戴することにした。つまり計61,000円が出演者2人で折半されたわけだが、清水は全額を熊谷が主唱する義捐金プロジェクトに寄付。それも合わせて総額124,970円が、この「TAP THE FUTURE義援金PROJECT」に贈られた。

 

熊谷は仙台出身で、故郷でタップダンスのワークショップを行っている。地震が起こったときには東京のスタジオにいて、仙台で暮らす両親には翌朝まで連絡が取れなかった。今回に限らず、義捐金は「仙台のワークショップの中で、大きな被害を受けた人たちの周りにいる生徒に何が必要かを具体的に聞いて支援物資を送る」とのことだ。

 

チャリティについては様々な考えがある。あえてイベントを行わずとも、義捐金を送りたいのであれば、自分の判断で個別に送ればいい、というのもそのひとつだ。例えば菊地成孔は自らのブログにそういった趣旨のことを記していて、原則的に僕も同感。プロとして人として、まっとうな考えだと思う。だが、今回のライブにおいては、パフォーマーのひとりが被災地の出身であり、金の行き先も明快だ。何よりも、大災害に呆然としていた観客が元気になったと思う。事実、震災と原発事故の影響で自分が関わっていたプロジェクトに大きな支障が出て、シオシオのヨレヨレで東京からやって来た友人が、素晴らしいパフォーマンスに接して、水と肥料と太陽光を一気に浴びた野菜のように、みるみる生気を取り戻していた。

 

清水靖晃 | REALTOKYO
清水靖晃

清水は「抽象的な対象じゃなくて、熊谷くんの出生地という具体的な場所に寄付できるというのがよかったと思う。近いところから始めて、いずれは遠いところへ送るというのがいい。ぐっと来ることが呼び起こされて最高だった」と語る。熊谷は「最初はチャリティと言うより、単純にダンサーとして踊ってみたい、という気持ちでした。一方で何かしなくちゃ、とも思っていたので、自分のやれることができてほっとしました」と述べる。

 

熊谷には、歌手のカヒミ・カリィとの間に1歳3ヶ月になる娘がいて、何よりも娘のことを考えて家族で京都に避難してきた。だが同時に「逃げている」という罪悪感にも似た思いを常に感じているとも言う。被災した両親や生徒たちは仙台にとどまっている。スタジオ勤務のスタッフも東京を離れられない。もちろん自身もライブや打ち合わせなどで首都圏には向かうが、「仲間と常に行動を共にしていない」ことがどうにもやりきれない。

 

だが、僕はそれは考えすぎだと思う。こんな非常時には、特に幼児を抱えている親は、本当に最悪のことを考えて行動すべきではないだろうか。「最悪のこと」が起こる可能性はまだ残っている。だとすれば、それを避けることは至上命題だ。幸いにして「最悪のこと」が起こらなかったら、そのときは「心配しすぎだったね」と笑って東京に戻ればいい。

 

熊谷和徳 | REALTOKYO
熊谷和徳

被災地以外の(例えば東京からの)避難についての葛藤は、いま多くの人々が感じていることだろう。一方、ネット上には「逃げる」ことについての誹謗や非難の書き込みが多数見られる。様々な制約から移動ができない人たち、すなわち「逃げたくても逃げられない」人たちの気持ちはわからないではない。けれども人にはそれぞれの事情があり、それを知り得ない他人が安易に詰ってはならないと僕は思う。

 

「いま 首都圏から移動する人のことを 何とも思わない 居続ける人のことも何とも思わない 自分のことも何とも思われたくない 自分の事情や判断を 勝手に修飾されたくない 自分の友人知人にも両者がいる そのどちらとも 事態が落ち着いたら また気持ちよく仕事がしたいです」

 

飴屋法水がTwitterでこう呟いている(3/19)。飴屋はここで「逃げる」という言葉を用いてはいない。「残った人を見捨てて敵前逃亡する」というニュアンスを周到に、だが決然と排除している。こうした配慮こそが、いま求められている。ちなみにこのツイートのことは、大友良英が同じく3/19に書いたブログで知った。表題「みんなそれぞれの立場で」がすべてを言い尽くしている。そういうことだ。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。