

今年2月から3月にかけて東京都現代美術館(MOT)で開催された『サイバーアーツジャパン—アルスエレクトロニカの30年』展(以下、『30年展』)は、いささかならず物議を醸すこととなった。展示作家の選択に大きな偏りがあったという声が、少なからぬ数のメディアアート関係者から上がったのだ。特に、デジタル音楽やパフォーマンス関連の作家が「不当に」除外されているという。
MOTの『30年展』は『アルス・エレクトロニカ・フェスティバル』(『AEF』)の「歴代受賞者らによる展示」と謳っている。オーストリアはリンツで毎年開催されるメディアアートの祭典『AEF』は、年によって異なるが「コンピューターアニメーション/視覚効果」「デジタル音楽&サウンドアート」「インタラクティブアート」「ネット」などの部門に分けられていて、これも年によって違うが「ゴールデン・ニカ」(大賞)、「オノラリー・メンション」(名誉表彰)などの賞が部門ごとに授与される。
日本人のゴールデン・ニカ受賞者は、これまで8組。インタラクティブアート部門の藤幡正樹(1996年)と坂本龍一+岩井俊雄(97年)、ネット部門のセンソリウム(97年)とエキソニモ(07年)、デジタル音楽&サウンドアート部門の池田亮司(2001年)、刀根康尚(02年)、astro twin+cosmos(吉田アミ+ユタカワサキ+Sachiko M。03年)、三輪眞弘(07年)だ。この内、藤幡、センソリウム、刀根、astro twin+cosmos、三輪の5組の名が『30年展』には見られなかった。一方、AEFとは直接関係のない、宇宙開発関連のプロジェクトなどが展示を行っている。ちなみに、坂本龍一+岩井俊雄の展示は作品そのものではなく、スチールのスライドショーだった。「作品」は大規模なパフォーマンスだから上演は無理だとしても、これはちょっと哀しかった。
同展を担当したMOTの森山朋絵学芸員に、作家の選択基準や選択の意図についてメールで尋ねたが、(5/17の)週明けに連絡するという返事をもらいながら、いまだに連絡はない(本日5/28に返信をいただいた。シンポジウム前日であり、加筆する時間が取れないので、あらためて書くことにする)。『30年展』の公式サイトや宣材には「フェスティバルへの参加作品群を中心に、宇宙芸術などの新領域を含む、芸術・科学・社会の新たな可能性を探ります」と記されている。
僕は、「デジタル音楽やパフォーマンス関連の作家が『不当に』除外されている」とは思わない。デジタル音楽&サウンドアート部門のゴールデン・ニカ受賞者4組の内、3組が外されているからといって、それが「不当」であるとは必ずしも言えないだろう。予算や準備期間の問題があるだろうし、展示スペースにも限りはある。何よりも、企画の自由は主催者及び担当キュレーターにある。
最大の問題は展覧会名だ。『サイバーアーツジャパン—アルスエレクトロニカの30年』。これでは観客は、包括的かつ網羅的な展覧会を期待するに決まっている。実際には参加作家は20あまりで、日本のサイバーアートの全貌を知らしめるものにも、『AEF』の「30年」を感じさせるものにもなり得ていない。これでは羊頭狗肉のそしりを免れないだろう。
会場では奇妙なことに気がついた。キャプションと呼ばれる作品解説表示はほとんどが日本語表示のみで、作家名のローマ字表記と協賛スポンサーらへのわずかな謝辞を除くと、英語表示はまったくない。それ自体は、英訳費がなかったからだとすればわからなくはない。ただ、唯一の例外があって、それは、明和電機らの展示の脇に掲げられた「デバイスアートとは」という説明文だった。デバイスアートとは、提唱者のひとり、デバイスアート・プロジェクト代表の岩田洋夫筑波大学教授によれば、以下のようなものだ。
「『デバイスアート』とは、近年の日本のインタラクティブアートの世界的興隆から導き出された新しい概念で、メカトロ技術や素材技術を駆使し、テクノロジーを見える形でアートにしていくメディアアート作品のことを指す。デバイスアートには以下の3つの特徴がある。 (1)デバイス自体がコンテンツになる。 (2)作品がプレイフルで、積極的に商品化される。 (3)道具への美意識といった、日本古来の文化との関連性がある。これらの特徴はいずれも、従来の西欧芸術にはなかったもので、世界的に注目されるようになった」(岩田洋夫「デバイスアートにおける表現系科学技術の創成」)
「道具への美意識」も含め、「従来の西欧芸術にはなかった」かどうかは疑問なしとしないし、この概念には批判が絶えない。僕もこのコラムに書いたことがあるし(Out of Tokyo 107)、岩田も参加した『文化庁メディア芸術祭』(『メ芸祭』)のシンポジウムでは、ほかならぬ森山が「日本のメディアアートは“よく機能するオブジェ”という印象があり、国際審査の場では“社会的なメッセージに欠けている”と揶揄されることも少なくありません」と発言している(「平成20年度 [第12回] 文化庁メディア芸術祭シンポジウムレポート)。『30年展』から「除外され」た藤幡も、「何か目新しいインターフェースをつくり出して終わっている」と明確に批判的だ(『ART iT』第6号所収のインタビューなど)。そのような概念のみが、英訳までなされて会場に掲示されている。シンポジウムが開催されたことからわかるように、そして『30年展』の「支援」に文化庁が、「企画協力」にメ芸祭実行委員会が名を連ねていることからわかるように、この概念は文化庁/国が主唱する「クールジャパン」戦略を推進する、国策的なプロパガンダ理論なのだ。
それもまた「良し」としよう。社会における人間の営みは、いかなるものであれ政治的な側面なしにはあり得ない。ただ、そうだとしても(いや、だからこそ)、やはり展覧会名はいただけない。なぜ、『アルス・エレクトロニカに見る日本のデバイスアート』と名付けなかったのか。これであれば、展示の内容も意図も明瞭であり、戦略的にも効果的であったろう。ゲームとアニメと漫画をメディアアートと並べて展示する『文化庁オタク芸術祭』もとい、『文化庁メディア芸術祭』(英語名は「The Japan Media Arts Festival」)にしても同様だ。さっさと改名して、国内的・国際的な混乱を解消してほしい。
5/29(土)に京都のshin-biで、この問題をめぐるシンポジウムが開催され、僕も出席する。他の話者は、上述の藤幡正樹と三輪眞弘、それに音楽家の大友良英。大友は些末な問題にとらわれず、音楽家がアートイベントに参加すること(あるいは、しないこと)について、広く原理的な話をしたいようだ。関西圏の方、この時期に関西にいる方は、ぜひ足を運んでいただきたい。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。