COLUMN

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Out of Tokyo

216:クロード・レヴィ=ストロースの死
小崎哲哉
Date: December 08, 2009

文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロース氏が10月末に亡くなった。100歳の大往生とはいえ、大きな虚脱感を覚える。

 

coucou no tchi No.1 Photo by Denis Rouvre | REALTOKYO
coucou no tchi No.1 Photo by Denis Rouvre

10年前に、2日間にわたってお話を伺ったことがある。僕は当時『くくのち』という愛知万博テーマ普及誌のエディトリアルディレクターを務めていて、その創刊号のためのインタビューだった。万博のテーマは「自然の叡智」というものだったから、「だったらレヴィ=ストロース氏に話を聞かなくちゃ」と提案し、当のテーマを考え出した中沢新一氏と、伊藤俊治氏、港千尋氏から成る編集委員会が賛成してフランスへ渡った。

 

夏のバカンスが始まっていて、レヴィ=ストロース氏はパリではなくシャンパーニュとブルゴーニュの境にある別邸にいらした。伊藤氏は都合が付かず、インタビューの聞き手は中沢氏が務め、港氏はビデオ撮影を行った。美貌の夫人とともに現れた氏の足取りはやや覚束なく、腕は小刻みに震えていたが、我々が著書にサインを求めると、筆を執った瞬間に振戦はぴたりと収まった。お話の理路は整然としていて、口調も明瞭かつ滑らかで、とても90歳とは思えなかった。同じ年の1月にコレージュ・ド・フランスで開かれた誕生祝いの会で、氏は「到達するとは思ってもみず、私という存在の最も興味深く驚くべき一要素をなしているこの高齢に達し、私は自分を壊れたホログラムのように感じています」と述べている。こんな比喩がすらすらと出てくるのだから、耄碌とはほど遠かったと言えるだろう。

 

『くくのち』は非売品だったから、一般の人の手にはなかなか入りがたい。芸術に関するコメントからひとつだけ引いておこう。「芸術でもあり哲学でもあり、科学でもあり精神分析学でもあるような表現や技術を、現代の人間は再び取り戻そうとしている気がします。こういう『ダ・ヴィンチの方法』について、どのようなお考えをお持ちですか」という問いに対して、氏は以下のように答えている。

 

coucou no tchi No.1 Photo by Denis Rouvre | REALTOKYO
coucou no tchi No.1 Photo by Denis Rouvre

「まず第一に、近代的思考の悲劇は、人間が生き延びるために感性と理性を切り離したところにあると思います。そして構造主義は、まさに感性と理性とを和解させる作業に全精力を傾けていたのです。(中略)
 第二に絵画に関してですが、私はこれまでレオナルド・ダ・ヴィンチに言及したことはないと思います。もちろんダ・ヴィンチは偉大な天才であり、学者としても画家としても頭が下がる思いがしますが、私にとって彼の絵画はすでに向こう側にあるものなのです。科学的思考あるいは近代的思考の側ということですが、だからダ・ヴィンチが偉大な画家であるにとどまらず偉大な科学思想家でもあったことは驚くには当たりません。
 私にとって、表現の上で最も高度にして決定的な絵画は、ダ・ヴィンチ以前、すなわちルネッサンス初期のフランドルやドイツの偉大な画家たちの作品です。ヴァン・エイク、ヴァン・デル・ウェイデン、ヘラルト・ダヴィットなどなど。感性と理性がつながっていることを、最もよく理解していた人々だと思います」(矢田部和彦+編集部訳)

 

「これまでレオナルド・ダ・ヴィンチに言及したことはない」というのは氏の記憶違いで、『はるかなる視線』所収の「ある若き画家へ」には「ダ・ヴィンチが悟ったように、芸術の基本的な役割は、感覚器官におそいかかる外界からのおびただしい情報を選択し整理することだ」(三保元訳)というくだりがある。それはさておき、「向こう側」の芸術を氏は決して認めなかった。必ずしも現代美術(あるいはルネッサンス以降)ということではなく、例えば友人でもあったマックス・エルンストの作品は高く評価しているが、それはエルンストが「古来からの知性の欲求に応える……あらゆる変身が成就するときに味わう悦び」(エルンスト自身の言葉)を求める画家だったからだ。「絵画は、外界と内界の境界を打ち破って完成の域に達する、とこの二人は考え……」と氏は記している(『はるかなる視線』所収「瞑想的画法」)。「二人」とはエルンストと現象学者のメルロ・ポンティのことだが、氏も同様に考えていたことは間違いないだろう。「感性と理性とを和解させる作業」は、構造主義のみならず、芸術もまた行うべきことなのだ。

 

2002年に企画編集した『百年の愚行』(Think the Earthプロジェクト/紀伊國屋書店)には「「人権」の再定義」という文章を寄稿して下さった。和文にして1000字ほどの小文の、冒頭と文末のみを引用しよう。

 

「私が授かった長い人生は、ほぼ20世紀全体と重なります。その20世紀が舞台となったさまざまの悲劇のなかでも私が第一に留意するのは、私が生まれた時点で15億だった世界の人口が、職に就いた時には20億、そして現在は60億に達しているという事実です。
 人がこの地球上に現れて以来、これ以上の大規模な災厄が他の生命体に、そして災いの責を負う人類に降りかかったことはありません。この点こそ、ただひとつの真なる問題なのです。私たちの文明を脅かす諸悪の直接的、間接的原因を、個別の要因に求めてはなりません。(中略)
 人間は、道徳的存在として自らを定義することにより、特別な地位を獲得してきました。まず私たちは、人間の占有物ではない生き物としての性質を基盤として、その権利を確立するべきです。この条件が満たされて初めて、人類に認められている権利が、その行使により他の種の存続を脅かそうとする瞬間に効力を失うのです。

 生の権利の、ひとつの特例に還元された人間の権利。このような「人権」の再定義こそが私たちの未来、そして私たちの惑星のあり方を決定づける精神革命に必要な条件だと、私には思われます」(矢田部和彦訳)

 

偉大な知性は、細部と固有性をかくも称揚し、同時に全体と普遍性への目配りを忘れない。ご冥福をお祈りするとともに、何らかの形で氏の精神を伝達・継承できればと考えている。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。