
芸術の秋とあって、諸ジャンルのイベントや行事が多い。ヤスミン・ゴデールの速度と強度に圧倒された『ダンストリエンナーレ トーキョー』が終わったと思ったら、質の高い美術展や演劇祭が相次いで開催され始めた。藤幡正樹の「出品辞退」という爆弾発言で開幕した『ヨコハマ国際映像祭』(10/31〜11/29)については『ART iT』をお読みいただくとして、面白い偶然の連なりに導かれた鑑賞体験について記してみたい。

10月最終週に、世界文化賞(絵画部門)を受賞した杉本博司が内装と造園を手がけたIZU PHOTO MUSEUMが開館した。開館展はその杉本の個展で(『光の自然(じねん)』。3/16まで)、10/23の内覧には、アート界の面々に加え、グラーツから古屋誠一が、沖縄から比嘉豊光が……という具合に写真界から大勢の関係者が集まった。翌日にも内覧があり、僕はこの日には参加しなかったが、杉本の人脈から察すると、アート及び写真業界以外からもいろいろな人が来ていたんじゃないかと思う。

同じ週に『フェスティバル/トーキョー』も始まった。開幕作品は維新派の新作『ろじ式』。野外作品の巨大なスケールには及ばないとはいえ、にしすがも創造舎の舞台には魚や小動物の骨を収めた800個に及ぶ標本箱が積み上げられ、変拍子の音楽に乗せた「ヂャンヂャン☆オペラ」というリズミカルな台詞回しと、漏れなく付いてくる屋外の屋台村とで首都圏の舞台ファンの度肝を抜いた。
僕が観た日(10/26)にはポストパフォーマンストークがあって面白かった。維新派を率いる松本雄吉は、のっけから関西人らしい悠揚たる、しかし毒気あふれるジョークを飛ばして、息子ほどの年齢のタニノクロウ(庭劇団ペニノ主宰)を絶句させていた。曰く「骨格標本はほとんど劇団員が作ったんだよ。魚屋からアジとか買ってきてね、僕は標本作りを見ながらそのアジの刺身を肴に酒呑んでて。まあ、ネズミはよう食わんかったけど」
興味深かったのは骨格標本を使おうと思った理由で、「大阪の国立国際美術館で杉本博司の展覧会をやっておってね、あのオッサンは金持ちやからとんでもなく高い化石のコレクションを並べとって、『なにくそ!』と思って」。だが「こっちは金ないから自前で作るしかなかった」。金云々はともかく、ファインアーティストの個展に刺激を受けて、というのが、美術畑出身で異ジャンルへの関心を失わない松本らしい。

その3日後には、久しぶりに帰国した恩田晃が出演するインプロのライブを聴きに行った(10/29。新大久保EARTHDOM)。オプトロンの伊東篤宏、ギターの今井和雄、ギターの内橋和久、カセットの恩田、ドラムのサム・ベネット、ベースのヤンプコルト (a.k.a.藤乃家舞)が、その都度メンバーを組み替え、迫力も音量もある4セットを行った。内橋はウィーン在住で、維新派の音楽を長年担当している。同じ週に2度も「内橋体験」を味わうという僥倖に感謝した。会場にはベルリンから駆けつけた小金沢健人や原美術館のスタッフなど、美術関係者の姿も散見された。


ところがその翌週、正確には5日後に、京都でさらなる僥倖があった。タイ人漫画家の「タムくん」ことウィスット・ポンニミットが細野晴臣と共演するというライブ(11/3。京都国際マンガミュージアム)に行くと、急遽出演が決まったというゲストが内橋だったのだ。「打ち合わせは20分ほど、リハはほとんどゼロ」(内橋)という公演で、タムくんのアニメとピアノに、細野の重厚にして甘い低音のボーカルとギター、そして内橋による「ダクソフォン」の即興演奏。ダクソフォンは世界に8台しかないという楽器で、テルミンのような、鋸バイオリンのような、獣の声のような奇っ怪な音を発する。それらが重なると、不思議にセンチメンタルでノスタルジックな、それでいて湿り気のない軽快な音世界が生まれるのだ。タムくんは前の週には、詩人の谷川俊太郎と共演したという。こういう異ジャンル交流は、東京でももっとあってよいと思う。
ライブの途中で気がついたのだが、細野は杉本博司と同年で、同じ立教高校・大学の出身ではなかったか。杉本→松本→内橋→細野という偶然の連鎖は、最後に杉本へ戻って円環となって閉じた。それぞれのイベントには、この国には珍しく相異なる背景の人々が集まっていて、円環に花が添えられたように感じた。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。