


2007年、カナダを拠点とする広告代理店が、設立15年を機に、ホームレスのための防寒コートの制作を始めた。名付けて「15 Below(氷点下15度)」。大型ポケットが内部にいくつもあって、古新聞を入れるだけで抜群の保温効果が得られるという。08年には、マイケル・ケイン、エルトン・ジョン、ヨーヨー・マ、ロバート・プラント、R.E.M.、イザベラ・ロッセリーニ、MIT教授のニコラス・ネグロポンテら錚々たる著名人が協力を買って出て、彼らのサイン入りコートがeBayでオークションに掛けられることになる。売上は3000着の「15 Below」とともに、ホームレス支援を行う慈善団体、救世軍に贈られる。
防水・防風仕様で耐久性もある。軽量で、折りたたむと枕としても使える。髭カバーや防水のジッパーまで付いている。零下30度以下になることもあるカナダでは、このコートは実際に凍死から人を救うのではないか。実に行き届いた見事な企画であり、昨今では珍しい、誰もが拍手を贈る美談だと言えるだろう。ただし、1点だけ問題がある。このコートのコンセプトは、そしてコートそのものも、とっくの昔に存在しているのだ。津村耕佑が発案し、自らデザインした「FINAL HOME」である。



津村が「FINAL HOME」を発表したのは1992年。奇しくも、カナダの広告代理店が設立されたのと同じ年である。まだ(株)イッセイミヤケに在籍していた時代で、伝説のクラブ「イエロー」で行われた合同ショーで発表したのが最初だった。94年には初の商品化を行い、同年、セゾン現代美術館ではアート作品として出展。以後、パリ・コレや東京コレクションなどのファッションシーン、ヴェネツィアや上海ビエンナーレを含むアートシーンで注目を集め、そしてもちろん津村のブランドの主力商品として、カナダを含む欧米亜諸国で販売され、確固たる存在感を誇っている。津村は公式サイトで以下のように述べている。
「もし、災害や戦争、失業などで家をなくしてしまったとき、ファッションデザイナーである私は、どんな服を提案できるか、またその服は平和なときにはどんな姿をしているのか」
こんな自分への問いに対し、形になったのが右上のナイロンコートです。_寒さをしのぐため、ポケットに新聞紙を詰めれば防寒着に、あらかじめ非常食や医療キットを入れて災害時に着れば避難着になるなど個人の用途に適応できる服をコンセプトとし、“FINAL HOME"というネーミングもまた「究極の家」という意味を込めてこのコートのために付けたものです。
着想と製品としての仕上がりは「FINAL HOME」も「15 Below」もほぼ同じである。「災害や戦争」が含まれている分、前者のほうが視野が広いとも言えるが、一方、凍死の恐怖に直面しているホームレスに対象を絞ったという点で、後者の特化性も評価できる。そう、実際に人々を救う結果に結びついている点では、後者は「評価できる」のだ。津村は10年ほど前に、ほかならぬカナダのトロントで開催されたデザインに関する環太平洋シンポジウムに参加し、「FINAL HOME」をサイレントオークションに掛け、売上を寄付している。だが90年代前半に、アート展などから戻ってきた古着を難民に配布したいとUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に持ちかけたときには「全員に行き渡らないのなら配れない」と拒否され、特定地域で働く医師たちに寄付するだけに甘んじた。まずは3000人に配布された「15 Below」に比べると、「FINAL HOME」は十分な結果を出していないのだ。
それはともあれ、事の次第についてどう思うか、津村に電話で聞いてみた。2月頭に、知り合いから「これ、『FINAL HOME』じゃないっすよねー」というメールが来て、初めて知ったのだという。
「僕のアイディアが世界中に広まり、実際に役立つのであればそれは好ましいことでしょう。ただ、モラルとしてはどうなんだ、とは思いますね。以前に取った特許は昨年切れているし、それはまあいいんですが、ビジュアル表現としてあんなに似ているのはどうかと思う。権利問題だけではなく、クリエイティブとは何かということ全般に関わります」


次元は異なるが、実は『ART iT』でも同種のことが起こっている。中国で昨年創刊された中英バイリンガルの現代美術雑誌のデザインが、呆れるほどよく似ているのだ。目次の文字の置き方なんて瓜ふたつである。ADの佐藤直樹は「真似されるというのは名誉なことですね」と鷹揚に笑っているが、まさしく「クリエイティブとは何か」という点で、編集者もデザイナーも何を考えているんだか、と思う。真似された僕らはまあいい。真似した彼らにとって「クリエイティブ」とは何なのか?
「FINAL HOME」と「15 Below」に話を戻すと、個人的には内容が内容だけに、法的な係争とかにならないといいなと思う。たぶん津村の性格からしても(佐藤と同じように)そうはならないだろう。ホームレスや難民のために、という大義の下では、誰が最初にアイディアを出したかというのは小さな問題だ。
とはいえ、いくら小さくても、それは問題が「ない」ということではない。人を救うという大義とは別に、先駆者を尊ぶという「クリエイティブ」の作法は厳然と存在する。知っていた上での盗用か、無知ゆえに犯した失策なのかはさておき(どちらにしてもひどい話だとは思うが)、英語圏のニュースサイトや個人ブログでも「『FINAL HOME』という先行事例がある」と指摘されているのだから、少なくとも津村へのお詫びや連絡があってしかるべきだろう。他者を救うという大きな行為は、他者へ敬意を払わないという小さな行為を免罪するものではない。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。