COLUMN

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Out of Tokyo

198:Chim↑Pom展中止の顛末
小崎哲哉
Date: November 13, 2008

アーティストグループ「Chim↑Pom(チン↑ポム)」(Out of Tokyo 179参照)の、美術館では初めてとなるはずだった個展が中止となった。11月1日から広島市現代美術館ミュージアムスタジオで開催される予定だったものだが、展覧会の突然の中止が作家にとって、主催者にとって、そしてもちろん観客にとって大ごとであることは言うまでもない。

 

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10月21日にChim↑Pomが航空機を自費でチャーターし、原爆ドーム近くの上空に「ピカッ」の3文字を飛行機雲で描かせたことが発端だった(紅一点のエリイは今回参加していないという)。翌日には地元紙『中国新聞』が「読者提供」の写真とともに記事を掲載。他のメディアも追随し、多くの市民の知るところとなった。

 

問題はこの行動が、事前にマスコミを含む公的機関や被爆者団体らに知らされていなかった点だ。展覧会担当の学芸員が現場に居合わせたこともわかり、市民局と現代美術館は直ちに協議を行い、作家も合意して展覧会の中止を決定した。ちなみに、現代美術館は指定管理者である広島市文化財団が運営していて、学芸員を含む職員は誰も公務員ではない。

 

両者は24日に市内の被爆者7団体を市役所に呼び(内2団体は欠席)、事情説明を行った上でChim↑Pomリーダーの卯城竜太とともに陳謝。謝罪の模様は新聞、テレビなどマスコミ各社にも公開され、当日夜のニュースや翌日の紙面で報道された。僕もその席に立ち会い、卯城と神谷幸江学芸課長への質疑応答も傍聴したので、要点をいくつか記しておく。

 

  • 展覧会開催内定後の今年1月、Chim↑Pomは現代美術館に「広島上空を何らかの方法で光らせる」という案を提示。学芸課長は「被爆都市である広島の市民の心情からして刺激的すぎる。経費的にも美術館が負担するのは不可能」として、別案の提示を求めた。
  • Chim↑Pomは5月に「(光ではなく)『ピカッ』の3文字を空に描く」という修正案を別の2案とともに提示(企画意図は後述)。学芸課長は「再び拒否した。私たちのスタンスはおわかりいただいたはず」と言うが、作家側は「プランを却下されたことは一度もなかった。ただし、出来上がった上で展示するしないを決めるのは美術館だと認識していた」
  • その後、経費の目途が立ったので、実行を決意。担当学芸員は「ゲリラでやるしかない」と言った。報告を受けた学芸課長は「作家がそこまで主張するなら、それを越えて作家の行為を止めることはできない」と判断して説得を断念。ただし、「それを越えて説得すべきだったと反省している」。また、「担当学芸員は『やるとしたらゲリラ以外に方法はない』と話したのであって、勧めたのではない」
  • 美術館内では「作品を完成し、市民に観てもらった上で討論すべきでは?」という意見も出たが、「いまは冷静に観てもらうことを望むのは無理」との結論に至り、副館長と、自身被爆者でもある原田康夫館長自らが作家を「諭し」、展覧会の中止と謝罪を決めた。

10月23日付中国新聞で、広島市立大学国際学部の大井健地教授(美術史)は「原爆を取り上げようとした気持ちは評価したい」と理解を示しつつも、「広島は『聖地』」であり、「老いた被爆者の気持ちに配慮を欠いている」と断じている。美術関係者の多くも「展覧会中止はやむなし」という見解だ。だが、そこで議論を止めていいのだろうか。

 

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蔡國強 打ち上げ式黒色花火プロジェクト「黒い花火」

Chim↑Pomが謝罪した翌日、蔡國強(ツァイ・グオチャン)の第7回ヒロシマ賞受賞記念展が、ほかならぬ広島市現代美術館で始まり、関連して火薬パフォーマンスが行われた。「原爆犠牲者への鎮魂の思いを込め」た「黒い花火」をまさしく原爆ドーム上空に打ち上げ、「核兵器保有への警鐘、平和への願いを表現する」というもので、北京五輪開会式の花火を担当した世界的作家による作品のニュースは、映像とともに全国レベルで報じられた。

 

Chim↑Pomの「ピカッ」は、リーダーの卯城によれば「世界の人に平和の実態とは何かを想像させ、平和と過去の記憶が曖昧に混じった現在の社会を表現するもの」で、「だんだん薄れていく飛行機雲は、のんびりとした現代日本の『平和な感覚』の象徴」だという。しかも、飛行機雲自体は作品ではなく、後日制作する映像の素材に過ぎない。だから蔡作品とは意図も性格も異なるが、見上げれば誰もが見ることのできる空に、常ならざるものを描いたという手法において両者に違いはない。行為の実施に当たってChim↑Pomは事前に告知をせず、蔡は市政広報誌、市内2地区の自治体、「周辺施設等」への広報を行った(プレスリリースより)。被爆者団体へは、謝罪会見の際に初めて知らせたようだ。

 

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蔡國強の火薬ドローイング「黒い花火:広島のためのプロジェクト」2008

蔡は好戦主義者ではないし、被爆者の神経を逆なでするつもりもないだろう。だが「黒い花火」を見ていた公衆の中には「とんでもないよ。こんなことは許されないよ!」と叫んで回る男性がいた。はたして「こんなこと」は許されるのか許されないのか。蔡が許され、Chim↑Pomが許されないのはなぜか……。こうしたことを議論することこそが肝要で、そのためにはやはり作品を完成させ、蔡や他の作家の作品と比較すべきではなかったか。「聖地」の特殊性ゆえにそれは叶わなかったわけだが、関係者は声を上げ続けるべきだ。

 

記者会見で卯城は「ちゃんとした表現として発表したい」と語った。「こんな騒ぎになったのに作品を完成させるのか」と突っ込まれたが、「僕たちは作家ですから」と突っぱねた。事前のコミュニケーション不足についてのみ謝罪し、表現者としての矜持は貫いた形だ。後日、あらためて話を聞くと、展覧会中止という大きな代償は払ったが、その後、被爆者7団体との交流を始め、「前向きに話すことができた」。しかも、事件の「全貌」が本になることも決まり、「意図した以上に大きな物語が始まった。完成を目指して描き出したばかり」だと言う。転んでもただでは起きないというか、その能動的な姿勢に僕は救いを見る。

 

付言すれば、ネットなどでは「受け狙いのセンセーショナリズム」「若さゆえの分別のなさ」「周囲の大人の不甲斐なさ」などのコメントが大半を占める。そのほとんどが事実に基づいたものではなく、何に関して謝ったかについてさえ誤認がある。臆断や思いこみを排除するために、メディアは一次情報をできるだけ報じるべきだと、自戒を込めつつ思う。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。