

10月9日、韓国京畿道ヨンイン(龍仁)市に、ナム・ジュン・パイク・アートセンターが開館した。「ビデオアートの父」たるパイク本人と協議しながら、2001年から開設準備が進められていたが、作家はセンターの着工直前、完成の2年8ヶ月前に当たる06年1月末に世を去った。一般公開前日の8日に催されたプレス内覧会に招かれたので、開館記念展と併せて観に行ってきた。
ヨンイン市は首都ソウルから車で小1時間。IT産業が集まり、「韓国民俗村」という観光名所もあるとはいえ、典型的なベッドタウンという印象が強い。センターは地上3階、地下2階建て、建坪5600平米。ドイツ人建築家、キルステン・シェメルとマリーナ・スタンコヴィッチの設計で、グランドピアノの形を模したという。正面から見ると、全体のデザインは鋭角的で、ガラス窓の反射が美しい。ゆるやかな坂道に建てられているが、落ち着いたダークな色調の低層建築物とあって、どっしりとした安定感がある。もっとも、ユーモアと稚気、それに破壊衝動を併せ持った芸術家のための建物としては、お行儀がよすぎるようにも思える。
僕は1984年に東京の草月ホールで行われた、ヨーゼフ・ボイスとパイクのパフォーマンスを観ている。ボイスはトレードマークのフィッシャーマンズベストにフェルト帽、パイクも白いシャツにサスペンダーというお馴染みの姿だった。ドイツの巨匠は舞台に四つんばいになって雄叫びを上げ、韓国の天才はピアノで(たしか)ショパンやら童謡やらを弾きまくった。パフォーマンスはやがて狂騒の度合いを増し、ピアノは完全に破壊される。すべては、アメリカ先住民の聖なるトーテムたるコヨーテを、その場に召還するための祝祭的行為だった。クールな無表情で、ピアノと戯れていたパイクの顔が忘れられない。









センターに話を戻そう。中に入ると、まずは有名な水槽テレビが出迎えてくれる。隣の部屋には、テレビモニターが灌木の間に散在する「ケージの森/森の啓示」が再現されている。あまり多くはないけれど、テレビ彫刻があちこちに置かれている。ほかには資料的な写真や映像や書類、作家の遺品など。全体にアーカイブ的な印象が強い。
開館のわずか8ヶ月前に指名されたというイ・ヨンチュル館長(元トータル美術館主任キュレーター。光州ビエンナーレなどの芸術監督も歴任)の戦略は、苦肉の策とはいえ賢明だと思う。パイクの代表作を一堂に会させるという案は非現実的だ。多くの作品が世界中に散らばっていて、予算的に買い戻すことも難しいから。だから本人作品は最小限にとどめ、代わってドキュメントや関連作品の収集展示に的を絞る。ただしそれでは静的な博物館のようなものでしかなくなるから、現代作家による作品も展示しよう。故人は同時代の、そして後に続く世代へ計り知れない影響を与え、いまも与え続けているからだ。
その戦略は正しいし、ドキュメント的な常設展示に関してはうまく行っているように思う。ボイスやマチューナスやケージを始め、フルクサスや周辺の芸術家の作品や関連映像、赤瀬川原平や高橋悠治ら日本人も含む、パイクゆかりの人々へのインタビュー映像。巨人の業績を追うためのよすがとして、意が尽くされた内容だ。
ただし、開館記念の企画展については疑問がなくはない。2009年2月5日まで開催される企画展(『NOW JUMP』)は、メディアアート、パフォーミングアーツ、さらには建築を含む100組近い表現者の作品を紹介している。池田亮司、ウィリアム・フォーサイス、ロメオ・カステルッチ、岡田利規(チェルフィッチュ)らを含むパフォーマンスやインスタレーション系の作品は、(予算や時間の制約ゆえか)やや展示に難があるとはいえ、豪華なラインナップではある。しかし、ナム・ジュン・パイクとの関わりという点で、なぜ選ばれたのか首をかしげざるを得ない表現者の名前も中には見られる。もちろん、「ナム・ジュン・パイクとその時代、そして後継者たち」というようなくくりは可能だろうが、誰でも含みうるようなそうした緩いくくりの場合、企画者のセンスと見識が問われるのは当然だ。
主席キュレーターのトビアス・バーガーが着任したのは1ヶ月前に過ぎない。だから開館記念展は担当していないし、「まだ予算の詳細も把握していない」と苦笑していたが、今後の実質的な舵取りは、ヴィースバーデン生まれのこのドイツ人に任せられることとなる。ヴィースバーデンは、1962年に第1回フルクサス・フェスティバルが開催された土地であり、バーガーはオークランドのアートスペースや香港のPara/Site藝術空間のディレクターを歴任したベテランである。
韓国では、美術館のリウムが運営元サムスンのスキャンダルによって、オルタナティブスペースのサムジー・スペースが「役割を果たした」として、それぞれ活動を停止すると発表した(『ART iT』最新号「NEWS」欄参照)。若手作家支援から海外の潮流紹介に至るまで、同国のアート界にとっては大きな痛手である。ナム・ジュン・パイク・アートセンターはそんな逆風の中で生まれた。世界的な金融危機によるウォンの暴落は大きなマイナス材料だが、これからの奮闘に期待したい。
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。