COLUMN

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Out of Tokyo

195:パラモデル
小崎哲哉
Date: September 25, 2008

今月はアジアの10都市で国際展の開催が相次ぎ、関連企画やアートフェアも加わって、例によってアート界の人々やアートファンは非常に忙しい。日本では横浜トリエンナーレが9/13に開幕したが、勅使川原三郎やフィリップ・パレーノらパフォーミングアーティストやパフォーマティブなアートを実践する作家が多く選ばれ、展覧会の運営に問題があるという声が盛んに聞こえてくるものの新鮮ではある。キュレトリアルチームのひとり、ハンス・ウルリッヒ・オブリストは記者会見で「均質化されたグローバリゼーションに対抗して」企画を行ったと述べた。そのために具体的に採った戦術は「参加作家が空間を手に入れるのではなく、時間を手に入れる」というもので、これがすなわち上述のパフォーミングアーツ的なるものの導入だ。発売中の『ART iT』20号で本人が述べているように、この戦術はすでに昨年、マンチェスターで開催/上演された『イル・テンポ・デル・ポスティーノ』で採用されている。今後の主潮流となるかどうか、非常に興味深い。

 

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会場のひとつは元料亭

でも横浜のことは『ART iT』次号に譲りたい。同じ時期、つまりちょうどいま開催されている別の展覧会に、非常に面白いものがあったからだ。ひとつは『赤坂アートフラワー08』(10/13まで)。主催は赤坂を本拠地とする放送局TBSで、以前、RTに「インディペンデントキュレーターのTOKYO仕掛人日記」を連載してくれていた窪田研二が企画を担当している。地図を片手に都心の街を歩いて回って作品を観る。展示場所は7ヶ所に分かれているが街の規模は小さいから、天気さえ好ければ散歩がてら気持ちよく楽しめるだろう。

 

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松宮硝子「Duquheapure」2008
Photo: Kato Ken

花街らしい元料亭の各部屋に、映像作品やオブジェを配した会場もよかったけれど(陰影礼讃?)、とびきり楽しかったのは旧赤坂小学校の体育館だ。板張りの床に小沢剛お得意の布団が積み上げられ、大人も子どもも布団の山に登っては滑り降りる邪気のない遊びにふけっている。布団の山の下にはトンネルが造られていて、希望者は人力で走る汽車(?)に乗ることもできる。階上には田尾創樹+おかめぷろの「ほのぼのマンガ」とも呼ぶべき「KISS BOY」と、手芸系とでもいうのか、布製の小さな不思議なオブジェが並べられたスサイタカコの愛らしい小部屋があって心和む。でも何よりもすごいのは、高い壁と天井一面を覆い尽くしたパラモデルの作品だ。ともに大阪生まれ、30代の男子ふたりによるユニットで、オモチャのプラレールを使って、とんでもない大きさのインスタレーションを作る。素材とスケールの落差が、迫力と脱力を同時に感じさせて、巧まざる、いや企まれたユーモアを生んでいる。

 

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小沢剛「あなたが誰かを好きなように、誰もが誰かを好き」2006-2008
天井と壁を覆うのはパラモデル作品 Photo: Kato Ken

小沢の「汽車」とプラレールが絶妙の組み合わせだ。これまでにいくつかのグループ展で顔を合わせているから、年齢差を超えて馬が合っているに違いない。元小学校という場所もいいし、体育館のいささかくたびれた感じにもハマっている。参加型という点でリクリット・ティラヴァニらを連想させもするが、折しも来日中のニコラ・ブリオーが観たら「関係性の美学」の一例と言ったりするだろうか。あるいは小沢を何度か起用しているオブリストなら、パラモデルにも「時間性」を感じたりするだろうか。

 

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パラモデル

もうひとつの展覧会は、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]で開催中の『拡張された感覚|日韓メディアアートの現在』(11/3まで)。韓国のオルタナティブスペース「ギャラリーLOOP」、ソンシル大学大学院メディア学科との共同企画で、キュレーターはICCの畠中実とLOOPのソ・ジンソクだ。この展覧会にもパラモデルが参加していて、体育館のものよりは小さいが、やはり常軌を逸した大きさのプラレールインスタレーションを、野放図に、のびのびと、大胆不敵に作っている。赤坂と同様、レールだけではなくクレーンなどの模型も設置され、合間には白い発泡スチロールの「山」がそびえ立つ。

 

パラモデルの作品はいわゆるメディアアートとは違うから、ICCとはミスマッチだろうと思う向きもあるだろう。だが、他の作品と同じ展示空間に置かれた様を見るとまったく違和感がない。というよりも、他の「メディアアート」も、ここではテクノロジーの高度さよりも素材の大量消費財らしさというか、有り体に言えばチープな感じのほうが先に立っていて、顰蹙を買うのを覚悟の上で言うと、秋葉原のパーツ屋的な雰囲気が漂っているのだ。僕は秋葉原に足繁く通う人間ではないが、この雰囲気が醸し出す心地よさは、赤坂の小学校で感じた和みの感覚に極めて近い。これは東京の、あるいはソウルも含めて東アジアの、もしかしたらアジア全域の、いや、非欧米圏すべての大都市が共通して持つ、歴史なき大量消費社会が生み出す空気なのではないか。

 

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ジン・キジョン「Discovery」2007

以前にソウルやカールスルーエなどで目にしていたジン・キジョン作品も面白かった。写真や小さなフィギュアでジオラマを作り、解像度の低いカメラでそれを撮って、モニターに偽のニュース映像を映し出すもので、メディアリテラシーや、権力による情報操作や、テクノロジーの持つ二面性などをテーマとした作品だ。これも粗い画面や、わざと舞台裏を見せるネタバレ的展示、そして素材のチープさで重いテーマをユーモアという衣に包んでいる。ギムホンソックと小沢の、そしてときに陳劭雄(チェン・シャオション)も加わるユニットによる映像作品に通ずるセンスがあるが、パラモデルも含め、このセンスは「アジア的」あるいは「非欧米的」アートのひとつの特徴と呼べるかもしれない。

 

それにしても、最近の日本の若い作家の作品には既視感を覚えることが多くて、それは1980年代に一世を風靡した中原浩大の、おそらくは間接的影響ではないかと思う。村上隆やヤノベケンジへの直接的影響は別としても、その下の世代の、例えば田中功起、木村友紀、エキソニモ……。パラモデルのプラレールなんて、中原の「レゴ」へのオマージュとしか思えない。最近の中原は、あまり大きな展覧会は開いていないし、いまの20代とかは名前すら知らないんじゃないだろうか。誰か心あるキュレーターが、中原の大規模個展を企画してくれないものだろうか。

 

※パラモデルは、mori yu gallery TOKYOで個展を開催中で(10/11まで)、トーキョーワンダーサイトで開催中の「都市のディオラマ:Between Site & Space」展にも参加している。いずれも僕は未見だが、周囲の評判はよい。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。