COLUMN

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Out of Tokyo

193:大友良英と高嶺格
小崎哲哉
Date: August 28, 2008
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without records

異ジャンルのコラボレーションは難しい。何年か前に、あるファッションデザイナーと映像音楽作家、そして振付家にしてダンサーが協働して作った舞台を観たことがある。いずれも著名な才能ある表現者で、それぞれの作品も好きだったから、大いに期待して観に行った。ところが、映像と音とダンスがまったく噛み合っていない。美しい衣裳も浮いている。会場の内壁のきれいな色だけが記憶に残ったが、後は印象の希薄な、ひとことで言うと薄っぺらな感じの作品にしか思えなかった。

 

終演後にプロデューサーと話して、理由がわかった。映像が完成したのが数日前で、しかも、それまでに全員が顔をそろえたことが一度もなかったのだという。多忙だということはわかるが、これは異常事態と言うべきだろう。北京五輪日本選手団の団長が、好成績を残せなかった日本の野球とサッカーを「強い選手を集めて、ちょいちょいと練習して勝てるような、そんな甘いもんじゃない」と批判しているニュース映像を見て、あのときのプロデューサーのシブイ顔を思い出した。

 

山口情報芸術センター(YCAM)で開催中の大友良英展『ENSEMBLES』がB期に入り、高嶺格との共同制作作品が公開されたので観に行ったが(8/23)、これは逆に、見事というほかないコラボレーションだった(10/13まで)。作品名は「orchestras」。展覧会名とともに、大友の姿勢を示す的確なタイトルだと思う。「展覧会」なのだから「アート作品」という位置づけだが、ONJO(Otomo Yoshihide’s New Jazz Orchestra)などのバンドを率いる音楽家は、展覧会と作品とを、自分がライブや録音を行うときと同じ取り組み方で作ろうとしたのだろう。

 

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orchestras

「orchestras」は、普段は劇場、ホールとして用いられているスタジオAを展示空間としている。作家たちは中奈落、すなわち地下の小空間も使っているが、上階で展示されているのは40分弱のループする視聴覚インスタレーションだ。暗いスタジオ内に入ると、幸運なことにちょうど始まったところだった。まだ目が慣れない内に、遠くから押し寄せる波のような、低い管楽器の音が空間を充たしはじめる。うねりが高まり、最高潮に達したところで音はブレーク。と同時に雷のような光が明滅した。

 

スタジオの上部には無数の(と言いたくなるほど多数の)何だかわからないものが吊されている。床の中央には聖火台のような形の台があり、その上におよそ10cm四方の鏡が5枚載っている。コンピュータ制御によるものか、回転したり上下動したりしながら、上方のスポットライトからの光を反射している。この小さなサーチライトが、何だかわからないものの上を舐めるように動き回るのだが、視覚的にして官能的な焦らし、とでも言ったらよいのだろうか、淡い光は照らされているものが何であるのか、わかりそうになる直前で別のものの上に移動する。高嶺が水戸芸術館で発表した「ア・ビッグ・ブロウ・ジョブ」(2004)や、第2回横浜トリエンナーレでの「鹿児島エスペラント」(05)に連なる、心憎いばかりの絶妙なコントロール技術だ。

 

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8/23にはライブ演奏も行われた。大友良英、13歳と共演!

明るくなってから見ると、吊されているのはテーブルや机や椅子やら、トラックのドアやボディやら、スネアドラムや地球儀やら、ワンピースや短パンやら、要するに廃物、廃棄物ばかりだった。その中に(後で聞いたら70ほどの)スピーカーが設えられている。音はもちろん大友が構成・制作したもので、やがて、公募して集めたというピアノやドラムやノイズや鐘の音、電話での話し声なども加わってくる(大友を始め、プロの音楽家による音源ももちろんある)。後半のクライマックスへ向けての盛り上げ方はさすがというべきで、いわゆるアートインスタレーションで、ここまで情動を刺激する作品はなかなかないだろう。ちなみに爆発的なクライマックスの後には、一楽まどかによるグロッケン(鉄琴)が、素朴な単音で「スターダスト」を奏でる。子宮や宇宙を想わせ、さらには「ゆりかごから墓場まで」なんていう表現を思い出させる作品において、ここだけはベタすぎるような気もしたが、白状すれば素直に感動してしまった。アートというより、映画を観た後のような感動だ。

 

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『ART iT』20号より。写真:丸尾隆一

大友も高嶺も穏和な、あるいは剽軽な外見の背後に、狂気を秘めた表現者であると思う。だが今回は、ふたりともある意味で共同プロデューサー的な役割を果たし、いわば互いの狂気バランスを最適化させたのではないか。発売中の『ART iT』20号に収録した対談で、大友は「バンドでいえば、オレはバンマスみたいな感じですかね」と発言し、高嶺は「僕が参加していたダムタイプでも、組織論はつねに重要な話題でした」と応えている。実際、高嶺は舞台芸術作品も作っているわけで(「Out of Tokyo」122参照)、プロデューサーとしての才能とセンスも持ち合わせているが、強いて言うなら今回は、展覧会の主役である大友がゲストである高嶺を掌中に載せ、楽しくもシリアスに遊ぶための遊び場を一緒に作った、というようなことではなかったか。そんな印象を僕は抱いた。

 

ふたりが会ったのは、今回が初めてだという。だが、上述のファッションデザイナーや映像音楽作家やダンサーとは異なり、大酒飲みのアーティストと一滴も飲まない音楽家は夜を徹して話し合い、互いの関心やセンスを確かめ合い、メールなどでも綿密なやりとりを行い、内容を詰めてゆき、そして見事な結果を見せてくれた。YCAM関係者も「ここまで企画がふくらむとは思わなかった」と、驚きと喜びを隠さない。才能あふれる表現者ふたりによる近年まれに見るコラボレーションとして、多くの人に鑑賞を薦めたい。地下の展示は、階上と対をなすものでこれも面白かったが、残念ながら紙幅が尽きた。

 

http://www.ycam.jp/
http://otomo.ycam.jp/

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。