COLUMN

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Out of Tokyo

191:金森穣の新作
小崎哲哉
Date: July 17, 2008

金森穣が率いるNoism08の新作『Nameless Hands〜人形の家』を観た(7/5@シアタートラム)。演劇性の強い構成といい、人形ぶりのダンサーが黒衣(くろご)とともに踊る振付といい、アルヴォ・ペルトやバッハに加え、なんと中島みゆきの「時代」までをも用いた音楽といい、端正な印象の舞台を見慣れていたファンには意表を突かれるものだったに違いない。Noismとしては、これまでで最も猥雑な作品と言っても過言ではないだろう。

 

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撮影:篠山紀信

開幕前、観客の入場時から、既に芝居は始まっている。「ダンス」ではなく「芝居」と書いたのは、上手舞台前に設えられているのが人形芝居のマケットであるからだ。そこには「見世物小屋の支配人」(宮河愛一郎)がいて、怪しげな手つきで小さな人形を動かしている。客席が埋まった頃合いを見計らい、支配人は外連味たっぷりの口上を述べる。「皆様、本日は我が見世物小屋の記念すべき第1回公演にご来場いただきまして、誠にありがとうございます。……今宵すべては身体の遠吠えにあり!」

 

そして始まる「芝居」にして「見世物」にして「ダンス」の主題は明瞭だ。黒衣が人形を舞台に運び込み、息を吹き込み、ともに踊る。支配人は人形と戯れようとし、人間の女は人形に嫉妬する。やがて女は人形となり、支配人はいつの間にか黒衣と化す。我々は時代の中で踊っているのか、踊らされているのか。前者だとしても、我々に真の主体性があるのかという問いは残る。後者だとすると、我々を踊らせているのは誰なのか?

 

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撮影:篠山紀信

「人形」と言っても『コッペリア』や『くるみ割り人形』の時代ではもはやない。善くも悪しくも『ブレードランナー』的諦念が作品全体に漂っている。人形も黒衣も、そして人間でさえレプリカントにしか見えない。だが、舞台には徐々にエネルギーが満ちてゆき、終幕ではストラヴィンスキーの『春の祭典』が轟きわたる中、女の人形(井関佐和子)が「生け贄」として仲間の輪に呑み込まれ、衣装を脱ぎ捨てて飛び出したかと思うと、最後まで激しく踊り続ける。カーテンコールでも舞台は劇的緊張を孕んだままだ。中島みゆきの「狼になりたい」を背景に、井関と宮河が見交わす視線はあくまでも鋭い。


本人も認めているが、終幕には言うまでもなく、昨年11月に亡くなった金森の師、モーリス・ベジャールへの哀悼の意が込められている。金森によれば、それ以外にも随所にオマージュがちりばめられているとのことだが、それも含めて、「青い」という印象は否めない。実際、あるダンス評論家は、同時期に上演されたラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップスの『Amjad アムジャッド』と比較して「幼くてイタい」と筆者に語った。立ち話だったので真意はわからないが、日本の若手カンパニーに関してときどき言われる「幼稚さ」ということとは、少なくとも僕は違うと思う。

 

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撮影:篠山紀信

何よりも身体が伸びている。すなわち、体力と技術の極限までを用いて踊りきっている。体格的な劣位を理由に、「踊らない」(踊れない)ダンスに開き直っているダンサーやカンパニーとは、そこが決定的に異なる。相撲にたとえれば、引き技を用いずに専らがっぷりと組む、徹底した横綱相撲だ。「コドモ身体」などという戯れ言は、ここでは通用しない。

 

「幼さ」が感じられるとしたら、作品に自ずと反映されている時代にこそ問題があるのだろう。作者は「ヨーロッパから日本に帰ってきて6年。自らの位置を確かめるために、自分の中のものを自然に出した」と語っている。物語の途中で、「国産」「偽装」「毒」「期限」「CO2」などのカードが説明も脈絡もなく提示されるのは単純すぎて芸がないが、現代日本の病は的確に捉えられていたのではないか。現実を映す鏡は、大人の手できちんと磨かれていた。映像が「幼くてイタい」ものであったのは、鏡ではなく映像自体の責任であり、鏡は自らの機能を十分に果たしていた。『Nameless Hands〜人形の家』は金森の代表作と呼ばれることはないかもしれないが、転機となる重要な作品であることは確かだと思う。

 

金森を評価したい点はもうひとつある。すべての公演後に、いわゆるアフタートーク(ポストパフォーマンストーク)を欠かさないことだ。この日のトークでは、「なぜ毎回アフタートークを?」と問われ、以下のように答えていた。多くの表現者や関係者に聞かせたい言葉である。

 

「最近、『ダンスは世間に普及してきた』と言う人がダンス業界に増えてきていますが、僕自身にはそういう印象はありません。『やる文化』は普及しているかもしれませんが、『観る文化』は普及しているとは思わない。ダンサーや振付家は公演だけ行えばいい、という意見にも個人的には賛成しかねます。閉じていればいいかと言えばそんなことはなくて、コミュニケーションを通じてエネルギーを共有したい。現代のダンスには言葉で説明しないとわからないこともあるので、不思議だと思ったことは何でも聞いてほしいですね」

 

東京公演は終了したが、『Nameless Hands〜人形の家』は7/19(土)、20(日)に金沢21世紀美術館Theater 21で、26(土)、27(日)、30(水)、31(木)には本拠地のりゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館で、それぞれ上演される。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。