COLUMN

outoftokyo
outoftokyo

Out of Tokyo

189:「インサイダー」と「アウトサイダー」
小崎哲哉
Date: June 19, 2008
photo
田上允克

6月頭に、所用があって山口に行くことになった。それを聞きつけた友人の潮田敦子からメールが届いた。「実は4年前から夢中になっている絵描きが山口にいて、だーれも知らない人ですが、実は天才です。30年で3万点の作品、どこにも発表なし……あなたを連れて行きたいのよ、その田上さんのところに」。そこで、連れていってもらったのだが、メールにはいくぶん誇張があった。しかし、本質的な部分は文句なく正しい。天才だった。

 

photo
photo photo photo photo photo

田上允克。1944年山口県生まれ。本人曰く「30歳近くになるまで、まったく絵には縁がない生活でした。仕事もするのがイヤでねえ。家具屋で働いたこともあるけれど、ほとんど続かなくて……。ずっと親のすねをかじってましたね(笑)」。転機が訪れたのは29歳のとき。突然、女性ヌードが描きたくなり、それだけの理由で絵画教室に入る。以降、絵の魅力に取り憑かれ、64歳になるこれまでの30有余年に「2万5千か、3万枚くらい描きましたかねえ」。表情も口調も、あくまでも淡々としている。潮田敦子の夫君、音楽家のピエール・バルーが撮ったドキュメンタリービデオそのままの笑顔だった。

 

ドローイング、油彩、エッチング、ドライポイント、篆刻、書……とメディアは多岐に渡る。支持体も、キャンバス、画用紙、板はもちろん、ポスターや包装紙の裏紙、印刷工程で出る「ヤレ」と呼ばれる反故紙、はては菓子箱や海苔などの缶のふたまで、とバラエティに富む。油彩の一部は部分的に和紙を混入して盛り上がらせ、もはや平面とは言えない半立体作品となっている。最初に入った絵画教室に、油彩ばかりでなく、版画などの道具はひととおり揃っていたそうだ。ただし、技法を教えてくれる先生はいず、すべて本を読んで独学したとのこと。

 

作品の題材やスタイルも様々だ。初期作品は、当時の勉強の成果だろうか、ヒエロニムス・ボッシュやピーター・ブリューゲル、フランシスコ・デ・ゴヤに似ているものがある。いまどきの美術家で言うと、A.R.ペンクやパウル・ヴンダーリッヒを想わせるものも散見される。白隠や仙がい(「がい」は「厂(がんだれ)」に「圭」)の禅画のような素描もある。これらは習作期の模倣といってよいだろうが、表情が誇張されたダイナミックな顔の絵などの近作は、オリジナリティが飛躍的に増しているように思える。技術の向上とともに、表現内容が独自のものとなってきているのだ。

 

こういう人を見ると「インサイダー」「アウトサイダー」というアート界の区分けがばからしく思えてしまう。この区分けでは、「正規の」美術教育を受けてはいない田上は「アウトサイダー」となるだろう。「正規の」というのは、アート界では「美大で学んだ」という意味だが、美術史を講義で学ばなかったとしても、田上の絵にその間接的な影響が色濃く現れているのは明瞭だ。特に最近の作品は、現代美術として「読める」。読む必要はないくらい色も構成も鮮やかで力強いが、誤読の可能性も含めてとにかく「読める」。アールブリュットとはそこが異なる。

 

だがそんなことよりもやはり、作品の質と量に圧倒される。潮田敦子のメールには「だーれも知らない人」「どこにも発表なし」とあったけれど、これは誇張というか間違いで、東京ではまだ少ないが、地方都市では何度か個展、グループ展が開催され、熱烈なファンもいるという。ただし、小さな画廊では「量」の展示に限界がある。プライマリーギャラリーが付いていないことも考え合わせると、「間違い」は言いすぎかもしれない。


photo photo
エミリー・ウングワレー作品(部分:2点とも)

スタイルの多彩さと「量」といえば大竹伸朗だが、大竹は武蔵野美術大学を出ているから立派な「インサイダー」だ。それよりも、国立新美術館で回顧展を開催中(7/28まで)のエミリー・ウングワレーと比べたくなる。1910年頃に生まれ、オーストラリアでアボリジニの伝統に則って暮らしていたウングワレーは、バティック制作を経て88年、つまり70代後半からキャンバス画を描きはじめる。そして96年に亡くなるまでの8年間に、3,000点とも4,000点ともいわれる作品を制作した。西洋美術とは無縁の生活の中で達成された画業は、しかし西洋美術と通ずるところの多い、きわめて抽象的なものだ。強いていえば(地面や床にキャンバスを置いて描いていたためか)、絵に天地左右がないところが異なる。


photo
平田一式飾 自転車部品一式「海老」
平田一式保存協会
高さ:148、横幅:195、正面幅:65(cm)
島根県・出雲市

あるいは、島根県平田市(現・出雲市)に江戸期より伝わる「平田一式飾り」はどうか。1793年、ある表具師が疫病退散を祈願し、茶器一式を用いて大黒天像を造り、天満宮に奉納したことに始まるというこの奇習は、いまでは技術的に洗練の極に達している。毎年7月、平田天満宮祭の折に、市内有志が作った「新作」が発表されるが、現在、東京のサントリー美術館で開催中(7/13まで)の『KAZARI −日本美の情熱−』展で、近作2点が展示されている。中でも、自転車のパーツのみで巨大な海老を組み立てた作品は、チェ・ジョンファや淀川テクニック、いや、アルマンを凌ぐほどの出来映えと言ってよいのではないか。造形的にも非常に美しいアッサンブラージュだ。

 

フレーム、前照灯、サドル、スポーク、タイヤなどで作られた海老からは、工業技術の進歩や大量生産・消費社会、環境問題や今日のエコロジーブームなどが連想される。美術史的には、上述の作家たちやシュヴィッタース、レディメイドのデュシャンなどに連なると言うことができる。祭の際に作られ、奉納されるとはいえ、近代あるいは現代美術館に置かれたら、百人が百人とも「現代美術」と認めるだろう。

 

現代美術っていったい何なのか。今回取り上げた作家や作品は、いまだ定義の定まらないこの難問を考える際の、格好の材料だと思う。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。