

長野で聖火リレーが行われた日に、青森県では十和田市現代美術館が開館した。前日の内覧会と当日の開会式に出かけ、21人の作家による常設作品と、オノ・ヨーコによる開館記念展『入口』を観てきた(4/25-26)。
美術館は、松と桜のダブル並木で知られ、「日本の道100選」にも選ばれた「官庁街通り」に位置している。満開の桜に負けず美しい建物は、西沢立衛の設計。すべてが委嘱という収蔵作品のそれぞれに、ひとつずつ建物を当てるというアイディアはうまく行っていると感じた。白く塗装した鋼板の外壁は、夕方になると高橋匡太によるカラフルな光のプロジェクションで彩られる。美術館の建物へのプロジェクションは、グッゲンハイム・ビルバオのヒロ・ヤマガタ作品などいくつかあるが、シンプル、ミニマルにして力強い高橋作品は、成功例のひとつとして数え上げられるだろう。

高橋作品に限らず、常設作品は「大きい」(チェ・ジョンファ、スゥ・ドーホー、ポール・モリソン、ロン・ミュエク、マリール・ノイデッカー、高橋、椿昇)、「カラフル」(チェ、フェデリコ・エレーロ、ジム・ランビー、マイケル・リン、高橋)、「不思議」(アナ・ラウラ・アラエズ、エレーロ、キム・チャンギョム、栗林隆、森北伸、ミュエク、オノ、ハンス・オプ・デ・ビーク、トマス・サラセーノ、ボッレ・セートレ、ジェニファー・スタインカンプ、山本修路)、「ユーモラス」(栗林、森北、山極満博)などの特徴を備えている。今年のシンガポール・ビエンナーレのテーマ「Wonder」にも通ずるが、アート愛好者以外にも間口を広げ、敷居を下げる戦略に立つとこのようなセレクションになるのだろう。まずは「これはいったい何だ?」と驚かせるとともに疑問を抱かせ、次いで「なぜこれが『アート』なのか?」と考えさせようとする作戦だ。

西沢の起用は、大成功している金沢21世紀美術館にあやかってのことだと思う。西沢は、昨年再開館したニューヨークのニュー・ミュージアムと同じく、妹島和世とともに同館の設計を担った。もっとも、金沢のような明るい未来が待っているかどうかは何とも言えない。十和田市は2005年に十和田湖町と合併したが、それでも人口は68,000人ほどで、450,000人強の金沢市とは比べるべくもない。市内には畜産大学のキャンパスがひとつ、高校は4つだけ。いちばん近い美大は、直線距離で270km離れた山形市の東北芸術工科大学というから、年間約300万人と言われる十和田湖への観光客を当てにするしかなさそうだ。その意味でも、上述の作家・作品選択は理に適っているのかもしれない。

開館翌日にレンタカーを借りて、日本三大霊場のひとつ、恐山に向かった。開山前の「仮開山」時期で、観光客はほとんどいないほぼ貸し切り状態。強い風が吹いていたが天気にも恵まれ(もっとも、散策を終えて車に乗るやいなや土砂降りの雨となった)、火山性ガスの硫黄臭が漂う中、地獄のような風景と、そこかしこにある水子地蔵、水子を慰めるための風車(かざぐるま)、無縁仏の墓、手製の墓標、墓標代わりの石や表札などに打ちのめされた。生半可なアート作品では勝負にならない圧倒的にして虚無的な土地の力は、ダニエル・リベスキンドのユダヤ博物館をベルリンで観た後に、アウシュヴィッツを訪れたときにも感じたものだ。

さらに圧倒的で不思議な体験は、その後に待っていた。山を下り、東京に戻るべく三沢空港を目指していたのだが、カーナビのソフトが古かったらしい。途中で画面から道が消え、「地図を参照して下さい」という哀しくも無責任な指示が現れた。カーナビを全車に備え付けた今日びのレンタカーに地図などあるわけもない。奇妙なほどに小ぎれいに整備された道路を行き交う車もほとんどない。勘を頼りに、というより行き当たりばったりに車を走らせていると、出し抜けに巨大な風車が現れた。「かざぐるま」ではもちろんなく、風力発電用の白い3枚羽根を頂く柱が数十本も天にそびえている。風車の下にはスギやヒノキの防風林が広がっていて、車はその中に誘い込まれるように入っていった。

一瞬、悪夢を見ているのかと思った。木漏れ日が射し込む路上に、前方から長くて黒い不吉な影が猛スピードで車に迫ってくるのだ。「衝突する!」と本気で怯えたが、影だから車にぶつかることはなかった。だが、ひとつが去りゆくとまたひとつ、同じように長くて黒い影が次々に襲ってくる。あたかも、黒衣の死神が振りかざす刃のようだ。折しもカーラジオから、リゲティの「アトモスフェール」が流れはじめた。映画『2001年宇宙の旅』でも使われた不気味な曲で、pppからfffまでの極端な音が強迫神経症的に反復される。気が狂うかと思った。我知らず叫び声が漏れた。

強風に回転する風車の羽根の影だとわかった後も、心臓はどくどくと打ち続けていた。しかもその直後に、今度は巨大な円形のタンク群が現れ、再び驚かされた。フェデリコ・エレーロ作品のような水色のボディ。ジム・ランビー作品のような極彩色の縁取り。後でわかったのだが「むつ小川原国家石油備蓄基地」だった。50基を超えるタンクに、国の消費量の1週間分相当の原油を備蓄している。先ほどの風車は国内最大級の風力発電施設「むつ小川原ウィンドファーム」で、少し先には日本原燃株式会社が運営する原子燃料サイクル施設がある。そう、ここはあの「六ヶ所村」だったのだ。国のエネルギー政策の最前線。坂本龍一らが「STOP ROKKASHO」プロジェクトの標的としている地域である。ちなみにこの日の前々日、内覧会の日の朝には、甘利明経済産業相が三村申吾青森県知事に「青森県を高レベル放射性廃棄物の最終処分地にしない」という「確約書」を手渡している。
興奮冷めやらぬままに考えた。不意打ちのようなこの体験を上回るアート作品はありうるか。こんな現実が実際に起こるのなら、アートなど不要なのではないか。十和田で観た作品の中に、これ以上の情動を引き起こすものはあっただろうか。そして、やはり最近観た、ある作品のことが頭に浮かんできた。
【この項、続く】
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。