COLUMN

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Out of Tokyo

181:コンプレックス閉館
小崎哲哉
Date: February 21, 2008
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コンプレックスビル。向かって右が北館

万物流転。諸行無常。会者定離。なんだか抹香臭いけれど、文化の領域でもこの真理は変わらない。今週末、5年間にわたって東京アートシーンの核のひとつをなした六本木コンプレックスビルが閉館する。オオタファインアーツ、TARO NASU、GALLERY MIN MIN、ヴァイスフェルト(レントゲンヴェルケ)、magical ARTROOMといったギャラリーや、アートバーTRAUMARIS(トラウマリス)など、このビルに居を構え、ゆるやかなコミュニティを形成していたテナントは、それぞれ別天地を求め、転出あるいは一時閉廊、閉店する(「Out of Tokyo 166」に「当初から年限があり、少しずつ引き延ばされていた。それがついに、新たな開発計画が本決まりになり、すべての店子が出なければならなくなるのだという」と記したが、そうではなく当初から5年という約束だったという。訂正します)。

 

コンプレックスがオープンしたのは、森美術館開館の約半年前、2003年4月のことだった。ギャラリー小柳の小柳敦子氏が、ある席で森ビル社長にして美術館創設者の森稔氏に「海外では美術館のまわりにギャラリーが集まり、アートシーンを盛り上げている。森ビルが持っている古いビルを、若いギャラリーに安く貸したらどうか」と提案し、森社長が「それはいい」と応じ、ほぼ即決したという話だ(ギャラリー小柳はヒロミヨシイとともにリトグラフを中心としたギャラリーを構えていたが、その後、magical ARTROOMに場所を譲り、転出した)。六本木交差点から麻布十番方向に下りてゆく坂に面し、業界では坂の名にちなみ「芋洗(いもあらい)」と通称された。「芋洗」は、「新川」やその後の「清澄」、「神楽坂」とともに現代美術ギャラリーが集まる場所のひとつとなった。

 

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南館1階のmagical ARTROOM
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南館3階のGALLERY MIN MIN

5階建てのビルは築40年くらいだろうか。北館と南館に分かれているものの、連絡通路などはない。古いがゆえにエレベーターもなく、各部屋は20〜40平米ほどだろう。海外から来たアートファンは誰しも驚くが、狭さは地価の高い東京では仕方がない。もっとも、年限があり、文化の香りでヒルズお膝元のイメージアップを図ろうという森ビルの思惑とも合致したせいか、家賃は相場の約半分だったという。この小さなギャラリー群で、草間彌生、宮本隆司らベテランから、サイモン・パタソン、束芋、ヤマタカEYEら若手までが個展やグループ展を開いた。南館1階にある看板のないTRAUMARISには夜な夜なアート関係者が集い、月に数回ライブも行われた。レアな催し物としては、田名網敬一による「女体盛りスイーツ」や、杉本博司による「無声映画『瀧の白糸』活弁」などが挙げられる。現代における奇想の画家、田名網は、某有名パティシエの協力を得て全裸の女体をゴージャスなデザートに変容させ、世界の杉本は、アマチュア落語家だった父君の血を受け継いでか、巧みな話術と巨匠にあるまじきダジャレとで客席の笑いをさらった。

 

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池内務(ヴァイスフェルト)「ピース!」

北館3階に陣取っていたヴァイスフェルト(レントゲンヴェルケ)の池内務は「他の画廊さんたちと近くにいるのが最大のメリットだった」と言う。「他の画廊からも森美術館からもお客さんが流れてくる。その意味で、ムーブメントに上手に乗れましたね。もともとレントゲンはムーブメントとは無縁なのでそんなつもりはなかったけど、結果的に乗ることになった」。一方でデメリットはあまりなかったそうだが、ただし、「美術館ならいいかもしれないけど、画廊にとって六本木は街として下品。色街の脇で芸術を売るのには、僕は抵抗がありましたね。やはり画廊の街としては、京橋や日本橋が頂点でしょう。頂点はあるべきだし、街のステータスと芸術はシンクロしているべきだと思う」とも。このあたり、古美術を扱う名門「池内美術」の御曹司としての沽券に関わる所見かもしれない。

 

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TRAUMARISでのライブ(BLACK VELVETS)

TRAUMARISのオーナーで、アートライターでもある住吉智恵氏は「アートの社会はムラ社会。それを少しかもしれないけれど開いた場所だったと思います」と語る。村上隆や会田誠ら日本のスター作家ばかりでなく、来日した各国の作家も数多く足を運び、飲み、語り、ときに酔っぱらって大暴れした。アーティストだけではなく、音楽家や映画・演劇関係者、小説家、建築家、デザイナー、プロデューサーらが集まったこともこの店の特徴だろう。「(異ジャンル交流に)お役に立ててよかった」と住吉さん。深夜・早朝まで、体を張って(つまり客と一緒に飲んだくれて)がんばっていたものねえ。お疲れ様です。

 

勝どきに移転するオオタファインアーツ、馬喰町に場所を確保したヴァイスフェルトあらためラジウム、当面は清澄のMAGIC ROOM?を拠点とするmagical ARTROOM、「物件情報募集中」のTRAUMARIS……と、行き先は様々だ。ビルはいずれ、某若手有名建築家の設計で、別のテナントが入るギャラリービルに生まれ変わるという。TRAUMARISでは22日(金)20:30から「くものすカルテット」による最後のライブが行われ、23日(土)にはコンプレックス全館で、トークショー、DJ&ライブ&パフォーマンス、ポエトリーリーディングなどが開催される。たいへんな人出となるだろうが、僕も最期を見届けたいと思う。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。