
11年ぶり、2度目の来日を果たしたバットシェバ舞踊団の『テロファーザ』を観た(2/3@神奈川県民ホール)。シンプルな4人編成のブルースから、先端的なエレクトロニカまでの多様な音楽に乗せて、総勢35人のよく訓練されたダンサーが舞台を埋めつくす。もちろん少人数やソロのシーンもあったが、やはり群舞が圧倒的な迫力だった。芸術監督オハッド・ナハリン会心の作と言ってよいだろう。

映像の効果的な使用と、一見簡素に見える舞台美術もよかった。舞台奥に3m強×5m強のスクリーンが4面、その真下と両袖に灰色のカバーに覆われた壁のような板が数十枚。ダンサーは、その板の合間から現れ、踊り終えると板の合間に消えてゆく。イスラエルがパレスチナに隔離壁を建造したのは2003年。『テロファーザ』の世界初演は2005年である。壁が爆破されてガザ地区の住人がエジプトに流入したというニュースが流れた直後だったから、鈍感な観客でさえ何事かを感じずにはいられなかっただろう。
政治的な示唆があるから評価すべきだというのではない。実際、会場で無料配布されたパンフレットに収録された「作家・ヤサぐれ舞踊評論家」(自称)乗越たかおの寄稿にはこう書いてある。「イスラエルは政治的に様々な課題を抱えているが、ナハリンが自作品において政治的なことを正面切っていうことはない。ときにナハリン自身が『これは政治的な作品ではないのだ』と言明することさえある」。だが周到な寄稿家は、括弧に入れてこうも付け加える。「それでいていくらでも深読みできるような造りでもあるところが憎い」

この問題については深追いしない。公演に関してもここではこれ以上書かないが、上述の乗越の寄稿について、もう少し触れてみたい。公演パンフレットに収録する文章として、これはお手本と呼んでいいものではないか。A5判見開き2ページ、3,000字ほどの記事から、重要と思われる箇所を拾い出してみる。
「今日、イスラエルのダンスは世界的にも大きな位置を占めて」いる。「なかでも、オハッド・ナハリン率いるバットシェバ舞踊団は、別格の存在だ」
「圧倒的なダンサーの身体能力と、まるで次元の違う発想から繰り出されるナハリンの振付」。「ナハリン自らが開発したトレーニング・メソッド『ガガ(GAGA)』を中心に据えて」「中腰から繰り出される肢体の可動範囲の広さと、瞬時の発想の自由さはまさに驚嘆の連続である」

「『アナフェイズ』(註:前回日本公演)の印象が強い人にとって、『テロファーザ』の群舞はソフィスティケイトされたと映るかもしれない」「群舞の魅力を簡単に言うなら『広い空間を多くのダンサーで構成する楽しさ』『ユニゾンの動きがもたらす生理的な快感』といったところだろう」「『テロファーザ』の群舞は少し違う。ずっと小刻みに震えていたり、大人数で、ものすごく小っさいことをしたりする」「音ハメのようにカウントに合わせてユニゾンで動く妙味はナハリンの得意とするところ」「相当にユーモラスなことも平気でやる」
そして上述の「イスラエルは政治的に〜」云々が記され、「『生きてここにある身体』が、『ただ踊ること』の喜びに満ちて」いることのすばらしさが説かれる。最後のくだりはややヒューマニスティックに過ぎると僕は感じたが、「評論家としての矜持」(ブログより)を持つ書き手が、「リスクを負」って(同)書いている以上、文句を付けるわけにはいかないだろう。ちなみに同ブログに寄せられた「イスラエルの政策」に関する読者の疑義に、本人が2007/2/1付で回答した反論コメントも一読に値する。イスラエルまで、「テロという生命を賭けた状況にも負けずに」出かけていった評論家だけに、言葉に重みがある。

話を戻すと、パンフレットに寄せた乗越の記事は、このメディアに真っ先に要求される「観客へのガイド」という役割を過不足なく果たしている。上述の引用は、「今日のイスラエル・ダンスの位置」「バットシェバ舞踊団の位置」「同舞踊団の特色」「『テロファーザ』の(群舞の)特徴」を順を追って記したもので、分類学を思わせる系統的記述の典型と言ってよい。予備知識がない者に、的確な情報を頭に入りやすい形で書き与えること。見どころを見逃さないためのヒントを、短く的確に、記憶に残る形で前もって読者/観客に与えること。批評家である筆者は、禁欲的に「批評」を抑制し、ガイド役として補助線を引くことのみに徹している。過剰な分析も、お節介なネタばらしもないから、読者/観客は必要最小限の装備だけを携えて、心躍る鑑賞の旅に安心して出ることができる。
本人に確認したところ、『テロファーザ』の批評(レビュー)は、短いものを雑誌『DDD』の連載コラムに書くということだった。峻別は難しいとはいえ、書き手はまず、公演パンフレットなど情報媒体と、批評紙誌など批評媒体との違いを意識して、媒体ごとの書き分けを行うべきだと僕は思う。要するにジャーナリズムと批評は役割が違うということだが、名著『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイド』(作品社刊)の著者、乗越はそのことを心得ている数少ない書き手のひとりである。最近、RTへの寄稿が減っているけれど、あらためてよろしくお願いしますね。>乗越さん
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。