COLUMN

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Out of Tokyo

178:作品と空間の最適化
小崎哲哉
Date: December 27, 2007

年末特別企画として、寄稿家とRTスタッフによる2007年「私の10大イベント」を掲載した。こういう企画では選者は、たいてい頭を悩まし、泣く泣く何本か(あるいは何十本か)を落とすことになる。僕も例外ではなく、最後は「えいやっ!」とばかりにリストを提出したのだが、最初は「10大イベント」以外に「番外」の1本を付け加えていた。首都圏以外の場所で開催されたということもあって外したその1本、実は今年の個人的ベストワンだったのでここに記しておきたい。内藤礼の個展『母型』である(10.6-12.16)。

 

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ひとことで言えばサイトスペシフィックアートなのだが、そのサイトスペシフィックぶりが尋常ではない。会場は富山県にある「入善町 下山芸術の森 発電所美術館」。東京からだと、上越新幹線と北越急行ほくほく線、あるいはJR北陸本線を乗り継いで3〜4時間、さらに駅からタクシーで15分ほどかかる。その名の通り、1926年に建設され、老朽化に伴って解体されるところだった水力発電所を、入善町が電力会社から譲り受けて改装し、95年に美術館に生まれ変わらせたものだ。建築面積558平米(延べ床面積678平米)、建物高14.4メートルという、堂々たる煉瓦造りの建築である。

 

内部には靴を脱いで入る。靴下越しに床の冷たさが伝わるのと同時に、前方の壁に青っぽい色合いの小さな絵だか写真だかが掛けられているのが目に入る。高い天井のがらんとした空間内に、ゆるゆると目をすべらせる。左手にあるロフトのような中2階的なスペースに、額装された作品がある。グラスの水に白い絵具か何かを流し入れたものだろうか。煙のようなシャンパンの泡のような不定形がたゆたっている、そんな写真が8枚。それだけ。

 

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え、それだけ? と思って辺りを見回してみても、やはりそれだけ。駅から遠いこともあってか、休日だというのに客の姿はなく、ほかに何かあるのかないのか、誰かに尋ねることもままならない。わざわざ時間をかけて来たのに、と拍子抜けしたような、ちょっと裏切られたような気持ちになる。でも、すぐに考え直す。まあいいや、歴史的と言うのは大げさだとしても、80年以上前に建てられた古い建物の中でゆっくりするのも悪くない。急に気分は和らぎ、気がつくとわずかに開いた窓から外を流れる川の水音が小さく聞こえている。広い内部空間は、ほのかに湿気を含んだ濃密な空気と、柔らかな光に満ちている。

 

「中2階」でよしなしごとを考えめぐらし、しばらくしてから、せっかくだから建物の中を探検しようと思い立って階下に降りる。そう決めたわけではないのに、足取りは自然にゆるやかになっている。いまも保存してあるタービンなどの機械類を、中学生のような気持ちになってじっくりと眺める。直径が3メートルくらいあるトンネル状の導水管の中に、こちらは小学生の気分で入ってみる。導水管を出て数歩歩いたときに、靴下に水がしみた。冷たさに小さく声を上げそうになり、その瞬間、首筋に水滴が落ちた。

 

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"matrix" 2007 Nizayama Forest Art Museum Photo Hatakeyama Naoya Courtesy Gallery Koyanagi, Tokyo

はるか上方から、十数秒くらいの間隔で滴が落ちてくる。下を見ると、水たまりと言うほどではないけれど床に水が飛び散っている。歩き回ってみて、そういう場所が8ヶ所ほどあるのがわかった。さらに、白い糸が何本か、虚空に張られているのも見えた。目をこらしてようやく見えるほどの細い線は、何と何をつないでいるのか……。

 

後で聞けば床にも何かが描かれていたそうだが、僕には確認できなかった。しかしそれは(虚勢を張っているわけではなく)大したことではないと思う。心も体も弛緩させつつ光と空気に包まれ、水の匂いと音を味わい、もと発電所の空間と時間を感じ、その直後に小さな驚きを得た。靴下がひんやりと濡れそぼった感覚や、糸を発見したときのうれしさは、いまも確固として体の中にある。大げさに言うなら、それは自分ではない何ものかと関係が結べた証しではないか。内藤が僕に与えてくれたのは、そういう希少で貴重な時間だ。

 

個性的な会場は、サイトスペシフィックアートにとって諸刃の剣だ。以前、ロンドンのバタシー発電所で開かれた『China Power Station』展のことを書いたけれど(「Out of Tokyo 150」)、特に発電所のような重厚な建物は、空間の強さが作品のそれを上回ってしまうことが多々ある。芸術の森で求めた『発電所美術館 活動記録1995〜2004』をひもとくと、ここで個展を開いたほぼすべての作家が、空間の強度にあらがうべく渾身の力を振り絞っているように見える。ひとり内藤だけが、あらがうのではなく空間に寄り添うことによって、空間と自作を見事に融合させ、観客へ与える効果/体験を最適化した。北風ではなく、太陽。言うまでもなく最適化とは、最小のコストで最大の効果を産出する行為の謂である。

 

東京の外に出るのには、時間もお金もかかる。でも、こういう体験があるから旅はやめられない。新しい年になっても、時間と財布が許す限り、いろいろな場所に行ってみようと思う。よいお年を、そして皆さんもよい旅を!

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。