COLUMN

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Out of Tokyo

177:「皇居美術館」構想
小崎哲哉
Date: December 13, 2007

三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹したのは、1970年11月25日のことだった。世に言う「憂国忌」である。三島が生きていて、37年後の同じ日に新宿で開催されたイベントの内容を知ったら、なんと言っただろうか。表題は「第1回リスボン建築トリエンナーレ帰国展・記念シンポジウム『皇居×東京』」。議論の対象とされたのは「皇居美術館」構想である(リビングデザインセンターOZONE 8Fセミナールーム)。

 

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リスボンでの展示風景
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同(シンポジウム事務局提供)

リスボン建築トリエンナーレは、今年の5/31から7/31まで開催された。テーマは「アーバン・ヴォイド」(都市の空白/空虚)。日本セクションをキュレーションした建築史家の五十嵐太郎は、美術家の彦坂尚嘉が唱える「超一流日本美術品を集結させた巨大美術館」を皇居に建てる構想を中核に据え、他の企画とともに「TOKYO REVOLUTION」と題して展示を行った。そしてトリエンナーレが終了した4ヶ月後に、「凱旋展」とも呼ぶべき展覧会をOZONEで開いたのだ。シンポジウムはその関連企画である。

 

パネリストは、彦坂、御厨貴(政治学者)、鈴木邦男(政治活動家)、原武史(政治学者)、南泰裕(建築家)、新堀学(同)の6人。五十嵐が司会を務め、4時間近く議論を行った。最初に五十嵐が、1958年の丹下健三による「皇居文化センター構想」以外にこの種の提案や議論はあまり行われていない、建築科の学生の卒業制作においても皇居に関わるプランはほとんどないと前振りをした。次に彦坂が構想の背景と概略を説明した。

 

*この国では、10年にわたって毎年30,000人以上が自殺している。引きこもりや犯罪も多い。これは、明治維新以来の近代化に起因すると考えられる。椹木野衣が主張するように「敗戦はリセット」ではなく、野口悠紀雄が言うように現代は戦時からの連続性がある。

 

*ジャクソン・ポロックのアートやアメリカン・ロックは、米国という国が先住民の屍の上に成立していることを意識している。芸術の大きな存在理由として「鎮魂」があるが、それが日本では十全になされていない。

 

*そこで「芸術憲法」を制定し、それを機に天皇に京都に帰っていただく。明治以来の物語を終わらせるとともに、天皇には死者を鎮魂していただき、「祈る国、祀る国」としての日本を取り戻す。滅びつつある伝統文化も復興させる。

 

*天皇が去った皇居に、高さ1000メートルの巨大美術館を建てる。日本美術の至宝をすべて集め、酸性雨に冒された鎌倉大仏や、台風に破壊された室生寺の五重塔などの「超一流」建築物も皇居に移す。平和主義を世界に示すことができ、外国からの観光客も増える。

 

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彦坂尚嘉。左は五十嵐太郎
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左より、御厨貴、鈴木邦男、原武史

上の提案にある「超一流」という表現は、通常の形容ではなく、彦坂独自の用語である。彦坂は「〈1流〉の美が反転すると、〈31流〉の美になります。〈超1流〉の美が転倒すると〈41流〉の美です」「超1流」〈41流〉〈超1流〉の作品、あるいは〈41流〉〈超1流〉〈超1流〉の作品は、名品です。 さらに〈象徴界〉〈想像界〉〈現実界〉の3界を同時表示していて、さらに固体美術、液体美術、気体美術の3様態を同時表示しているというのが、すごい作品です」というような芸術の独自の「格付け」を行っている。僕には難解すぎてよくわからないが、「皇居美術館」構想の背後にある意図は明確に理解できたと思う。

 

これに応え、『日本の近代3・明治国家の完成』の著者である御厨が、ユーモアを交え、しかし明快に、天皇と東京の歴史的関係と遷都論について講じた。東京にいわば「拉致」された明治天皇は京都への思い入れが強かったが、昭和天皇は東京を好み、敗戦後に京都に戻ることを肯んじなかった。また、小沢一郎が1993年に著した『日本改造計画』における首都機能移転論議で、ゲラにあった「皇居についても移転を考える」の一文が最終的には削除された。後者は御厨が小沢に直接聞いたそうで、これは小さなスクープではないか。

 

「新右翼の論客」と言われる鈴木は、彦坂案を「面白い」と評価し、以下のように応じて会場を爆笑させた。「いいじゃないですか。天皇を京都にお返しし、徳川家に逆大政奉還し、君民共治を行う。政党はすべて芸能プロに担わせればいい。いまだって政治家は芸人か芸人みたいなものだし。ところで、何で『江戸城美術館』じゃいけないの?」。労作『皇居前広場』の著者、原は「1967年以降、天皇家の祭祀に関わる報道がなくなった。宮中はほぼ非公開で、一方、国家レベルの歴史を博物館として体感できる環境は貧弱だ」と述べた。そうした施設は「(靖国神社の)遊就館しかない」そうで、この発言は苦笑を誘った。

 

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彦坂による「皇居美術館」のスケッチ

南はトリエンナーレ参加を機に都心3区の「ヴォイドの集合体を抽出」し、ロラン・バルトは皇居を指して「(東京の)中心は空虚である」(『表徴の帝国』)と記したが、実際にはそう単純ではないと述べた。水、緑地、高層ビル、直線道路、大使館、ビルの屋上、高速道路、駐車場、裏道、地下鉄などなど、「ヴォイド」と見なしうる空間や都市の構成物は多々あるという。新堀は彦坂の提案を受け、その提案をいくぶんか裏切りつつシミュレーションを行った結果をパワーポイントで提示し、「この『空虚』の存在論は、単なる建築の不在ではなく、むしろ思考の不在にあるのではないかと考えるに至った」と結んだ。

 

以上、非常に雑駁な報告で恐縮だが、この一文を書いたのは、こうした思考実験的な試みが昨今あまりに失われているからだ。天皇制に触れることをタブー視し、発言を自粛するという時代錯誤的な風潮もあるかもしれない。だがそれよりも、単なる思考停止が世間にはびこっているように思う。「高さ1000メートル」も含め、実現可能性も実は問題ではない。新堀の言うように、都市ならぬ「頭の中の空虚」をこそ、問題にすべきではないか。

 

各界を代表する論客をそろえ、会の構成も司会者の仕切りもよく、非常に濃密で満足度の高い催しだった。会と展示の模様は、いずれ朝日新聞社から書籍として刊行されるというから楽しみだ。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。