

劇作家、演出家の太田省吾が亡くなったのは7月13日だった。享年67歳は寡作の人にしては若すぎる。近年は近畿大学や京都造形芸術大学で教鞭を執り、つい先頃、造形芸術大映像・舞台芸術学科学科長の職を離れ、東京に戻って創作に専念しようという矢先の死だった。京都での「偲ぶ会」に先立ち、東京で「太田省吾 献花/お別れ会」が開かれたのは9月10日のことだ(スパイラルホール)。生前の幅広い交流関係を反映して、演劇界のみならず、文学や美術畑から多数が参列した。僕が気がついただけでも、宮本隆司(写真家)、内藤礼(美術家)、藤枝守(作曲家)、伊藤キム(舞踊家)らの顔があった。
僕は1980年代に太田の代表作『水の駅』を見て、ミニマルな「沈黙の劇」に衝撃を受けた口だが、実際に会ったのは昨秋が最初で最後だった。「京都芸術センター舞台芸術賞2007」なる若手演出家対象の賞があり、演劇の専門家でもないのに審査員を依頼されて引き受けたことによる。同賞の審査員を2004年から務めている太田に、1年後の選考会に臨む前に挨拶しておこうと、その演出作品を観にシアタートラムに足を運んだのだ。『ベケットを読む』という企画の一環で、上演されたのは『ある夜-老いた大地よ』という作品である。


上演についてはこの連載の「150:古典の消滅?」で少し触れたが、素晴らしい、しかしかなり難解なものだった。狭い舞台には洗面台と白い便器が置かれている。老婆役の鈴木理恵子が発する台詞は、極端な吃音であることもあって非常に意味が取りにくい。ややあって現れた観世榮夫は、鈴木が白い紐でつくった抽象的な能舞台(?)で能を舞う。言語に意味を担わせないという点では、太田の作風にぴたりと合致しており(というより、太田が自分の作風に合わせて作品を選び、その特徴を強調したのだろう)、合気道のように原作の力を利用しつつ「場」をつくってゆく作業だと思えた。当時79歳だった観世は、この6月に亡くなった。およそ40日後に太田が後を追ったわけで、何とも言えない気持ちになる。
「お別れ会」の会場には、過去の演出作品の写真が多数並んでいた。主に野山の花でつくられた大きな祭壇には、故人の遺影が飾られていた。会場をしつらえたスタッフたちは、『水の駅』『地の駅』『風の駅』などの太田作品に掛けて、豪奢な祭壇を『花の駅』と呼んでいた。俳優の大杉漣が献杯を行い、劇作家の別役実、俳優の品川徹、舞踊家の山田せつ子、詩人の佐々木幹郎が短いスピーチを述べた。転形劇場で太田に育てられた大杉曰く「太田さんがいなかったら僕は役者にならなかった」。別役曰く「近松賞の審査を一緒に担当したが、そこそこよく書けているエンタテインメント作品と、やや稚拙だが実験的な作品があると、終始一貫して後者を支持していた」。佐々木曰く「僕にとって最高の劇作家だった。『沈黙』をコアに詩人の言葉を持っていたから『詩』という共通言語で話ができた」
太田の死後、8月からいまに至るまで毎週、僕は京都に通っている。上述した「舞台芸術賞」の審査のためだ。この週末に開かれる審査会と授賞式、公開選評会に太田の姿はないが、上演作品には彼の影響が色濃い。静かでミニマルな舞台を、言語と演技について思いを凝らしながらつくろうと務める若い演出家が何人かいる。太田に誘われ、造形芸術大で同僚となった山田せつ子は「太田さんは学生が好きだった。『育てたい』というよりも『一緒に何かをつくってゆきたい』と思っていたのだろう」とスピーチした。スパイラルホールには、そんな学生が(京都から)何人か来ていた。



昨夜は築地本願寺で「山口小夜子を送る夜」が開かれた。仏僧が読経する中、優雅に踊る山口の映像が流され(シルエットだけでその人とわかるパフォーマーが何人いるだろうか?)、参会者は静かに献花を行った。スピーチなどはなく、読経の後はパイプオルガンの演奏で、最後の曲は「ハッピー・バースデイ」だった。当日9月19日は、山口の誕生日だったのだ。その後、故人による詩の朗読映像が流され、続いて「ライブ」が始まった。
鳥の声をサンプリングしたとおぼしき電子音が会場を満たし、先刻までのシルエットの映像におびただしい鳥の影のアニメーションが加わる。最後は故人の影が大写しになったままフェイドアウトし、代わりに画面いっぱいに羽を伸ばした大きな鳥の影が広がり、それがゆっくりと消えて終わった。山口小夜子は鳥になって、天空に羽ばたいていったということだろう。後ろに座っていたカップルが「素晴らしいね」と溜息を漏らした。
映像をつくったのは生西康典+掛川康典。スーパーデラックスなどで山口と一緒に活動したことのある年少の表現者だ。太田の場合と同じく、ここには何かを「伝え、承ける」という関係が成立している。ふたりの生前には考えもしなかったことだが、太田省吾と山口小夜子は似ていたのかもしれない、と初めて思った。(2007.9.20)
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。