COLUMN

outoftokyo
outoftokyo

Out of Tokyo

169:山口さよこの死
小崎哲哉
Date: August 23, 2007

所属事務所から訃報のファクスが届いたのは、今週月曜(8月20日)の昼頃だった。「弊社 山口小夜子 儀  8月14日 急性肺炎にて死去いたしました ここに生前のご厚誼を深謝し 謹んでご通知申し上げます 葬儀は親族のみにて 密葬で執り行い 後日『お別れの会』を行う予定です 詳細が決まりましたら おってご連絡申し上げます」。すぐに事務所に電話したが、詳細はまだ把握していないとのことだった。17日の夜に、知人が自宅を訪ねて発見したとの報道もある。57歳だった。

 

photo

山口は1977年、『ニューズウィーク』誌の「世界のトップモデル6人」のひとりに選ばれている。同年、スティーリー・ダン(奇しくも来日中)の『彩(エイジャ)』のジャケットモデルを務め、日本人モデルとしては、60年代にパリ・コレで活躍した松本弘子をしのぐ国際的名声を勝ち得た。当時の人気は、まさに「スーパーモデル」と呼ぶにふさわしい。英国のメーカーが、切れ長の目とボブヘアの「SAYOKOマネキン」をつくり、世界中のショーウィンドーを飾ったこともあるという。モデルにとどまらぬ幅広い活動については後述する。

 

photo photo photo photo
photo by Matsukage Hiroyuki

僕は2年半ほど前に、津村耕佑に紹介された。雑誌『ART iT』の連載「津村耕佑の妄想オーダーモード」第1回の「お客様」として、薄謝で出演してもらったのだ。そのとき以来、さまざまな場所で顔を合わせるごとに挨拶をし、ときにはお酒や食事をご一緒することもあった。最後に会ったのは6月23日。『妄想オーダーモード』展のトークイベント後に、トークに出た津村や松蔭浩之、プロデューサーの前田圭蔵、アートライターの住吉智恵らとともに、会場のミヅマアートギャラリーの近くで軽く食事をした。いつもと変わらずクールに話をしていて、体調が悪いようにはまったく見えなかった。

 

その程度の浅いつきあいだから、もっと近しい人たち、僕の周囲で言えばRT寄稿家でもある今野裕一や前田に比べれば、受けた衝撃はさほどではないとも言える(「Out of Tokyo」153参照)。とはいえ無念でならないのは、山口がかけがえのない、まさしく希有な存在であったからだ。彼女の早すぎる死によって空いた巨大な穴は、当分の間、埋まらないのではないか。ジャンルの境界を越え、他者と協働し、創造行為の幅を広げたその活動の大きさを代わりに担いうる表現者は、少なくとも僕には思い浮かばない。

 

高田賢三、山本寛斎、三宅一生、セルジュ・リュタンスらのモデルを務め、寺山修司や佐藤信らの演劇、天児牛大率いる山海塾や勅使川原三郎らのダンス、鈴木清順や勅使河原宏らの映画に出演した。衣服や宝石をデザインし、自らのブランドを展開し、結城座の人形デザインやさまざまな舞台の衣裳、ヘアメイクを手がけた。エッセイを書き、DJや音楽活動を行い、古今のテキストを用いたボイスパフォーマンスを構成・演出・出演した。近年は特に、山川冬樹やA.K.I.PRODUCTIONSら、若い世代とのコラボレーションを積極的に行っていた。ショービジネスの世界では「大きな舞台(や映画)に専念すればいいのに」という声もあったそうだが、冒険好きの少年にも似た旺盛な好奇心で、常に時代の先端を(反時代的に)走ろうとしていたように思える。映画では、木村威夫『馬頭琴夜想曲』が、最後の出演作となった。

 

津村との対談で、山口は三宅一生について以下のように語っている。「一生さんは仕事以外でも『さよこさん、僕の服を着て出かけましょう!』って、歌舞伎からパチンコまで、本当にありとあらゆる芸術、クリエイションの場に触れさせてくれました。中でも寺山修司さんの舞台は衝撃的でしたね。(中略)一生さんは『楽しかったね』っておっしゃるのですが、私はその後一週間食事ができなかったくらい(笑)。でも、その後に寺山さんから舞台出演のお誘いがあり、そこでの経験がものすごく面白くて。そんなことをモデルのお仕事と並行してやっていく中、私の中で舞台とファッションが融合して、表現というものになったとも言えます」(津村耕佑『FANTASY MODE』グラフィック社)

 

photo

訃報が届いたその日の夕方、やはり山口と親しかったヴィヴィアン佐藤とたまたま打ち合わせがあり、その後、新宿ゴールデン街に飲みに行った。狭いバーの壁には『馬頭琴夜想曲』のポスターが貼ってある。酔いはなかなか回らず、ふたりとも言葉少なのままだったが、何杯目かのグラスが空いたときに、ヴィヴィアンがぽつりと言った。「さよこさんはね、若い頃にいろんな人にかわいがってもらって、いろんな人に影響を受けたって言ってたでしょ。だからその後、若い人たちといろんなことをやっていたのは、ある種の恩返しであり、義務感でもあったように思うの。自分が受け取ったものを、次の世代に伝えようとしていたんじゃないかしら」

 

僕もそう思う。巨大な損失に言いしれない喪失感を覚えている。(2007.8.23)

 

※数ヶ月前、山口は「小夜子」から「さよこ」に改名した。理由は聞いていない。

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。