

例によってのあわただしい旅程で、西ヨーロッパの3都市を回ってきた。ルクセンブルク、ブリュッセル、そしてパリ。ブリュッセルで観たローザスの新作『Keeping Still』や、ローザスのパフォーマンススペースと同じ通りにできた新しいアートスペース「WIELS」や、パリで観たいくつかの展覧会については、いずれ書く機会があるかもしれない(ないかもしれない)。ここでは、ルクセンブルクのジャン大公近代美術館(MUDAM=「ミューダム」)で観た『Tomorrow, Now』展について書いてみたい。

MUDAMは数年の準備期間を経て、2006年の7月に開館したばかりの美術館である。設計はI.M.ペイ。館長は、カルティエ現代美術財団初代ディレクターのマリー=クロード・ボー。保守的といわれる国にあって、最先端の、そして質のよい現代美術を収蔵し、意欲的な企画展示や各種ワークショップを行っている。『Tomorrow, Now』展は正式開館以前の市内各所での展示も含め、MUDAMが主催するものとしては初のデザイン展。しかも、「SFとデザイン」という不思議な、そしてわくわくさせられるようなテーマが取り上げられている。
今回行くまで知らなかった不明を恥じるほかないが、「SF」という言葉は、ルクセンブルク生まれの米国人、ヒューゴー・ガーンズバックが案出したものだという。1926年、世界初のSF専門誌『アメージング・ストーリーズ』を創刊したガーンズバックは、「サイエンス」と「フィクション」を組み合わせた「サイエンティフィクション」という造語で新ジャンルを啓蒙普及しようとした。同誌はその後、数度にわたり『アメージング・サイエンス・フィクション』を名乗るようになる。あの時代に典型的なパルプマガジンだ。
『Tomorrow, Now』展は、その『アメージング・ストーリーズ』の大量展示から始まる。部屋には、見知らぬ惑星か衛星の地表を想わせる黒いプラスティック粒が敷き詰められ、白い壁に安手の紙にけばけばしい絵柄が印刷された表紙が並べられている。その隣には39年ニューヨーク万博の際につくられた、巨大な未来都市ジオラマの展示風景の写真。目を転じると、当時初めて考案され、すぐに隆盛を極めた流線型デザインの代表的事例として、53年型(だったか?)スチュードベーカー・クーペの実物がどーんと置かれている。

広い中央ホールには、60年代から70年代初頭に100棟ほど生産されただけだという「フトゥーロハウス」の、これもまた実物が鎮座している。直径8メートル、高さ3メートルというUFOのような居住施設だが、天井高がある中央ホールのサイズに合わせてあつらえたかのように、見事にぴたりと収まっている。ベルギーのコレクターが持っていたものだそうで、保存状態が非常によい。少し掃除すれば、すぐにでも住めそうな感じだ。


「SFとデザイン」というテーマに合わせ、SF的あるいは未来的デザインという観点から、現代美術作品も何点か選ばれている。60年代以降、高度経済成長と足並みをそろえ、日本でもSFや未来学ブームがあった。その事実を反映するかのように、日本人アーティストやデザイナーも含まれている。川島秀明の絵画、森万里子や都築響一のインスタレーションなどなど。往時の『少年マガジン』で巻頭の「図解特集」を担当していた、「怪獣博士」こと故・大伴昌司の作品に期待していたのだが、『バルタン星人の内部図解』など小さなスケッチが3点だけと、やや拍子抜けだった(カレル・チャペックの戯曲『RUR』のポスターと、マシュー・バーニーの『クレマスター・サイクル』シリーズの写真に挟まれていた)。

目を瞠ったのは、モダンから現在に至る椅子の展示である。バウハウスからチャールズ&レイ・イームズらを経てマーク・ニューソンまで。「ふ〜ん、椅子ねえ。やっぱりデザイン展だなあ」などとぼんやり観ていたのだが、端倪すべからざる意図が隠されていた。ヒントは、壁に貼られていたバウハウスの映画ポスターにあった。1921年につくられた装飾過多な椅子が、わずか数年の間にどんどん簡素になっていく様子が、年号付きの写真で示されている。そして「19??」と記された写真には、心地よさそうに深々と腰掛けている女性が写っているが、その下には何もない。

「単に各時代の優れたデザインを見せるだけの展示は、これまでにもさんざん行われているでしょ。MUDAMで初めてのデザイン展だから、そこには、きちんとした意味や意義がなければならない。バウハウス以来、家具やデザインの未来志向には、『もっと速く、高く、軽く』という意図が含まれていた。あのポスターに見られるように、不可視の家具を目指していたと言えるんじゃないかしら。テクノロジーの進歩や新素材の開発によって、その志向は実現に向かおうとしていると思う。ほら、例えばこれ……」

そう熱く語るのはキュレーターのアレクサンドラ・ミダル。3年もの時間をかけて世界中を飛び回り、展示品を集めてきた彼女の指先には、倉俣史朗のスツールがある。「不可視」をもう少しで実現しそうな透明なアクリルの中に、軽さを象徴するかのように着色したウズラの羽毛が閉じこめられている。我々は未来を手に入れたのだろうか? もちろん、ミダルや館長のボーは単純な楽観主義者ではないだろう。「意義申し立て:ディストピア」というセクションに展示された、消費誘因としてのデザインやブルジョワ社会に奉仕する建築を否定したスーパースタジオの『12の理想都市』(66)の図面や、さらにはエットーレ・ソットサスのイラストレーション『祝祭としての惑星』(72-73)などからも、主催者の屈曲した思いが窺える。線的に無限に発展する社会、薔薇色の未来という幻想から、我々はすでに遠く離れてしまっている。
60年代から70年代の初頭といえば、SFや未来学ブームとともに、ヴェトナム戦争などの激化にともなって、先進諸国で反体制運動が盛んになった時期でもある。そんなことに思いを馳せ、一方で、都築響一のスキャンダラスな『精子宮』(鳥羽国際秘宝館・SF未来館)に地元の保守的なメディアがどう反応するか、現地からの連絡を待ってもいたのだが、紙幅も時間も尽きた。いずれ考えを深めてあらためて記事を書いたり、この場所で報告したりすることがあるかもしれない(ないかもしれない)。最後にひとこと付け加えておくと、MUDAMに併設されたカフェやミュージアムショップは、お仕着せのありきたりなものではなく、オリジナリティあふれる料理や飲み物、グッズを供していて、各国の他の美術館と一線を画していた。ボー館長の方針で、安易な外部業者委託ではなく、才能ある料理人やアーティストに運営を任せているのだという。『Tomorrow, Now』展も、そうした方針のもとで成功に至った事例だろう。人口40数万人という小国の、人口8万人余の小さな首都にある、小さいながら志の高い美術館の活動に、今後も注目してゆきたい。(2007.6.7)
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。