

釜山ビエンナーレが主催する国際シンポジウム『What’s Up Biennale?』に招かれ、参加してきた。ワークショップを含めて全3日の日程だったが、僕が滞在したのは2日目朝の自分の講演/プレゼンテーションまで。その間に聞いた、北川フラム(越後妻有アートトリエンナーレ総合ディレクター)、エリザベス・アン・マクレガー(MCA=オーストラリア現代美術館館長)らが行ったプレゼンの中で、出色だったのはヘラルド・モスケーラのそれだった(5/21 釜山メトロポリタンシティホール)。1980年代のいわゆる「ニュー・キューバン・アート」運動の理論的・実践的支柱で、ハバナ・ビエンナーレの創設メンバーのひとりでもあり、現在はニューヨークのニューミュージアムの館長職に在る。

プレゼンといっても、モスケーラが話したのは10分足らずだったのではないか。言葉で語る代わりに、プレゼンターは映像を見せるという方法を選択し、文字通り会場の耳目を引きつけた。2003年にパナマシティで、現地在住のアドリエンネ・サモスとともに共同キュレーションした『ciudadMULTIPLEcity』の記録映像である(撮影はリッチ・ポッター)。参加作家や内外のジャーナリスト、観客、そしてキュレーター自らのコメントが多数含まれ、もちろん作品やパフォーマンスの模様も収録され、同展の成立事情と内容、そしてコンセプトがよくわかるものだった。
記録映像とモスケーラ自身による補足説明によれば、同展は都市「において(in)」ではなく、都市「とともに(with)」開催されたものだという。企画が先にあり、次に都市を決める。すなわち、企画は開催地を選ぶところから始まった。国や自治体などに委任されるのではなく、企画者が開きたい場所を決めるという逆転の発想だ。彼らがやりたかったのは、今日の都市が抱える構造的な問題をアートによって明らかにし、さらにはその解決策を模索することであり、ある種必然的に選ばれたのがパナマだった。表面的には自由な社会であり、しかし実際には政治的・社会的・経済的問題が存在し、多民族・多宗教・多文化国家であるからだという(この多様性と高層ビルが建ち並ぶ景観から、東洋で言えばシンガポールや香港に相似しているという)。現代美術(というより文化全般)への関心が薄いという点も大きかった。モスケーラによれば「これほどまでにビジネス中心で、支配階級や国家が文化に無関心な国は、世界的にもまれだ」ということである。



キュレーターが選んだアーティストは国外から9人、国内から3人。海外からの作家には、地元の若手作家が付いてサポートに当たった。南国パナマに氷のリンクをつくり、子供たちにスケートをさせた者がいる。対立するふたつのストリートギャング団に同じ歌を歌わせ、別々に撮った映像を並置したスクリーンに屋外投影した者もいる。戸外に蝟集した観客は興奮しながら映像を見守り、映写が終わるとすぐに「Repeat it!」と叫んでいた。
中でも論議を呼んだのは、エジプト生まれ、ニューヨーク在住のガーダ・アメールの作品だった。社会問題を喚起する簡潔なフレーズを記した看板を市内各所に設置するもので、政府職員の汚職を指摘した看板を共和国財務官事務所前に置いたところ、財務官が市役所に撤去を要求。市役所からの設置許可は事前に下りていたのだが、市役所が「間違いだった」と掌を返し、作品は取り除かれた。さらに、数日後に別の看板ふたつが謎の消失。巨大な作品だけに取り壊しや輸送には周到な準備と時間が必要で、単なる物取りの仕業とは考えがたいという。作家は「自作の重要性が証明された」と喜んでいるそうだが……。
モスケーラのプレゼンの翌日に、僕も講演を行った。事前に用意しておいたテキストには、以下のような主張を記しておいた。
「僕が観たいのは、そして想像するに地元の人だって観たいと思うだろうものとは、その土地でしかあり得ず、だからこそ外部の人間にとっては足を運んでまで観る価値があり、地元の人々にとっては居ながらにして再発見の喜び、もしくは再認識の誇らしさが感じられる作品展示である」「伝統に裏打ちされた『祝祭』とは、例外なく歴史という名の時間に分かちがたく結びついている。だから『サイトスペシフィック』とは、実は『タイムスペシフィック』でもあるのだと思う」「『地元市民のもの』であろうが、文化観光の時代における『観光客誘致』のためであろうが、国際展のテーマが地域の歴史と地域性に根ざす魅力的なものでなければ開催する意味はなく、また多くの動員も継続性も望めないだろう」(テキスト全文はこちら)
現代パナマ社会の背後には、もちろん長く苛烈な歴史がある。だから『ciudadMULTIPLEcity』は、小さいながら上記のすべてに当てはまる国際展である。しかも展示作品は「多層的な意味があり、どのように現代美術がひとにぎりの典型的なアートファンでなく、大勢の観客とコミュニケートするかを模索している」(モスケーラ)。

モスケーラは、『リヴァプール・ビエンナーレ2006』にも同様のコンセプトを導入したという(僕は未見)。ハンス・ウルリッヒ・オブリストや侯瀚如(ホウ・ハンルゥ)らが企画した『Cities on the Move』に、ある意味で考え方が似ていると思ったので聞いてみたところ、「実際には観たことがないけれど、非常に面白く、重要な展覧会だと思う」と言っていた。近い将来にアムステルダムでも、同様の展示を行うべく準備中であるとのこと。「パナマとは都市のインフラや制限、もちろん歴史的背景もまったく違うけどね」と言いつつ、カリブ海出身のキュレーターは東アジアの港町でにっこりと笑った。(2007.5.24)
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。