

3月30日に「東京ミッドタウン」がオープンした。世間は「六本木が変わる!」だの「大人の街の誕生」だのと騒がしいが、歓迎すべきバブル再来の象徴というわけだろうか。僕は子細に観たのはパブリックアートくらいなので、オフィスエリアはもちろん、ショップやレストランについて格別言うことはない。建物に関して言えば、「21_21 DESIGN SIGHT」は悪くないと思った。三宅一生の「一枚の布」に想を得たという、1枚の鉄板を折り曲げてつくった屋根の下に広がる意外に採光がよい半地下空間。「表参道ヒルズ」で味噌を付けた感のある安藤忠雄は、やはり商業空間より美術館のほうが得意なのかもしれない。ミッドタウンの敷地外には隣り合わせるように磯崎新のオフィスがあって、東京五輪vs.福岡五輪で競い合った磯崎への当てつけのように見えなくもない。


それにしても六本木はひどいことになっている。「六本木ヒルズ」で大きな傷を被った後、「国立新美術館」に追い打ちをかけられ、「ミッドタウン」にとどめを刺された、という感じだろうか。いや、森美術館、国立新美、サントリー美術館が組んだ「六本木アート・トライアングル」のことではない。それはそれで思うところはあるけれど、ここで言いたいのは建築物の外観の話だ。統一的な様式美のない少数の巨大ビルが、周囲の街並みとの調和などおよそ考えられないままに、ぼこぼこと恣意的に建てられてゆく。マンハッタン並みに高層ビルの数が数百にも達すれば、自ずと景観的生態系が生じるかもしれないが、東京でそれは当面望めないし、望みたくもない。
僕の仕事場兼住まいは鳥居坂にある。地名地番で言えば港区六本木五丁目で、裏手は数年前に旧館の取り壊し騒ぎが話題になった国際文化会館だ。国際文化会館は旧大名屋敷で、明治初期に外務大臣の井上馨邸となり、1887(明治20)年には九代目団十郎を招いて天覧歌舞伎が催されている。「桃山から江戸の名残を留める」と評される庭園は、1930(昭和5)年に当時の所有者だった岩崎小弥太(三菱財閥4代目総帥)が造らせた立派なもの。都心でも有数の緑地である。問題の旧館は、ル・コルビュジエに師事した前川国男、坂倉準三と、やはりモダニズム建築家の吉村順三が設計し、1955(昭和30)年に竣工している。

この地域に、森ビルによる新たな巨大再開発計画が持ち上がっていることは、すでにいくつかのメディアが報じている。『週刊ダイヤモンド』2006/12/23号によれば、プロジェクト名は「六本木五丁目計画」。「六本木ヒルズ『森タワー』とほぼ同じ高さの超高層ビルが一棟、ほかに四〇階建てクラスの高層ビルが二棟建設される模様」だそうである。僕が話を聞いた地元の住民グループによれば、当初は計画地の真ん中にある東洋英和女学院が猛反対していたが、最終的には折れたらしい。バブル崩壊で借金まみれになったある大型地権者の土地が森ビルに転売され、一方、上述の国際文化会館も旧館建て替えの資金を森ビルへの空中権売却によってまかなわざるを得なかったので外堀が埋められ、六本木の街にあふれかえる風俗店や頻発する犯罪など、「良家の子女が多い」と言われる同校の生徒への悪影響をこの際払拭しようという意見も強まったから、ということだ。ちなみに東洋英和の旧校舎は、日本で数多くの西洋建築を手がけたウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計し、改築も、ヴォーリズ直系の一粒社ヴォーリズ建築事務所が手がけている。

巨大デベロッパーによる都心再開発は、丸の内であれ銀座であれ汐留であれ、もちろん六本木であれ、止めることはできないだろう。1980年代の中曽根民活以来、政官財が手を携えて、このレールを周到に敷設してきたのだから。せめてもの願いは、「建物の外観を何とかしろよ」ということだが、六本木の現状を見る限りそれも望み薄だ。国際文化会館旧館が土壇場で取り壊しを免れたのは、日本建築学会が「国際文化会館の保存活用に関する要望書」を出したからだが、「近代(主義)建築と日本庭園との調和」というのが、「要望」の理論的根拠である。ごくまっとうな話だと思うが、このまっとうな話が、政治家や官僚や開発屋さんの耳にはなかなか通らない。彼らを説得する術を持つ、まっとうな建築家もほとんどいない。
念押ししておくが、六本木には緑が似つかわしいから取っておけという話ではない。古き良き建築を残せということでもない(それは無理ではないだろうが簡単でもない)。以前に引用した坂口安吾の言葉を繰り返すのは避けておくが、最悪の外観=ハードウェアを補い、さらには忘れさせうるのは内実=ソフトウェアによってのみである。例えば「東京ミッドタウン」ができる前には、ちょうど「21_21」のすぐ手前くらいの場所に「George’s」という東京で最古のソウルバーがあった。夜な夜な軟派な音楽好きと、剣呑な気配をぎらぎらと放つ不良が集まるヤバい雰囲気の店だった。旧防衛庁跡地の「ミッドタウン」の土地は戦後の一時期米軍に接収されていたこともあるが、六本木は特にヴェトナム戦争以降、駐留米軍兵士の遊び場となったエリアである。「George’s」はその史実を象徴するような店のひとつだったが、閉店を余儀なくされ(その後、別の場所に開店)、いわば「ミッドタウン」に「殺された」格好だ。
そういう店が「死ぬ」こと自体は仕方がないだろう。どんなものにも寿命はあるのだから。だが「George’s」のような存在に代わる、時代のある部分を代表し、いずれ歴史の風雪に耐えて残りゆく何かを、「ヒルズ」や「ミッドタウン」は生み出せるだろうか。「21_21」ほか、文化施設に大いに期待する次第である。(2007.4.5)
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。