

山口情報芸術センター(以下「YCAM」)に、坂本龍一+高谷史郎の新作インスタレーション展『LIFE - fluid, invisible, inaudible…』を観に行ってきた(3/10、11)。初日にはふたりによるラップトップコンサートがあり、翌日には浅田彰が司会を務めるアーティストトークがあった。1999年初演の坂本によるオペラ『LIFE』がもとになっている作品だが、あの折に使用された、あるいは未使用の素材が再利用されているとはいえ、まったく別物と言っていい仕上がりである。それは、この展示のためにオリジナル制作された、精緻につくりあげられた装置に因るところが大きい。
会場のスタジオAに入ると、闇の中に光を放つ9つの不思議な物体が浮かんでいる。120×120×30cmという大きさの透明なアクリルの箱で、その脇にはスピーカーがあり、すべてが吊るされているために、鑑賞者は首を曲げるか床に座りこむかして見聞きしなければならない。いささか面倒だし肩も凝るけれど、天井から降り注ぐかのような映像と音楽はその不快感を補って余りある。それはあたかも、小さな空を所有するような体験なのだ。

アクリルの箱は実は水槽で、3分の1くらいだろうか、水が注がれている。水面ぎりぎりのところにはノズルが仕掛けてあり、超音波によるものだそうだが、人工的な霧が随時噴出される。もうおわかりだろうが、さらに上にプロジェクターがあって、その霧をスクリーンとして用いるのである。純白の霧は、しかし希薄にも濃密にもなるので、映像は気まぐれな銀幕に翻弄されるかのように、刻々と変容してゆく。もちろん、映像に合わせてコンピュータ制御されているのだろうが、細部は制作者の意図を離れて微妙に集散する。霧が完全に晴れると、明るい映像であれば水を通過して直接に床に映し出される。霧の銀幕に雲の映像が映写されると、見たことのない、得も言われぬテクスチャーが脳を直撃する。

自然、都市、人間、動物、植物などなど、地図や図表やテキストなどなど、そしてダライ・ラマやピナ・バウシュやロバート・ウィルソンらの語りなどなど、戦争や環境破壊にまつわる悲劇的で破壊的なものも含め、映像は断片化を恐れずに再編集され、意図的にかランダムにか、次々に霧のスクリーンに投射・投影される。計算し尽くされた音と音楽が、あるときは映像と同期し(ているように)、あるときは無関係(なよう)に、やはり意図的なのかランダムなのかわからないまま天から降ってくる。隣の水槽には別の映像が映し出され、別の音楽が重ねられているから、無数の映像と音が無数の層をなしているような錯覚に陥る。とはいえ映像や音は不協和ではなく、光と音の粒に包み込まれるようで快い。

坂本龍一は「サウンドガーデン=音の庭を造ろうと思った。これからは庭師と呼んでほしい」と笑いながら語っていたが、それ自体は取り立てて新しいコンセプトではない(例えば清水靖晃は、2004年の浜名湖花博で「6つの庭の為のサウンドインスタレーション」を行い、『セヴンス・ガーデン』という傑作アルバムに結実させている。ふたりの音楽家の仕事はまったく異なり、できあがった「庭」も小堀遠州とル・ノートル、あるいはジル・クレマンほどに違う)。それよりも、音のバラエティの広さと音響環境を徹底的につくりこむ手業と執念がすごい。いま名を挙げた清水もそうだが、音素材の選択とその刈りこみの術に長けているのだ。スタジオAの手前にあるパティオのサウンドインスタレーションも、地の底から響いてくるような不穏な重厚感と微細な感覚がともにあって面白かった。

当日は、ふたりの表現者と懇意の中谷芙二子も招かれていた。もちろん「霧の水槽」の着想は先駆的な「霧の彫刻家」である中谷に多くを負っている。彼女の父親は雪の研究で知られる科学者・中谷宇吉郎であり、その精神が娘を経て高谷と坂本に伝わっていったと考えるのも楽しい。ともあれ、着想ばかりではなく、「水槽」の機器としての完成度が素晴らしいことを強調しておこう。会場ではインスタレーション全体のメイキングビデオも流されているが、これを観ると、良質のメディアアートを成立させる鍵は、自動車などと同じく職人の質にあるということがよくわかる。もちろんそれは、プロジェクトキュレーター阿部一直が率いるYCAMスタッフの技術と熱意ということだ。浅田彰が「高級エステに売ればいい」という冗談を繰り返していたが、「霧の水槽」は、新しいツール/メディアとして、他の表現者に使わせてもよいのではないか。そう思わせるくらい独自で質の高いものだ。

市長も臨席したレセプションで、坂本はYCAMという施設に触れ、「こんな面白いものが、失礼な言い方だけれど、こんな街に転がっていた」とスピーチした。ICCの予算が削減されたいま、YCAMは日本で随一にして世界的にも有数のメディアアートの牙城である。高谷を初めとするダムタイプの面々が準本拠地として使っているだけあって、映像・音響設備は第一級だし、技術スタッフも超優秀だ。こけら落としのラファエル・ロサノ=ヘメルに始まり、池田亮司、カールステン・ニコライ、エキソニモ等々、錚々たる面々が新作を発表し、映画、演劇、ダンスなどでも、先端的な活動を行っている。
交通の便の悪さを「惜しむらくは……」と後ろ向きにとらえるべきではないと僕は思う。確かに、地元以外の観客/聴衆には不便だが、制作環境としては理想的ではないか。『LIFE - fluid, invisible, inaudible…』などのオリジナルプロダクションは、ここを起点に各地に巡回してゆくことを目指せばよい。良質な展覧会/公演の産地として、YCAM(と山口市)が日本のみならず世界に知れ渡り、作品が回るようになれば、それは結局、我々観客/聴衆の利益となる。ある意味で、ピナ・バウシュのタンツテアーターとヴッパタールみたいなものだ。「霧の水槽」だって、売れるかもしれないしね。(2007.3.22)
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。