
前々回のこのコラムに記したように、2月末にヨハネスブルグ(JNB)へ行ってきた。旅の目的であるドクメンタ・マガジンプロジェクトの会議は実り多いものだったが、そのほかに収穫と言えるのは、短いながらソウェト(Soweto=South West Township)訪問ができたことだ。リチャード・アッテンボロー監督の『遠い夜明け』(1987)にも描かれた「ソウェト蜂起」で知られる黒人居住区である。アパルトヘイト廃止後でも住民のほとんどは黒人で、JNB全人口の3分の1を占めると言われる。僕は5年前に編集した『百年の愚行』という写真集に、ここではないがググレツという黒人居住区の、1985年、つまりアパルトヘイト末期の写真を収録した。高台から撮られた写真には、わずかな樹木を除いてみすぼらしい建物が密集していて、地面が見えなかった。

出かけたのはJNBに着いた当日で、ガイド付きツアーの客は僕ひとりだった。大きなワゴンの運転手兼ガイドは、ズールー族だという26歳の青年。地方からJNBに出てきて、電気製品のセールスマンをやっていたが、2年前にガイドに転じたという。「2010年のワールドカップは人生の転機になる予感がする。まだ何をやると決めてはいないけれど、ビジネスチャンスがあると思うんだ」と熱く語る。2時間半ほどのツアーの間、青年は終始言葉を絶やさなかった。「学校もスーパーも何でもある。ソウェトは『都市の中の都市』なんだ」「いまでは犯罪はほとんどない。乗合バスはちょっと危険だけどね」「ほら、白人女性がひとりで歩いてるだろう。ソウェトはこんなに安全なんだ」。実際には、黒人男性の連れがいたのだが、青年は「ひとりで」を強調した。背後には、水はけの悪そうな土地にトタン葺きの小さな建物がみっしりと建ち並んでいる。85年のググレツとそっくりだった。


ヘクター・ピーターソン記念館の前で初めて車を降りたが、青年は駐車後、車をロックしなかった。76年6月、ソウェト蜂起の際に射殺された12歳の少年の名を冠し、アパルトヘイト時代の写真や新聞記事、警察が用いた銃、蜂起した学生が使った防具(といってもゴミバケツの蓋)などを展示している。館内には白人の観光客が何組かいて、ガイドの説明に聞き入っていた。青年はここでは言葉少なで、最後にひとこと「僕はこのときにはまだ生まれていない。幸運だった」とだけ言った。次に、「金持ちが住んでいる地域」に連れていってくれた。高台に、瀟洒な邸宅がブロックごとに区切られて並んでいて、静かな道ですれ違った車の女性が手を振った。「知り合い?」と聞くと、青年はうれしそうに「知り合いじゃないけど、ここではみんながフレンドリーなんだ」と言った。「もしかして、ここに住んでるの?」と尋ねると、「そう、僕はソウェトの住民なんだ。次に来たときはここに泊まるといい。ホテルもある」と、さらにうれしそうに笑った。ネルソン・マンデラがかつて軟禁されていた家や、ウィニー・マンデラがいまも住む大邸宅や、新築の学校を見てツアーは終わった。学校の敷地内を歩くときには、青年は車をロックしていた。

翌々日の夕方には、もうJNBを離れなければならなかった。会議の主催者が手配してくれた空港行きの車の運転手は、インド系の三世だった。忙しい旅で2泊しかできなかったと話すと、都心の何ヶ所かに寄り道してくれた。といっても車から降りることはおろか、赤信号以外では停車もしない。『世界最悪の犯罪都市』と呼ばれるJNB都心部の治安の悪さは僕も聞いていたが、運転手は臆病な小動物のように慎重だった。「去年、1週間の間に2回も襲われたんだ。最初は金を、2回目は車を盗られた。殺されなかったのは幸運だったとしか言いようがない。頭に銃を突きつけられたときは死ぬのを覚悟したね」
実際、黄昏どきの街には剣呑な空気が充満しているように思えた。80年代終わりから90年代初頭にかけてのニューヨークの匂いに近い。Wikipedia英語版には、以下のような記述がある。「90年代初頭に集団地域法が廃案になった後、ヨハネスブルグはドーナツ化現象に見舞われた。それまでは都市部に暮らすことを許されなかった何千もの、ほとんどは黒人である貧しい人々が、ソウェトのような近隣の黒人タウンシップ(居住区)から流れこんできたのだ。犯罪率はかつての白人居住区で上昇した。多くの建物が、特にヒルブロウのような人口密集地域において放棄された。証券取引所を含むたくさんの企業や団体が、本拠地を都心からサンドンのような郊外に移した。90年代後半までに、ヨハネスブルグは世界で最も危険な都市のひとつと見なされるに至った」

インド系の運転手は「外国人だよ。JNBはアフリカでいちばん景気がいいから、周辺の国から密入国してくる。奴らは金もないし仕事もないから、このあたりの空きビルを不法占拠する。そして、犯罪を犯すのさ。白人やアジア人だけじゃなくて、黒人同士でも平気で襲いあう。売春婦もたくさんいて、AIDSもはびこっている」と車外に目を配りながら言った。「貧困と教育が問題だね。金がないから満足な教育が受けられない。教育が受けられないからよい仕事に就けない。仕事がないから欲求不満がたまり、犯罪に走る。悪循環だ」。僕は2日前にソウェトに行ったことを話し、あそこは安全そうに見えた、と言ってみた。運転手は肩をすくめた。「都心より犯罪は少ないだろうけど、危険きわまりないことに変わりはないよ。黒人居住区はいまだって犯罪者の巣窟さ」
ズールー族の青年とインド系の運転手と、どちらの言うことが正しいのかは僕にはわからない。ちなみにWikipediaには「統計に依ればヨハネスブルグの犯罪率は、経済が安定し、成長しはじめるとともに低下している」とも記されている。

ところで、ソウェトで撮影された『ツォツィ』が日本でもようやく公開される。60年代に書かれたものの、80年まで刊行できなかったアソル・フガードの原作を映画化したものだというが、時代を現代に移したために、アパルトヘイトにからんだ重要な要素がほとんど抜け落ちている。もちろん、貧困やAIDSとおぼしき病気、犯罪が描かれていて、間接的に往時を暗示しつつJNBのいまを映し出そうというのだろうが、現状を生み出した根があの時代にあったことは知っておくほうがいい。観に行くのであれば、この春、日本語訳が出版予定の原作を読むか、別の方法で勉強しておくことをお勧めする。(2007.3.8)
寄稿家プロフィール
おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。