COLUMN

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Out of Tokyo

157:F & Wとエキソニモ
小崎哲哉
Date: February 22, 2007
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左から、エキソニモのおふたり、小崎、千原氏

スイスのアーティストユニット、ペーター・フィッシュリ&ダヴィッド・ヴァイスのDVD発売を記念する上映会があり、上映後のトークイベントで話をした(2/20。アップリンク・ファクトリー)。相手を務めてくれたのは日本のアーティストユニット、エキソニモの千房けん輔さんと赤岩やえさん。DVDのパッケージデザインを担当した千原航さんの飛び入りもあって、短いながらも楽しい一夜になった。

 

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『ゆずれない事』(c)T&C Film Ltd.

DVDに収められたのは『ゆずれない事』『正しい方向』『事の次第』の3作である。それぞれ1981年、83年、87年という制作年度から察せられるように、フィッシュリ&ヴァイスはベテラン作家で、つい最近、ロンドンのテート・モダンで回顧展が開かれたばかりだ。僕はたまたまその展示を観ていたのだが、粘土でつくった彫刻やら、飛行機や植物を写した写真やら、自分たちのアトリエにあるものをそのまま持ってきたというインスタレーションやら、何とも表現しようのない不思議な作品群だった。強いて言えば、何かがわずかに狂っている。現実を反映しながらも、もとになっている「現実」とそこから生まれた「表現」とが、版ズレを起こした不良品の印刷物のように、あるいは乱視の人の目に映る外界の像のように、目くじらを立てるほどではない微妙な案配でずれているのだ。

 

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『正しい方向』(c)T&C Film Ltd.

『ゆずれない事』と『正しい方向』も、やはり「ずれている」作品である。ふたりのアーティストは着ぐるみを着て、それぞれネズミ男とパンダ男に化している。このふたり(二匹?)を主人公にして話が展開してゆくのだが、それは「話」と言うのもおこがましいほど不思議な、だが荒唐無稽とまでは言い切れない現実と夢とのあわいのような世界である。ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』や、村上春樹の「羊男」を想い起こす人もいるかもしれない。だが、『ゆずれない事』と『正しい方向』には物語はなく、謎だけがあってオチはない。美術史上の固有名詞や名作を想わせるシーンも出てくるのだが、引用や参照かと思って身構えると、さらりと身をかわされてしまう。人に説明するのも、自分で意味や教訓を考えるのもきわめてむずかしい。

 

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『事の次第』(c)T&C Film Ltd.
上掲3作を収めたDVD『フィッシュリ&ヴァイス ボックス』発売中(3月にも上映会あり

『事の次第』は有名な作品で、昨年秋にICCで開催された『コネクティング・ワールド』展(四方幸子企画)にも出展されていたから、ご記憶の方もいるだろう。ひもにつるされてぐるぐると回るゴミ袋が端をかすめてタイヤが転がりだし、そのタイヤがガラス瓶にぶつかって中身の水が流れ出し、水がバケツにたまって中に入っていた発泡スチロールが浮力で浮き上がり、間に挟まっていた支柱が外れて脚立が倒れ、脚立にはじかれて桶の油が流れ出し、油に火がついて炎がゆっくりと広がり、導火線に燃え移って小型打ち上げ花火が宙を飛び……と、巨大な倉庫のような空間に並べられた様々のがらくたが、およそナンセンスなドミノ倒し的連鎖を繰り広げていく様を30分も続けて撮ったものだ(この順番通りじゃないかもしれません。というか、たぶん違う)。

 

いわゆるルーブ・ゴールドバーグ・マシンのお手本のような映像だが、これがまたユルい。僕はテート・モダンでメイキングオブもののビデオも観たのだが、これだけの規模の「ドミノ倒し」だから綿密で周到な準備が要る。フェイドインやフェイドアウトも、このタイミングで、と決めているのは確実だ。だが、見た目の印象としては、行き当たりばったり感が非常に強い。例えばテレビ局の娯楽番組企画では、このつくりは通らないだろう。何よりも、音楽で言うところの「タメ」とカタルシスがない。しかしそのユルさは、おそらくは計算されたものだ。言い方を変えれば、わざとリズミカルでないようにつくっている。ダンサー、黒沢美香の名キャッチフレーズ「怠惰にかけては勤勉な」を想い出した。「ユルさにかけては綿密で周到な」なのである。

 

ここのところ、「商業映画とアート映像」の違いについて考えていて、もしかするとフィッシュリ&ヴァイス作品がヒントになるかもしれないと思いはじめている。物語性が希薄なこと、ユルいこと、オチがないこと……。そういえばエキソニモも、ハッカーでありながら(クラッカーではないですよ、念のため)作品のユルさが身上であるように思える。トークの相手に選んだのは、『コネクティング・ワールド』展に彼らも参加していたから、という理由もあるのだが、四方幸子がこのふた組を選んだのは、もちろん偶然ではないだろう。ふた組に共通する何かがあって、それはユルさではなかったか。

 

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エキソニモ『浮遊具の妄想宇宙論 in PROGRESS』

エキソニモは現在、トーキョーワンダーサイト本郷で開催中のグループ展『Lab ★ Motion』展に参加している。使われなくなったおもちゃを公募で集めて、「おもちゃの電気回路をランダムにつないで音や光を発生させながら壁一面に増殖していくサーキット・ベンディング的インスタレーション」(プレスリリースより)をつくるというものだ。これもまた相当にユルくて、でも見応え、体験し応えのあるアート作品になっている。やんちゃな風情を漂わせつつ、彼らもやはり「ユルさにかけては綿密で周到な」アーティストなのだと思う。(2007.2.22)

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。