COLUMN

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Out of Tokyo

150:古典の消滅?
小崎哲哉
Date: November 09, 2006
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The Unilever Series: Carsten Holler Test site

久しぶりにヨーロッパに来ている。オランダのカルチャー事情を調べるのが目的だが、その前に3日間だけロンドンに寄った。サーペンタイン・ギャラリーでのルナ・イスラム、ガゴーシアン・ギャラリーでのダグラス・ゴードンの新作展はいまひとつだったが、カールステン・ヘラーがテート・モダンにつくった話題の滑り台や、ハンス・ウルリッヒ・オブリストらがキュレーションした『China Power Station』展(11/5終了)はなかなか楽しめた。もっとも後者は、陳劭雄(チェン・シャオション)、楊福東(ヤン・フードン)、曹斐(ツァオ・フェイ)らの作品よりも会場自体に目を奪われる。一大文化センターへの改築を待つばかりの、ほとんど廃墟と化した超巨大なバタシー発電所で、ブラックホールのように、展示作品の力を吸い取っているようにさえ思えた。敷地内には思わぬことに、伊東豊雄が設計した『サーペンタイン・ギャラリー・パビリオン2002』が移築されていた。東京オペラシティ アートギャラリーの『伊東豊雄 建築|新しいリアル』展で模型を観たばかりだったので、本物を目にすることができてうれしかった。

 

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Battersea Power Station
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Toyo Ito: Serpentine Gallery Pavilion 2002

テート・ブリテンは、1階奥にターナー賞の候補者4人の作品を並べている(『Turner Prize 2006』2007/1/14まで)。フィル・コリンズのビデオ作品を除くと、僕にはあまり面白くなかった。すぐ横の会場にわずか7〜8点を展示しているラキブ・ショーのほうが、派手な色調とエロティックな主題とではるかに力強い(『Art Now: Raqib Shaw』12/17まで)。ガイ・フォークス・デイ前日の土曜日とあって、館内には人形をつくりに来た子供たちがたくさんいた。何組かの親子がそれと知らずに入ってきて、獣面人身の不思議な生き物が交尾している画面を見てあわてて出て行ったりする。「これ、何?」とストレートに尋ねる子供に、生真面目に答える親もいる。10歳以下の子供に現代美術を見せることの善し悪しはよくわからないけれど、ほほえましい光景ではあった。

 

地階では『Holbein in England』展が開催されている(07/1/7まで)。16世紀の巨匠による肖像画や宝飾デザインなどを網羅的に集めたもので、これだけの作品が一堂に揃うことはあまりないから評判も非常によい。もっともこの階には、ほとんど子供がいない。というよりも年配の客ばかりで、「若い」と呼べるような観客も見あたらない。ヘンリー八世関連の肖像画を集めた部屋で、もちろん僕は杉本博司の『ポートレート』シリーズを想い出した。ホルバインによるオリジナルとマダム・タッソー蝋人形館の人形を観て、その後で杉本の写真を観れば、当然ながら印象や感想は異なるだろう。東京・森美術館での杉本展に来ていた若い観客に、ホルバインを見せたいという衝動が浮かんだ。

 

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Hans Holbein: henry VIII

これだけの例で即断する愚は避けたいけれど、もしかすると若い世代の古典離れは世界的な現象かもしれないとふと思った。前の晩にバービカン・センターで観たマイケルクラーク・カンパニーの『Mmm….』も年配の観客が多かったから、古典離れというよりもハイアート離れと言うべきだろうか。「パンク・バレエ」の振付家は、今回も自らの「ストラヴィンスキー・プロジェクト」にWireやP.I.L.やSex Pistolsを使っていた。だからクラークを「ハイアート」と呼ぶことには疑問が残るけれど、1980年代デビューということを考えると、若い世代にとっては十分に「古典」なのかもしれない。そういえば作中には、『モナ・リザ』の画像が現れ、それがウォーホルの『Liz』にモーフィングしていった。いまの若い世代は、もちろんエリザベス・テーラーなんか知らないだろう。LisaがLizに変わることの寓意は、作家の意図を超えてはるかに(現代的に)無意味なのではないか。

 

こんなこじつけがましい連想が生じたのは、出発前にシアタートラムで『ベケットを読む』を観ていたからだろう(10/28)。サミュエル・ベケット後期の小説と戯曲をリーディング上演するという地味な企画だったが、それにしても若い観客はほとんど来ていなかった。最年少が40代半ばで、平均年齢は50代後半くらいだったんじゃないだろうか。このままの状態が続けば、観客の平均年齢は10年後に60代後半となる。20年後には70代後半である。1939年生まれの演出家・太田省吾は87歳、46年生まれの豊島重之は80歳、27年生まれの俳優・観世榮夫は99歳だ。上演自体がなくなっても不思議ではない。

 

あまりにも悲観的な展望だろうか。だが、アムステルダムで会ったオランダの舞台芸術関係者も、一様に若い世代の古典離れを危惧していた。ヨーロッパにおいてさえそうだとすれば、やはりこれは世界的な現象と見なさざるを得ない。古典は年寄りだけのものとなる。年寄りは衰弱し、さらに年を取る。やがて観客は消え失せ、それとともに古典そのものも消失する。力強い表現はまったく生まれなくなり、後には巨大発電所のような廃墟だけが残される……。

 

なんていう悪夢が実現しないことを祈っている。そしてそのための方法を、具体的に考えはじめている。(2006/11/9)

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。