COLUMN

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Out of Tokyo

148:清水靖晃の新しい挑戦
小崎哲哉
Date: October 12, 2006
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(c) Eriko Sakihama (以下写真すべて)

9月26日、清水靖晃&サキソフォネッツのライブが、六本木のSuper Deluxeで開催された。僕が観たのは22:30からの2回目だったが、立ち見も出るほどの盛況だった。関係者によれば、19:30の回はさらに大入りだったという。大雨の中、清水久々のライブへの期待がいかに大きかったかを物語るものだが、この公演の重要性は動員数のみによるものではない。画期的な出来事がこの夜に起こったと僕は思う。

 

注目すべきは選曲とその構成である。およそ半分がJ.S.バッハの『チェロ組曲』を清水がアレンジしたもの、そして残りがエチオピアの伝統曲と清水のオリジナルだったが、後者のすべてがペンタトニック、すなわち5音階の音楽だった。前者については、清水ファンなら誰でも知っている。10年前から清水は、バッハによる「名曲中の名曲」に挑み、サキソフォンが存在しなかった時代に書かれたチェロ用の楽曲を、見事に自家薬籠中のレパートリーに仕立て上げた。その次にターゲットとしたのが、バッハとは正反対の位置にあるとも言えるペンタトニックだったのだ。

 

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ペンタトニックは、多くの民族音楽に用いられている。スコットランドなどヨーロッパの古謡やブルースにも見られるが(後者はブルーノート・ペンタトニックスケールと呼ばれる)、一般にはアジアや中近東やアフリカに特徴的な音階とされる。日本の演歌におけるペンタトニックはいわゆる「ヨナ抜き」で、長調では「ドレミファソラシド」の4番目と7番目、すなわち「ファ」と「シ」を抜いた「ドレミソラ」の5音が楽曲を構成する。同様に、短調では「ラシドレミファソラ」から「レ」と「ソ」を抜いて、「ラシドミファ」だけで主旋律がつくられる。琉球歌謡やバリのガムラン音楽は2番目と6番目、すなわち「レ」と「ラ」を抜いた「二六抜き」が多く、「ドミファソシ」が多用される。インドにもイスラム諸国にも、ペンタトニックの音楽は存在する。

 

Super Deluxeでは、「演歌みたいだ」「美空ひばりを思い出す」という声が聞かれたが、それも当然だろう。清水が用いたペンタトニックの多くは、ジム・ジャームッシュの『ブロークン・フラワーズ』のサントラにも使われていたエチオピア音楽のそれを基にしたもので、演歌の音階とほとんど変わるところはない。もちろん清水のことだから、周到に計算されたリズムやシンコペーションが、これも複雑かつ精妙なメロディと相俟って、演歌とは決定的に異なるオリジナルな曲を生み出していた。若いサキソフォネッツのメンバーは、リーダーが課した高い技術的要請によく応えていたが、数十回に及ぶ長く密度の濃い練習が、ペンタトニック(とバッハ)を身体の奥深いところにまで染みこませ、内在化させたということだろう。

 

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「ワールドミュージック」という呼称をあまり聞かなくなって久しいけれど、ワールドミュージックのよさのひとつは、7音階が有する歴史的・地政学的優位をたしなめるがごとくに和らげ、いわば音楽における文化相対主義を広めたところにある。言うまでもなく、例えば日本のペンタトニックが植民地などで土地の音楽を不当におとしめたり、固有の音楽的生態系を崩しかけたりしたこともあったわけだが、基本的には近代以降、欧米の「7音階帝国主義」は多くの国で版図を広げてきた。その「帝国」の中では、演歌もパンソリもクレズマーも異端と見なされうる。ドメスティックで普遍性がないものと、根拠もなく一方的に決めつけられてしまう。

 

清水本人から「十数年前に、北島三郎のために新曲を書こうとしたことがある」と聞いたことがある。その企画は残念ながら流れてしまったそうだが、「民族音楽=ドメスティック」という短絡的で教条主義的な認識から離れると、僕たちはもっと多くの音楽的自由を手に入れられる。そのためのひとつの契機として、ペンタトニックという「上位概念」を利用する。清水にはそのような戦略があるのではないだろうか。エチオピア音楽や演歌やその他の民族音楽を、ペンタトニック属とでも呼ぶべき上位概念に属するものとして把握すれば、無根拠の偏見は消え失せるだろう。

 

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サキソフォネッツはバッハとペンタトニックの曲を、ほぼ1曲おきに演奏した。聴衆は端正な教会建築のような7音階音楽と、市場の喧噪を想わせる5音階音楽に交互に身を委ねることになった。たとえを変えて言うと、シャンペンと泡盛をひと口ずつ一気飲みするようなもので、体も心もまさしく酔い痴れてしまう。途中、ダンサーの康本雅子が登場し、清水のソロに合わせて即興で踊り出すと、サックスを吹きながら清水もそれに応えた。そこにも、何か新しい萌芽のようなものがあるように感じた。康本も音楽にはうるさく、エチオピア音楽を使ったこともある。来年以降、サキソフォネッツはライブ公演を重ねる予定で、清水と康本のさらなる共演も検討中だという。東京の夜の楽しみがまたひとつ増えそうだ。(2006.10.12)

寄稿家プロフィール

おざき・てつや/『REALTOKYO』『Realkyoto』発行人兼編集長。1955年東京生まれ。京都造形芸術大学大学院学術研究センター客員研究員。趣味は料理。